ドアを開けて外に出ると、久雨は事務所への道に、先を行く見慣れた後ろ姿を見つけた。
「へいっ、藤堂くん?」
「へい、俺だけど。」
 振り向いた藤堂くんの眼光が鈍い光を放っている。
「…ちが、ごめん、へい!て呼びかけたつもりじゃなくて。」
「へい。んなこと分かってるよ。」
 分かってるなら、へい、で返事をしないでほしい…。
 先で待ってくれている平助くんに小走りで近寄ると、彼が普段着で出勤してきていることに気づいて首を傾げた。そもそも、今日は休みだから…。
「呼び出しまでされたの?」
「いや、自主的だよ。お前の終わりまでここで待つのも良いかとも思ったんだけどな。」
 思ったんだけど?
 その先に何か続きそうなセリフに首を傾げて平助くんを見つめるけれど、目を逸らされてしまった。
「お前、町田の事疑ってるのか?」
 視線を逸らしたまま、平助くんが単刀直入に訊いて来た。
「え、疑ってないけど…。」
「嘘だろ、めっちゃ注意して見てたよな。他に目がいかないくらいに見てた。」
「見てた訳じゃなく、見ざるを得なかったと言うか…、あの子ミス連発でフォローに行かないとだったし。」
「ふぅん…。」
 平助くんは、納得していない様子で生返事をすると、先を歩きだしてしまった。
 未だに、クレームの件は平助くんを不機嫌にするらしい。
 いい加減、大人なんだから割り切ってほしい…。
 そう思ってしまうのは、自分が現場で働いているわけでは無く、衛生管理の立場だからなのかもしれないけれど…、それでも少し、ちょっと、何気に…、しつこくないかな…。
 平助くんが後ろを向いていることをいいことに、その後頭部に向かって、べぇと舌を出す。
「あのさ、久雨…。」
「っ!?ん、なに?」
 なんてタイミングで話しかけてくれるんだろう、舌先を噛んでしまった…。
「俺、クレームの事で不機嫌な訳じゃないから。絶対誤解してるだろうから、言っておく。」
「…え、そうなの?」
 クレームの件で不機嫌だ、と思っていることに気づいていたんだ…。
 意外そうな久雨の返事に振り返った平助くんの表情は、呆れたような、バカにしたような…。
「俺だって、クレームが来た事実は受け止めてるよ。そりゃ最初は、ムッとしたし、あいつらのせいじゃないって、思ったけど…。ワザとじゃなくても起こっちまうことくらい分かってるって。」
「…うん。」
「それでも、最善の注意を払って仕事をしろって、言わなきゃいけないお前の立場も分かってるつもり。」
「…うん。」
 分かってる、分かってくれていたんだ…。
 嬉しくて、何だか胸がじんわりと熱くなった。ついでに目の奥もじんわりと熱くなってくる。
 ホッとした。
 …あぁ、私ずっと緊張してたんだ。平助くんも怒るし、お客さんも怒っていたし、焼き菓子部屋のみんなは今までのように接してくれなくなったし…。
 平助くんの手が久雨の頭にぽんと置かれた。帽子越しにその温かさが伝わってくると、余計に目が熱くて上を向けなくなってしまった。
「けど、あれはちょっと…、あからさまだろう。町田が可哀想だ。」
「え?」
 町田くんが可哀想…?あからさま?
 何を言われたのか理解が出来ず、瞳を瞬いて平助くんを見上げる。目頭に溜まっていた涙が一滴落ちていくのを平助くんが見つけて、ぐっ、と息を詰まらせてから、そっと拭ってくれた。
「な、泣くなって。」
「ごめん、泣くつもりは全然無かったんだけど。…あからさまって?」
 自分でも涙を拭って平助くんを見つめると、怯んだ様子を見せた後、ボソリと呟いた。
「くっそ〜、んな可愛いんじゃなんも言えねぇじゃんかよ…。悪かったよ、ちょっと嫉妬しただけだよ、あんまりお前が町田を構うから、気分悪かっただけだよ、悪かったな。」
 早口に捲し立てると、平助くんは久雨の頭をぐしゃぐしゃ撫でて、辺りをきょろきょろと見回した。
「…今なんか、え、ちょっと、可愛いとか?そんな覚えないんだけど…。」
 言われて嬉しくない、訳がない!けど、ちょっと、恥ずかしすぎてまともに反応できずに、思わず憎まれ口を返してしまった…。
「んな真っ赤になって言ったって、可愛いだけだかんな。」
「へ、平助くんっ!」
 …!!?
 平助くんが顔を近づけてきたと思うと、久雨のマスクを引きずり降ろして掠めるようなキスをした。
「ちょっ!こここここ、ここ職場っ!」
「デカい声出すなっつの!しーっ!」
 平助くんが、口に手を当てて慌てて久雨の声を抑えた。
「そうだよ。職場だよ。一体、こんなところで何をしているんだか…。」
 呆れたような声が平助くんの後ろから聞こえてきた。
「!!!?」
「げぇっ!」
 事務所の扉が開かれて、そこに腕を組んで気だるげに立つ、沖田くんが居た。
「みんなを呼ぶ暇もなく終わっちゃったのが残念だな。」
「総司!おっ前、いつから!!?さっき見回した時は居なかっただろ!」
 平助くんが顔面を真っ赤に染めながら喚くのを、久雨は半ば放心状態で見守っていた。
「んな真っ赤になって言ったって、可愛いだけだかんな…ってところからだけど?」
「わーーー!!やめろ!記憶から今すぐ消せ!」
「そうだよねぇ、久雨ちゃん可愛いもんね。それが同意の上じゃなかったら、縛り上げて屋根から吊るすところだけど。」
 沖田くんの目が鋭い眼光を放って、首筋がビリッと痺れるようだった。
「あの、吊るすとか、そんな、冗談…ですよね」
「どうしたい?無理やりされたなら、吊るしてあげるよ?」
「総司!お前の冗談は冗談に聞こえないんだってば!」
「冗談じゃないからねぇ。」
 にっこりと微笑む沖田くんの背後から立ち上る妖気を感じ取って、久雨はブンブンと首を横に振りたくった。
「ど、同意の上です、大丈夫です、ちゃんと付き合ってます!」
「…そう、残念だなぁ。久雨ちゃんは平助くんのお手付きか。あ〜あ、残念だなぁ。」
 沖田くんが両手を頭の後ろで組んで、ゆったりと歩き出してすれ違って行った。
 それを二人で息を詰めて見守ると、姿が消えるのを確認して、ホッと息を吐き出した。
「首が斬れるかと思った…。」
「あれで実は冗談だ…とか、本当に心臓に悪いぜ…。」
 脱力してよろけながら事務所へと入ると、ニヤニヤとした笑顔たちに迎え入れられた。
 近藤専務と、土方工場長、島田さん、そして今日は山崎さんも揃っている…。
「そうか、ちゃんと付き合ってるのか。廊下で何してたのかは、まぁ、めでたい事を聞いたから不問にしてやるが、今回だけだぞ。」
「…あ、有難うございます。」
「うむ。藤堂くん、彼女を可愛いと言ってやるのは良い事だぞ。今後もちゃんと口にしてやると言い。」
「…うわぁ〜、あ〜〜〜…、わ、分かりました…。」
 土方工場長と近藤専務からの暖かいお言葉に、顔面を真っ赤に染めた二人が、引きつらせた笑顔で返事をした…。



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