苦味 のち 甘味

 昼休憩のあと、郵便屋さんが届けていった荷物を仕分けしながら、久雨は呟いた。
「あ、届いた。」
 先日、クレームの電話を受けた人からの証拠の品だ。
 さっそくデスクに戻って封を切ると、ラップに包まれた食べかけのマドレーヌと、包装フィルムと、出てきた鉄片と、怒りを込めた内容の手紙が出てきた。
 お怒り、ごもっともです。
 ふぅ、と息を吐き出して、久雨は気分を引き締めて手紙を読み、それからマドレーヌを解体し始めた。
 まだ中に鉄片が入っていないかの確認だ。もし入っていたならば大問題だ。ほかにも入っているマドレーヌがたくさんあるかもしれないという事なのだから。
 しかし、鉄片はそれ以外入っていなかった。
「これ、やっぱり金タワシかなぁ。」
 五ミリくらいの歪んだ針金状の鉄片だ。うちの工場で使っている物で、マドレーヌに混入しそうなものは、金タワシくらいしか思いつかない。
「どこで混入したんだろう…。」
 洗浄機か、マドレーヌの生地を作っている時か、型に流した時か、焼いている時か…。ともかく、すべての工程を一度見学する必要がありそうだ。
「すみません、工場内に行ってくるので、何かあったら放送で呼んでください。」
「はーい。」
事務所内の同僚に声をかけると、久雨はマスクをかぶり直して事務所を出た。


 久雨は、某洋菓子メーカーに管理栄養士として勤めているOLだ。
 仕事内容はさまざまで、時には異物混入の苦情処理と中身の確認や影響を調べたりもする。…そうならないように日々管理する方が主な仕事なのだけれど。
 それでも、たまにこういう事が起こってしまうのは、機械ではなく人の手で作ることに拘っているのだから、仕方がない。
「いやいや、仕方なくないって。それを仕方ないと思ってしまうのは、いけなよね。」
 ふぅ、と再び息を吐き出した。
 クレームの処理なんて、やりたい仕事ではない。本来ならばそんな事が起こらないように徹底してしかるべきなのだ。
「やっぱり、金タワシなんか使わない方が良いかなぁ。」
洗浄中に破片が出てしまう金タワシは、食品工場では倦厭されがちなのだけれど、どうしても使い勝手が良いからと現場の人たちから重宝されてしまう。今までも撤廃を呼びかけたけれど、覆されてきてしまった。
久雨は焼き菓子部屋へと辿り着くと、一度深呼吸してから扉をノックして部屋に入った。
「お邪魔します!」
現場に入るのは、実は少し緊張する。普段事務所で作業しているから、現場とは少し壁を感じてしまうのだ。
「久雨?いらっしゃい!」
帽子で髪を隠し、マスクで顔を覆っていても、覗いている瞳から爽やかな笑顔で迎え入れてくれているのが分かる、藤堂平助主任。実は彼氏だったりする。内緒だけど。
「藤堂君、先日のクレームのマドレーヌが届いたから、後で事務所まで確認に来てくれるかな?」
「ん、分かった。」
言われた内容が内容だけに、答える表情が少しムッと不機嫌になる。
クレームの電話を受けた日、実は口論になっていたりする。自分は洗浄も道具使用前のチェックも完璧にしている!と主張する平助くんと、それでもクレームが届いたのは事実だ、と告げる自分との間で、意見の歩み寄りなど出来なかった。
「今日は少し見学させて貰うね。始業前の状態はまた今度見に来る。」
「わざわざ見なくたって…。」
「藤堂君の言い分ももっともだけどね、お客様にきちんとした対応をしないとでしょ。」
「見ましたって言っておけばいいじゃん。主任の俺が大丈夫だって言ってんだから。」
「主任が大丈夫だって言っても、他の部署の人間も確認した方が新たな発見もあるかもしれないんだし、金属片が混入してたのは事実なんだから。」
「嘘かもしれないじゃん。」
「本当かもしれないでしょう。それも踏まえての調査です。」
 既に一回言い合った話を、ここでまたする羽目になるなんて…。
 平助君が仕事にプライドを持って臨んでいるのは知っている。だからこそ、きちんと調査をして、どうして混入したのかを突き詰めたいと思っているのに、それが伝わらない…。話はいつも平行線で、平助君を信じているけれど調査をすることも必要だという事を理解してもらえなくて悲しくなってくる。
「とにかく、少し見て回らせてもらうね。」
「ああ。」
 憮然としたまま返事をして持ち場に去っていく平助君を少しだけ見送って、久雨はパートさんたちの作業を眺めた。
 混入事件は勿論パートさん達も知っていることで、久雨に見られていると言うだけでそれまでのお喋りも鳴りを潜めて、静かにぎこちなく作業を続けている。
 いつもなら、顔を出すと少し手伝えと手を引かれたり、何かと話しかけてくれたりすると言うのに。自分の仕事柄仕方がないとはいえ、寂しいと思ってしまう。
 焼き型に生地を流し込む工程で金属片が混じりそうなところは、見ている限りは無い。焼き型は生地を流し込む前に裏返して中の物を落としているし、油を薄く塗る時も、全体を布で拭くように塗っている。焼き型には金属片が引っかかるような溝もない。これで混入しているとは思いづらい。
 では、生地を作る工程はどうだろうか。
 久雨は、平助君が居る生地を作る場所へと移動した。
 っと、生地が大量に入った器を重そうに転がしながら、オーブンの横から人が出てきて、危うくぶつかりそうになった。
「あっぶね!あぶねえよ!周りをよく見て歩けよ!」
「ごめんなさい!」
 脇に避けて通り道を作ると、出てきた人がこちらを睨んでから、目を瞬いて笑った。
「なんだ、久雨さんじゃん!どうしたんすか?」
 先ほどの剣幕が嘘のように軽く言われて、拍子抜けをしつつ相手を改めて見ると、バイトで入っている大学生だった。
「衛生管理の仕事で見回りをしに来たんです。」
「へ〜、久雨さんてそんな仕事してるんすか。あ、俺の方が年下っすよね、タメでいいっすから。」
「え…、あ、はい。」
 大学生って、みんなこんなに軽いのかな…。
 一歩引きつつ頷くと、満足そうに帽子とマスクの隙間の目が細められた。
「おい、早くそれ運んでやれ、パートさん達待ってるだろ。」
「へーい。じゃ、久雨さんまた後でね〜。」
「う、うん…。」
 また後で?話をしに来たんじゃないんだけど…、えっと、誰くんだっけ…。
 名前を思い出すことが出来ずに首を傾げ、今度は周りに気を配りながら平助君の近くまで行くと…。
「あの…さ、そこに立ってられると邪魔なんだけど…。」
 今度は平助君からお小言を食らってしまった。
「ごめんね、でもきちんと見たいから。」
「機械ん中も見んのか?」
「見せてくれる?」
「混ざっちまったら分からねえだろ。」
「それでも。」
「…じゃ、ここから見ててくれよ。」
 平助君は、しぶしぶと言った調子で、自分が場所を少し移動して間を開けてくれた。
「有難う。」
 お礼を言うと、久雨はその隙間に入り込んで生地を混ぜる機械の中を覗き込んだ。
 まだ材料のすべてが入っている訳では無いらしく、機械は止まったままだった。
「これまで、金属片が入りそうな場面、あった?」
「あるわけないだろ。」
「即答しないで、ちゃんと思い出して。」
 ビニール手袋を装着して生地の粉の中に手を入れてかき混ぜてみる久雨を見て、平助君は傍に重ねて置いてあるボウルを指さした。
「必要な粉は後ろの秤で量って、ボウルに入れてここで機械に投入だよ。粉ん中か、ボウルん中に金属片が入ってない限り、混入はしない。粉ん中に入っていたとしたら、俺らでは分からないよ。量が量だから、家で作るようにチマチマとなんか量ってねえし。」
「ボウルには誰が粉を入れるの?」
「日による。大体は俺がここで目を光らせてるけど、俺だって休みの日もあるし。ボウルも一度ひっくり返して中の物を落として、乾拭きさせてるから、入る可能性は低いよ。」
「そっか…。」
 なら、洗浄の時に入っていても、払い落とせる。焼いている時に入るわけがない。じゃあ、この混ぜる機械は…。
「この機械は金タワシ使わねえよ。傷ついちまうと、そこに粉が入り込んでカビたりするからな。」
 平助君が思考を先回りして答えてくれる。
 とすると、本当に混入することの方が難しいとなる。でも、混入は事実だ。
「この機械のどこかが工程の最中に削れて、とかは?」
「無いと思うぜ。削れてるような箇所、見た事ねえ。」
「そっかぁ。」
 平助君は本当に気を付けているという事が分かった。
 彼氏として鼻が高いけれど、こうなると本当にどこで混入したのか判明させるのが難しくなってくる。
「次の平助君の休みの日に抜き打ちで見に来る。みんなには黙っててね。」
「えー…、そりゃねえよ…。」
 平助君がこそっと呟いた。
「え、どうして?」
「せっかくのデートを潰すとか、ありえねぇ〜…。お前だって休みじゃん。休日出勤する気かよ。」
「仕方ないでしょう、今月は休み結構合わせちゃったんだもん。休日出勤じゃなくて、休みを変わってもらうから。」
「は〜、ありえねぇ…。久しぶりに家でまったり、二人でゲームとか思ってたのによぉ…。お前が家に来ないと、あのゲーム進めらんねえじゃん。」
「仕方ないよ、進めていいよ。」
 二人でひそひそと小声で話していると、後ろから呑気な鼻歌とともに、先ほどの大学生が来た。
「主任、お待たせ〜。」
「お待たせ〜じゃねえよ、遅いんだよお前は。またパートさんと喋ちらかしてきたんだろう。」
 持ってきたボウルを受け取って、それを機械に投入しながら、平助君がバイトくんに注意した。
「えー、でも主任だって久雨さんと喋ってたじゃないっすか。ねえ、久雨さん。大丈夫だったすか?口説かれたり触られたりセクハラされたりしませんでした?こう見えて、主任って結構やらしいっすよぉ。パートさんにもすぐちょっかい出すし。」
「俺らは仕事の話をしてたんだよ!」
 それは最初だけで、後半はデートの話とゲームの話だったけど…。
 久雨は苦笑しながらバイトくんの名札を見て話しかけた。
「町田くん、この卵割る時きちんとボウルを乾拭きした?」
「うわっ、久雨さん俺の名前ちゃんと覚えてくれてたんすか!?俺感動したな〜!今度デートしましょうよ!」
 ごめん、今名札で確認しました…。
「何でそれでデートの話になんだよ。お前こそセクハラしてんじゃねえか。」
「デートに誘うのは礼儀っすよ。セクハラじゃないっす。で、いつがいいっすか?」
「しません…。」
「えー、久雨さんガード固いんすね!俄然燃えるっすよ!」
 燃えないでいいってば…、平助くんが睨んでるの分からないのかな、この子…、大物かも…。
「町田、早く次の準備してこいよ。ちゃんとボウルは拭けよ!」
「へいへい、分かってますよ。やってますよ。じゃ、久雨さん、次は俺のこと見に来てくださいね!」
 勝手に手を握られてブンブン振られて、手を振って町田くんは去っていった。
「今どきの大学生って…。」
「いや、あれ特別だから。他のバイトはみんな普通だよ。」
「…だよねぇ。」
 喧騒が去っていくと、途端にさっきよりも静かに感じてしまい、話し声がひそひそだろうとコソコソだろうと、周りに聞こえてしまうのではないか…と不安になり、無口になってしまった。
 そんな久雨に気づいたのか、平助くんが久雨の手を機械の中から出すように指示して、スイッチを入れた。稼働音が適度な音消しになってくれる。
「ゲーム進めていいのか?」
「…え、なに?」
 お互いの声も聞こえづらくなってしまったのは仕方がない…、混ざる機械の中の生地を覗き込むふりで、二人はお互いの顔を寄せた。
「ゲームだよ。」
「うん、仕方ないよ。教えてくれればいいよ。」
「今めっちゃいいところだぞ。主人公がどっちを選ぶのか決めるところだぞ。」
「平助くんの趣味は分かってるから…。」
 どうせ、スタイルが良い、露出度の高い髪の長い子の方だ。私とは真逆の…。腹立たしい…。選ぶ瞬間を見ることが出来ないことを喜ぶべきかもしれない。クレームの件で喧嘩をしたばかりだ、そんなところでも喧嘩してしまいそうだし。
「そっか…?まあ、お前が居ないんじゃ、どこも行く気にならねえし、家にこもってゲームしてる。終わったら連絡くれよ。夜くらい来れんだろ?」
「残業にならなければね。」
「残業すんなよ。」
「でも、もし原因が分かったら、報告書を書いたり詫び状の準備したりしなきゃだし。通常業務でも時間いっぱいなのに。」
「…だから、俺たちはそんなヘマしねえって。」
「でも、混入してたのは事実だから。」
「そんなもん、クレーマーが自分でやったにきまってんだろ!あれだよ、自…ごうじとく?」
「…自作自演て言いたいの?」
「それだよ!」
「そんな訳無いでしょう!うちのお菓子大好きでよく買ってたって手紙に書いてあったし、こんな事初めてで悲しいって!」
「そうやって丸め込んで、ただでお詫びのお菓子を要求してくるようなやつなんだよ!」
「藤堂主任!!」
 いつの間にやら声が大きくなっていたらしく、周りが何事かと様子を伺ってくる。そして二人の前に。
「げ…、土方工場長…。」
「工場長…。」
 まなじりをきつく釣り上げた、目だけしか見えないのに美男子だと分かる人物が、仁王立ちしていた。
「お客様をクレーマー呼ばわりか?」
「あ、いや…。だってよ、工場長、俺たち本当に毎日気を付けてきちんとやってんだぜ。」
「それでも、小さなミスが出る日もある。お前は、焼き菓子を焼きすぎて駄目にしたことが今まで一度も無いのか?」
「…いや、そりゃあるけど…。」
「焼き型から剥がすときに折ったことは?」
「…何度も。」
「生地の配合間違えた事は?」
「何回か…。」
「人のことばっかり疑ってねぇで、自分が本当に日々神経とがらせて気を付けていたのか考えてみろ。人は誰だってミスをすることもある。その事は仕方がねえ。けど、そのミスを認めずに相手のせいにするなんて馬鹿野郎のすることだ。お前は馬鹿野郎になるんじゃねえ。」
「…はい、すんません。」
 平助くんが項垂れて謝る姿に、自分もしょんぼりしてしまう。
「久雨。」
「は、はい。」
「平助が悪かったな。悪気は無えんだ、ただ真剣に仕事してるだけだから。」
「あ、はい勿論分かってます。」
「そうか。なら安心だな。」
 それまでの怒り口調から急に優しげになり、久雨は逆に緊張して背筋を正した。
「お前の仕事も、心労が激しいだろうが…、頼むな。」
「はい。」
 ぽん、と肩を軽く叩いて去っていく土方工場長の背中を見送って、久雨は額の汗を拭う真似をした。
「緊張した…。」
「お前はいいじゃんか…。俺なんて、首が飛ぶかと思ったぜ…。」
「大丈夫、ちゃんとついてるよ。それに、最終的に褒められてたじゃない。」
「あーうーん、まぁ…、槍の雨が降らなきゃいいけどな…。」
「雪よりも酷いなぁ…。」
 呟いて、二人で肩に力を抜くと、再び混ぜられている生地へと視線を戻した。



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