まみの場合
ふぅ。
給湯室で一息吐きつつ、コーヒーの香りに癒しを感じていたまみは、聞こえてきた足音にカップを二つ用意し始めた。
元気よく開く扉、入ってきたのは、憔悴した顔をしたのゆちゃん。
「大丈夫?」
「だいじょばない・・・。沖田くん・・・なにもこんな時期にやらかさなくても良いのに・・・。」
「ま、こんな事もあるよね。」
「あっちゃダメなんだってば、普通・・・。」
冷蔵庫にもたれかかって溜息を吐くのゆちゃんに、コーヒーを淹れて差し出す。
「はい、インスタントだけど。」
「ありがとう〜。」
嬉しそうに受け取るのゆちゃんは、一口すすると、てきぱきとドリップマシンの準備を始めた。
「で、ですね、まみさん。」
後ろを向きながら畏まった口調になるのゆちゃんに、嫌な予感が背を駆け抜けた。
「私、そろそろ戻るからさ。」
「いやいや、まぁそんな事を言わずに、聞いて行ってくださいな。」
こっちを向いていないのに、見事に手を掴まれてしまった。
「藤原物産て、もちろんご存知ですよね。」
「うん。今、商品を扱いたいから交渉しているんでしょう。」
「沖田くんが辞めさせた彼ね、彼が担当していたんだよねぇ。」
「・・・なんで、よりによって、そんな子を担当させたの?あそこの社長は気難しいことで有名じゃない・・・」
「営業先では、評判良かったんだけどね。でも、お調子者で評判が良い人を当てちゃいけない会社・・・というか、社長、だったよねぇ。初回で大目玉くらって、それから内勤に回されて、やる気なくして・・・、昨日、どうも新人に教えることすら放棄していたらしいんだよね。」
「あぁ、そんな顛末があったんだ。」
なるほど、沖田くんが自分のところの新人が使えないから、女の子一人引っ張ていったというのは聞いていたけれど。
「経緯が経緯だから、やったことは問題ありなんだけど、素直に怒れなくてね・・・、あ、部長がね。」
「だろうね、分かるよ。」
「その後が問題だよね、帰り際に、再起不能になるほどの何かをしたらしいんだけど、それは誰にも言ってくれないから分からないんだよね、今朝から出社拒否。しかも、沖田のせいだー!ってメールで・・・。メールで退社するとか、世も末だね。」
「せめて、電話で・・・いや、それもおかしいか。」
「て、訳でね。」
う、嫌な予感が再び・・・
「これから、藤原物産に、行ってきてほしいんだなぁ。ちなみにこれ、土方部長からの命令で、席でまみさんを、待ってまーす。」
ポケットから出した飴を手に握らせて、のゆちゃんが疲れた笑顔でこちらを振り向いて、手を振った。
仕方ない、命令じゃぁ、仕方ない・・・。
「分かった、行ってきます。」
飲み干したカップを、せめてもの抗議としてのゆちゃんに握らせて、私は給湯室を後にした。
あの様子だと、部長はかなり不機嫌だ。
不機嫌な部長は、威圧感が半端ないからなぁ・・・などと考えながら総合統括部へと行く前に、長身の同僚がエレベーターから降りてきた。
「お、まみ。」
「・・・あれ?お帰りなさい。今日は早いけど・・・。」
「ああ、新人を外回りに同行させてくれって、命令が来てね。」
こんなところにまで、しわ寄せが・・・。
「何も今日からじゃなくても良いじゃないねぇ。」
そういう私に、原田くんが苦笑を返してきた。
「ま、内勤の指導に平助も戻されてるくらいだし、内勤教える余裕もあんまり無いんじゃねえかな」
「確かに、営業部の内勤はいつも余裕無いけど・・・。」
「山南さんが、駄目新人の矯正にかかっちまってるのも、あるしな。」
「・・・毎年のあれ・・・ね。おかげで、サイボーグサラリーマンが出来上がるって言う・・・。」
「・・・ま、新人には酷だけどな。」
スーツをスラリと着こなした、長身の優男、原田くんが、くい、と指で何かをつまむ仕草をしつつ、口元へと持って行った。
「どうだ、今夜一杯行かねえか?」
「あー、行きたい気もするけど、これから藤原物産だから、何時帰っててこられるか分からないし、約束出来ないなぁ。」
原田くんも、いきなりの予定変更で調子を狂わされて、飲みたい気分なのかもしれない。
私も、少し飲みたい気分ではあるけれど・・・、相手はあの藤原物産だ・・・。
「あー、お前が担当にされちまったのか。」
「そうみたい。噂の彼が外れてから、誰が当たってたの?」
「山南さんだよ。彼とはウマが合う分話が進まないって、言ってたよ。」
山南さん直々に当たるほどの人が、私に回ってきたって・・・?
ウマが合うなら、話も進みそうなもんなのに・・・。
そんな疑問を感じ取ったのか、原田くんが苦笑した。
「腹の探り合いで、話が進まないってことだよ。」
「・・・それは問題ね。」
「な。」
腹の探り合いで終始しないでほしいものよね。
「なあ・・・。」
「なに、部長に呼ばれているから、もう行かなきゃ。」
「その・・・、藤原物産の社長と言やあ、良い男だって聞いてる。」
「うん、そうなの?」
「ああ。・・・・・・惚れてくれるなよ。」
「・・・どうしたの?惚れちゃいそうなくらい良い男ってこと?」
「いや、そのだな・・・、惚れるなら今目の前にいる良い男にしておいてくれって言ってんだよ。」
原田くんが・・・?自分に惚れてくれって・・・?
「っふ、何言ってんだか。分かった分かった、とりあえず取引先と恋愛する予定はないからさ。じゃ、もう行くね。」
彼の軽口を聞き流して、部長のもとへと行き、そのまま藤原物産へと向かった・・・のだけれど・・・・・・。
「はい?」
確かに、好みのイケメンが目の前に居るのだけれど、この固い雰囲気はなんとも・・・。
「だから、これからホテルで良いのだろう?と、言っている。」
苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てるように言いながら立ち上がる彼、藤原泰衡さんは・・・、ホテルに行くと言っている?
「ホテルに、何か御用ですか?」
「こっちには全く用はない。」
「じゃあ、ここで良いじゃないですか。」
「・・・ここを、そのような行為のために使えと言うのか?」
苛立ちが怒りへと変わったさまを見てしまった・・・。
顔立ちが良い人が怒る顔は、土方部長で見慣れているけれど、こう、押し隠すような怒り方は、もっと背筋に寒気が・・・。
「そのような行為?」
しかも、話が噛み合っていない。
「お前たちは、男では話が進まないから、手っ取り早く枕営業用にお前を寄越したんだろう?」
「・・・え?」
どういった思考の持ち主なんだろう。
山南さんと対等に腹の探り合いができるような人だから・・・。
「違います。私は、わが社に貴社の商品の取り扱いをさせていただきたいと、お話をしに来たんです。」
「女が?」
「女でも、です。」
「・・・ならば、身体以外で俺の興味を引いてみろ。」
「・・・・・・身体で興味を引いたら、食べちゃってたって事ですか?」
・・・あ、しまった、単純な興味でこんなことを聞いていい相手じゃなかったのに・・・。
「食べるわけない。つまみ出すか、どこかに売りさばく。」
売りさばく・・・、恐ろしいことをサラリと言うな。
と言うか、普通に受け答えてくれた、失礼なこと聞いたのに・・・。
もしかして、案外素直な人なんじゃないだろうか・・・。
こんなに冷徹な顔しているのに。
・・・って、キュンとしてる場合じゃない、何で胸がキュンとしたの。
「今日は、わが社のことを知ってもらおうと思ってきたんですけど・・・、やめましょう。社長の知りたいこと、話したいこと、お聞かせ願えますか。」
「帰れ。」
「それ以外で、です。」
「ならば、話すことは無い。」
「自社商品に自信がないんですね。」
「・・・ほう、喧嘩腰で来るか、その手には乗らない。」
なかなか難しい人みたいだけど、これ、会話続いているよね・・・。
分かってるのかな・・・可愛い・・・いやいやいや、取引先の偉い人に何てことを。
でも、今後も話してみたい、興味がわいてしまった。
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