三時の休憩以降、何だか余計にモヤモヤしてしまった私は、終業時刻になっても終わらない仕事に、パソコンの前で突っ伏していた。

もう、こんな日に限って・・・。

携帯電話を忘れて、メールしても届いたんだかどうかも分からないと言うのに、そのアドレスにもう一度メールをする羽目になって・・・。

けれど、今度は質問形式でメールをする事を忘れなかった。

『すみません、仕事が終わらずに残業になってしまいました。待ち合わせに遅れてしまうと思いますが、構いませんか?』

そして、改めて思い知らされて、更に仕事が遅々として進まない。

なんて、恋人同士っぽくない他人行儀なメールなんだろう。

けれど、今度は早々にお返事が来て、それで少しだけテンションが上がった。

『構わない。先に店に入っている。』

素っ気無いけれど、お返事が来ただけで嬉しくなってしまった私は、そこから超特急で仕事を片付けた。

先に行っていると言う事は、この後終わったから今出ますとメールしたところで、翌朝読むことになるわけだし・・・、そんな事していないで速攻行くか!

と、コートとカバンを手に、パソコンの電源を落としている時だった。

「お、珍しいな。まみが残業なんて。」

部屋の入り口に、長身の原田君が立っていた。

「うん。今日は何だかスムーズにいかなくて。」

「でも、終わったんだろ?」

終業時刻から一時間弱ってところだ、まだ社内には他にも人が残っているのだろう。

「原田君は、今日はどうしたの?」

「俺は今さっき帰社したんだよ。んで、帰るところ。どうだ、一杯付きあわねえか?」

手でお酒を煽る仕草をして、流し目の原田君は、絵に描いたような美男子だ。

それに、感情表現がストレートで、好ましい同僚である。

みんなの兄貴分な所もあり、姉貴分になってしまいがちな自分でも、頼りに出来る良い男。

予定が無ければ思わず誘いに乗ってしまうところだ。

「ごめんなさい、今日は約束があるの。」

「そ・・・っか。」

電源が切れたことを確認して、急いで部屋を出ようとする私を、立ちふさがるようにして原田君が邪魔をする。

「残業しちゃったから待ち合わせに遅れているの。だから退いてくれる?」

悪戯好きのやんちゃ坊主の面も持っている彼に、苦笑交じりで言うと、思いのほか真剣な顔が自分を見下ろしてきた。

「あの、藤原物産の若社長だろ。」

「・・・そうよ。」

「本当に、まともな付き合いしてるのか?」

「え?どうゆう意味?」

まともな付き合いかどうかを聞かれるのは、若干気に障る。

「枕営業とかじゃねえよな・・・?」

「そんな事、するわけ無いじゃない!」

第一、そんな事をしようものなら、速攻掃いて捨てるような相手だ。

正攻法で一本気で推し進めなければ、今頃契約だって取れていなかっただろう。

若社長だというだけで、舐めてかかるような相手も居ただろうし、だまし討ちの様な事には慣れていると言っていた。

自分だって騙すし、嵌めるし、食い物にするし、利用できる物はとことん利用して、誰のことも信用しない、と断言していたような人だ。

「なら、良いんだけどよ・・・。」

そう呟いた原田さんの手が、私の腕を掴んだ。

「行くな・・・・・・って言ったら、どうする?」

切なそうな瞳を向けてくる原田君を、驚きの表情で見つめ返して、けれど私の心は他所にあった。

そう、今原田君が思い出させてくれたように、泰衡さんは他人を信用しないような人だった。

それなのに、私が残業で遅れる、携帯電話を家に忘れてきた、と言うことを信じて、お店に入って待っていてくれる、と言ったんだ。

付き合い始めだったら、今日は取りやめだ、と言っただろうし、裏に何か隠されては居ないか探っていたかもしれない。

愛情表現が分かりやすく表に出ないからって、私が彼を不満に思う理由なんか、どこにも無かったんだ・・・。

待っていてくれる、それだけで彼からしたら、大きな愛情表現だ。

「ごめん、原田君。原田君には他に沢山誘える人が居るけれど、泰衡さんには私しか居ないから。」

今なら、こんな大胆な台詞でも言えちゃう。

そして、それを確信している私の言葉は強く、原田君は腕を放してくれた。

「そ・・・っか。まぁ、まみが幸せなら俺はそれで良いんだ。何なら俺が送ってやろうか?」

「ううん、電車で行ったほうが早い場所だから。有難う。」

「ああ。気をつけて行けよ。」

「うん。お疲れ様。」

場所を開けてくれた原田君の横をすり抜けて、私はエレベーターへと駆け出した。

一瞬だけ、原田君の手が私の手に触れて、掴むような仕草をした気がしたけれど・・・、それがただぶつかってしまっただけなのかどうか、確認をする気にもならなかった。

ごめんね、原田君、そして有難う。


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