部長に趣味を聞いた時から一年が経った頃。 同期とは完全に決裂していた。 それ以来、昼休憩はまみさんとランチに出たり、お弁当を持ってきてデスクで食べたりするようになったけれど、毎日部長に、お茶と食後のコーヒーを出すようになっていた。 それも含めて自分の仕事、のように思っていただけなのだけれど…、そうは思っていなかった人物が居た…。 そう、同期の女…だ。 ある時、部長のデスクにコーヒーが出ていたから、遅かったか聞いたら。 「ああ、いや、さっきついでだから淹れたって、持って来たんだ。」 誰が、と聞いてみたかったけれど、やめておいた。 「気を使うなって言っておいた。お前のコーヒーが来るから必要ないってな。」 「そうなんですか。じゃ、明日からも用意しますね。」 「ああ。」 部長のデスクの昼食の片付けをして給湯室に戻ると、同期が居た。 こちらを睨んで、敵意丸出しだ。 彼女がコーヒーを出したんだな、と丸分かりだったので、何も言わずに後処理を始めると、聞こえよがしな独り言が始まった。 「人の好きな人を狙う女って、最低だな。」 ん?独り言じゃなく、私に向かって言ってる? これは、どっちだ…? 「コーヒー出して媚び売ってみたり、悩んだフリして相談したり、やる事が汚いよねぇ。」 うーん…、あれから一年経ってるけど、まだ部長が好きだったんだ…。 本気だったのかな、やっぱり悪い事しちゃったな。 と、反省したのに。 「部長も、見る目無いよね。私の方が何百倍も何千倍も美人で仕事も出来て良い女なのに、私がせっかく淹れてあげたコーヒーよりも、こんな女のコーヒーを待つなんて。馬鹿なんじゃないの。」 なんか…、いけ好かない発言なんですけど…。 「顔が良くても、性格と女の趣味が悪いんじゃなぁ。」 私の事だけじゃなく、部長の事も悪く言ってるんだけど…。 あぁでも、なんかこの様子、絡むと面倒だからな…。 てことで、無視してそのまま給湯室を出たんだけど…。 なんか、人が変わったな、というかあれが本性だよね。 気にくわないのは仕方ないと思う。 だって、仲を取り持つどころか、結果的に引き剥がしてしまった訳だし。 好きな人を横取りした覚えはないけど、人の好きな人を狙っている覚えもないけど。 狙ってない…はず。 狙ってない…よね? でも、うーん、部長から目が離せないのは本当かもしれない。 あれ…、私、もしかして本当に、部長を好きになってたりする? えー…?いやでも、狙ってないよ、狙える訳無いじゃないね。 うん、そうだよ、違うよ。 なんて、自己完結させながらデスクに戻った私の目は、自然と部長を追ってしまう。 あんなこと考えちゃったからいけないんだよ。 仕事に身が入らない、とか言ってられないけど、どうしても小さなミスが増える。 「っあ、と…、危ない危ない。」 コーヒーを飲んで落ち着こうとした私の手が、カップを掴めずにぶつかった。 危うく倒れそうになったカップをしっかりと握って事なきを得たけれど、心臓がバクバク音を立てている。 今整理している書類は、ここで終わりではない、これから他部署に回す書類だ、コーヒーの染みをつける訳にはいかない。 そして、自分のデスクの下には、取引先に送る書類の数々。 社内書類はまだいい、下にまでこぼしたら、目も当てられない…。 「あー…、良かった。」 軽く深呼吸をしてから、コーヒーを飲み干すと、手元の書類のを束ねて立ち上がった。 部長に確認してもらう為だ。 ページ順を直しながら部長のデスクへと行くと、そこには先客がいた。 沖田くんだ。 同期、しかも年下だと知ってから、敬称はくんへと変えさせてもらった。 「なんだ?」 「のゆちゃん、いらっしゃい。ちょうど良かったよ。」 威圧的な部長と、ヘラヘラと笑いながら私の腕を掴んで引き摺り込む沖田くん。 なんだこれは、タイミング悪かったってことだな、部長のこの威圧感は、不機嫌な証拠だもん。 「沖田くん、今日は何をしたの?」 遠慮も何もない、単刀直入な私の質問に、沖田くんが軽く笑った。 「んー、ちょっと報告…かな。」 「なんの?」 「別にいいじゃない、会社に損失が出る訳じゃないんだから。」 会社に損失が出ないけど、不機嫌になる報告って、なんだろう…。 部長は眉間を揉みほぐしている。 「えっと、とりあえず部長、私は出直しますね。」 沖田くんの手を振りほどきながら部長へと告げる私。 しかし、沖田くんの手が解けない…。 「あの、沖田くん、放して。」 「嫌だ。」 「なんで?」 「一緒に居てよ。」 「なんで?」 「ま、良いからさ。」 「いや、良くないって、絶対部長これから怒鳴るでしょ、私、巻き添えはちょっと…。」 「だから一緒に居てほしいんじゃない、のゆちゃんが居ると、トーンダウンするからさ。」 「そんな事無いと思いますよ。私が居ても変わらないから、遠慮なく一人で怒鳴られてください。」 「またまたぁ、部長に特別扱いされてるのゆちゃんのセリフとは思えないなぁ。」 「特別扱い?…どこがですか?順調にこき使われていますよ?」 「そんなこと言って、二人きりになる機会が多いって、噂になっているよ。一年前のお見合い以降、順調に愛を育んでいるみたいだね。」 「っは…!?な、無い!無いってば!そりゃ、私の仕事って部長に書類提出したり報告したり相談したりが多いけど、それだけで、仕事、仕事だからっ!な、何言ってるの!?」 「うん、だから、あのお見合い以降、部長がのゆちゃんを私物化したってことでしょ。」 「な、何の話!?ない、無いってば!部長に失礼だよ!!」 ブンブンと腕を振って沖田くんの手を振りほどこうとしているのに、軽く握っているように見える沖田くんの手は全く外れない。 「放してー!!」 意地になって腕を引っ張って全体重を後ろへとかけた私を、余裕そうに眺めている沖田くんが、ニヤリと笑った。 「おい、総司…!?」 と、それまで呆れて口を挟まなかった部長が、慌てて沖田くんを呼んだその時、私の身体は後ろへ向かって倒れ… ガンッ!!! 「ったぁ!!あ、わっ!!」 ガタン、バタン!!! 「痛―――!!!」 部長のデスクとみんなのデスクを仕切るパーテーション一枚とともに、私は仰向けに倒れた。 あぁ、書類がひらひらと舞ってる…、沖田くんが嬉しそうに高い場所から覗き込んでる。 痛みと恥ずかしさで、涙が滲んでくるわ…。 「お前ら……」 部長の呆れ果てた声、しんと静まり返った室内、のそりと身をよじって起き上がる私。 「だ、大丈夫でありますか!?」 時代錯誤なセリフで駆けつけた島田さんが、倒れたパーテーションを立ち上げ、定位置へと直してくれている。 再び人目から遮られた部長のデスク周辺に散らばった書類を拾い集めながら、私の目から涙が一粒パタリと落ちた。 痛かった…、そして恥ずかしかった。 みんなに、こんなコントみたいなところを見られたし、背中、パーテーションの尖ったところで打ったし、どこだよあの尖ったところ、底?底なのかな?なんか、ぶつかったうえに、グリって思い切りこすり上げられたよ めちゃ痛いよ…。 「うぅ〜〜〜」 まるで歯ぎしりするかのように食いしばって唸り声を上げる私に、沖田くんが頭をかきながら近寄って、手を差し出した。 「あーあ、ごめんね、痛かった?ちょっと勢いよすぎちゃったね。」 よすぎちゃったね、じゃないわこのボケ!! と、大声で罵ることも出来ないチキンだけど…、パタリポタリと垂れてくる涙を隠しもせずに沖田くんを睨み上げると、さすがの沖田くんも、殊勝な顔をして、頭を下げた。 「ごめん。」 てか、部長、こんな時でも我関せずですか…、ちょっと好きになってたかも!?的な私のトキメキも、今この瞬間で、気のせいでした、と片付けて終わりですよ。 「総司、お前は外せ。今ここに居たら、こいつの気持ちが落ち着かない。」 「…はいはい、お邪魔虫みたいだから、僕は去りますよ。…後でちゃんと謝ってあげるからね、のゆちゃん。」 要らんわボケぇ!! と、心の中で抗議しつつ、睨みながら沖田くんが去るのを見守っていた私の後頭部が、大きな手で包まれた。 「コブは無いな、背中はどうだ?」 隣でしゃがみこんで後頭部を確認してくれたらしい部長を見ると、視線に気づいた部長が私を覗き込んだ。 「…触るぞ。」 「…?」 何を触るって? 理解をする前に、痛みがやってきた。 背中から痺れるような痛みに襲われ 前のめりに逃げた私の身体が、土方部長に抱きとめられた。 「大丈夫か?打ち身になっているかもしれないな。」 冷静な傷の分析。 けれど、私は冷静ではいられないんですけど!! 何この状況、ヤバイ、抱きついちゃったってこと!? いや、結果論、結果論だよ、抱きつくつもりはなかったし、そのまままた床に這いつくばるもんだとばかり思ったのに、ぶ、部長が、部長が抱き寄せて・・・じゃなくて抱きとめて・・・どっちも同じだよ! ブルブルと震える私に何かを勘違いしてくれたらしく、部長が頭を撫でてくれた。 「総司が悪かったな。どうする、医務室に行って、背中に湿布を貼ってくるか?」 「…!?」 湿布を貼る!?だ、誰が!? 驚きのあまり部長を振り仰ぐと、バッチリと目が合った部長も驚いた顔をしている。 「俺が貼るわきゃねぇだろうが!」 「…そ、そうですよね、ビックリした。」 気まずさのあまり顔を背けたけれど…、真っ赤になってたの、さすがにバレたよね…。 だめだ、ここに居続けたら私、おかしくなりそうだ、なんか変な空気が流れてる。 や、私だけだから、変な事にはならないけどね、押し倒すとか、そんな事し出しそうで怖い、や、私がであって、部長はそんなこと絶対してくれないだろうけどね、なんだこりゃ私完全に舞い上がってるてか発情してるみたいじゃんやーだーもー!! 「あの、い、医務室に行ってきます。」 拾い集めてぐちゃぐちゃに握りつぶした書類を部長に押し付けて、私は立ち上がった。 「すいませんでした、なんか色々すいませんでした!」 お辞儀をしてその場を走って逃げ出した。 部長のデスクの仕切りから出た私に、みんなのこっそりとした視線が集まっていたのは仕方ない、この際全部沖田くんのせいということにしてやるんだから…。
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