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とろりと甘い優しげな陽射しが空から降り注いでくる。
暖かな空気を肌に纏い、嬉しげに跳ねるように足を運ぶ子供は、こちらを振り返って眩しい笑顔を見せてくれた。

「有難う、散歩なんて無理だと思っていたのだ。これも、還内府殿のおかげだ。」

「子供は外で遊んでなんぼだろ。家の中に閉じ込めてたら、病気になっちまうからな」

腕を組んで柔らかく笑う有川君を見て、子供は少し首を傾げてから再び笑った。

「お祖母様、気持ちが良いですね」

「ええ。本当に。将臣殿、そしてあなたも、有難うございます」

丁寧に頭を下げて微笑む尼僧の形をした女性に、私は「とんでもない!」と慌てた。

「私は彼に言われて付き添っているだけですから!お礼なんて必要ありません」

「生徒の引率は、先生の仕事だろ?」

「ええ、生徒の引率はね。尼御前は生徒ではないし、安徳天皇も、私の生徒にするには小さすぎよ」

小声でそう返すと、有川君は腕を組んだまま、安徳天皇へと返した笑みとは比べ物にならない、意地悪げな笑みを向けてきた。

「なら、先生は俺の付き添いってわけか」

「いいえ、今この時は、尼御前と安徳天皇の付き添いです。……あなたには、私の付き添いは邪魔でしかないでしょうからね」

皮肉げな笑みで返して、少し先を興味深げにキョロキョロと見て歩く安徳天皇の横へと並んだ。

「なんでそんなに、先生って事にこだわるかねぇ…」

呟いた有川君の言葉は、背を向けて先を行く私の耳には届かなかった。


人で賑わう市の中、物珍しそうにあちこちを見て蛇行して歩く安徳天皇のそばを、離れずに私は歩き続けた。

「あれは、なんと言うものだ?」

指さされた物は緑の葉の束だった。
私がいつも野草を摘んで調理しているのを知っているのだろう、好奇心に満ちた瞳が眩しい。

「何だろう、この時代の野菜はあまり詳しくないからな…。ちょっと遠くて見えないから、お店に近づいても良いですか?」

「近くに行っていいのか?」

「野菜売りならば、危険はあまり無いかと」

頷いて、彼の手を引こうとして、思い直して背中をそっと押して促すだけにとどめた。
気安く触れて良い方では無い…。

「手を繋いでやれば良いのに」

野菜を興味津々に眺める安徳天皇の後ろで、先程聞かれた緑の葉ものを眺めていた私に、更に背後からコソッと声がかかった

「そんな無礼な事、出来ないでしょう」

「子供ってのは、手を繋いでやれば喜ぶもんだと思うけどな。望美も譲も、よく俺が手を繋いでやったら、喜んで引っ張られて来たけどな…」

昔を懐かしむように目を細めながら言う有川君を見て、肩の力が抜けてふふふっと、笑ってしまった。

「何言ってるんだか。あなたたちが仲良く手を繋いでるのを想像したら、…なんか笑える」

小さい頃の想像が出来ず、今の有川君が、二年前の春日さんと有川弟の手を引っ張って連れ回してる想像が浮かんできてしまった。

「なんだよ、可愛かったんだぜ、俺も。ま、譲には負けるけどな」

「還内府殿も、小さい頃は可愛かったのか?」

「ああ、勿論だ。近所で有名な可愛い賢い子だったんだぜ」

「それは多分、弟君の方よね」

「近所でも評判の、笑顔が愛らしい…」

「きっと、春日さんの事ね」

「なあ、先生…。見てないのに何で分かるんだよ…」

「見ていなくても、想像出来るわよ。あなたは、二人を連れ回して悪戯をするか、率先して危ない事をして、真似をした二人が怪我をして怒られるとか、そんなところじゃない?」

得意げに人差し指を有川君の前に立てて言う私に、彼は頭をかきながら苦笑した。
伸びた襟足が揺れて、陽射しを揺らす。

「本当に、二人は仲が良いのだな。」

私たちの下で、二人のやりとりを聞いていた安徳天皇がくすくすと笑った。

「私たちが?」

「時間があれば一緒に居ると、知盛殿から聞いた。恋仲なのか?」

期待を込めた瞳で見つめられて、私は有川君と顔を見合わせた。

「あの…、えー…と」

そして、尼御前を振り返り、再び有川君を見た。
彼は、片眉を上げて肩をすくめるだけで、特に何かを言うつもりは無いらしい。

「あのね、私と有川君は…恋仲ではないわね」

「では、夫婦なのだな!」

確信を込めて言われてしまって、私は軽く額を覆った。

「いいえ、夫婦はもっと違うのよ。私達は、教師と生徒で…今は同志?」

確認がてら有川君に聞くと、彼は首を少し傾げてから再び肩をすくめた。

「今は教師でも生徒でも無いだろ。それに、教師と生徒が何のことか、分かってねえと思うぜ」

言われて安徳天皇を見ると、不思議そうに瞬きを繰り返していた。
私はしゃがみ込んで安徳天皇と視線を合わせると、売り場の葉物を指差した。

「あれは、ほうれん草と言う野菜だと思います。とても栄養があって、茹でて食べるのが主流だけれど、そのままでも食べることができるんですよ」

突然の私の説明に目を白黒させる安徳天皇に微笑みかけて、有川君を指差した。

「と、言うような事を彼に教える立場だったのよ、私。彼は、教わる立場の大勢の中の一人だったの」

「そうなのか!」

「ええ。だから、彼は私を先生と呼ぶのよ。」

説明を聞けて納得したのか、安徳天皇が嬉しそうな顔を向けて、私の手をその小さな手で掴んだ。

「なら、私も今教えてもらったから、あなたの事を先生と呼ぶべきだな」

「え!?えー、それは…」

「ぶっ!ははは!そうだな、それが良い。俺と同じ、生徒仲間だな!」

「笑い事じゃ無いでしょう!そんな立場、畏れ多くて…!」

「いいじゃねえか、呼び方くらいで何かが変わるわけでも無いんだ、好きに呼ばせてやれよ」

言ってくれる有川君を軽く睨みつけると、私は尼御前を振り仰いだ。
尼御前は穏やかな笑みを向けて、頷いてきた。

「畏れ多いなどと仰らないで。あなたは将臣殿の師、ならば私たちにとっても大切なお方です。あまりご自分の立場を低く見積もらないで下さいませ。助けて下さるあなたを、私達は頼もしく思っているのですから」

「い、いえそんな…、買いかぶりすぎです…」

あまりに臆面もなく言われるので、私は耳まで熱くなって俯いた。

「全然、助けられてないですし…」

「あんまり遠慮し続けるのも、失礼になんじゃねえのか?」

ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべながら言う有川君に、一瞬ムッとした。
けれど、それも一理あるか…と、私は苦笑気味に頷いて、安徳天皇へと向き直った。
遠慮がちになっていた小さな手を包み込んで、しっかりと目を見つめて微笑む。

「では、先生と呼んでください。ただ、あまり教えられることは少ないと思いますから…、聞いてくれても分からないことがあったら御免なさいね」

有難う!と返事をする安徳天皇の輝かんばかりの笑みを見て、あまり頑なになりすぎることもないか…と、肩の力を少し抜いて、有川君と尼御前を振り仰いで微笑みあった。
穏やかな風が吹き抜けて、後ろで一つに引っ詰めた髪を乱して止まった。

「さあ、行きましょうか」

安徳天皇の、頬にかかる髪を直してやり、握られたままの手を握り直して立ち上がった。
そのまま引っ張ると、嬉しそうにちょこちょことついてきた。

「良かったな」

腕を組んだまま一歩引いて見ている有川君へと、安徳天皇が手を差し出した。

「還内府殿も…、いいだろうか?」

少しだけ不安げになった顔に、有川君は大股の一歩で近づいて、私よりも大きな手で、安徳天皇の小さくて柔らかい手を包み込んだ。

「ああ、勿論いいぜ。」

三人で手を繋ぐと、それこそ親子に見えるのでは無いだろうか…とか考えてしまって、私は一人こっそりと笑った。


「それにしても、どんどん寂れていくな…」

市を行き交う人々は多いけれど、実際に何かを買える人は少ない。
日照りが続き、食物が育たないために、売られているものは値段が高く、庶民では手が出ない。
飢えに苦しむ人々は、それでも食べ物を求めて市を彷徨い、盗みを働こうとする者が後をたたない。

「恵みの雨も、今年は去年よりも少ないわね…」

一通り見て回って、屋敷へと向かう道すがら、ポツリポツリと話す内容は、やはり寂れた市と食料の不足へと移っていた。

「最近は、野草も育たないのよ。育っていた場所に行っても、もう掘り返された後だったり、枯れていたり…。根っこも残っていないことも…」

飢えは人の判断力を奪う。
そこに生えているのが毒草だと理解っていても、手を出してしまう。
飢えだけではなく、毒で亡くなった方も多いと聞く。
狩猟禁止の場所で生き物を捕獲した罪で断罪された人もいると聞く。
事態は深刻だ。

「うちも、品数だけは揃えたいと思っているのに…、唯一役に立つ事だったのに…、ごめんなさいねぇ」

溜息と共に吐き出した謝罪だったけれど、有川君の耳にはしっかりと届いたらしく、頭を軽く小突かれた。

「唯一とか言うなって。言うこと言うこと後ろ向きなんだよな、先生は」

「そうかなぁ、後ろ向きなつもりは全くないんだけど…」

安徳天皇は、暫くは私と有川君と手を繋いでいたけれど、帰り道は尼御前と手を繋いで、ゆっくりと先を歩いている。

隣を歩く有川君は、周りに目を光らせていると同時に、私の言葉もちゃんと聞いているらしい。
その器用さにはいつも感心する。

「育ち盛りの子たちには、今の食事の量じゃ足りないでしょう」

「食い物があるだけ、マシだろう」

「うーん、そうなんだけど…」

有川君は、顎に手を当てて唸る私の頭に掌を乗せると、わしゃわしゃと強く撫でた。

「なあ、ひょっとしてその育ち盛りの子って、俺も含んでねえか?」

「当然でしょう?」

「あのなぁ、俺ももう二十歳になるぜ。育ち盛りって年齢でも無いだろ」

腕を組んで苦笑する有川君に、私はニヤリと含み笑いを返した。

「男の子はね、二十歳になってもまだまだ身体は成長するのよ。むしろ、ここから筋肉や骨格が完成していくの。それに、そんな大太刀を振るってたら、嫌でもお腹が空くでしょ」

「おっと、専門分野だったか?」

「ま、少し違うけど、近いわね」

ふふっと笑うと、有川君もつられて優しい笑顔を向けてきた。

「そんだけ色々知ってんだから、出来ない事をグダグダ考えるより、出来る事、出来たことを考えて、胸を張ってりゃいいんだよ」

「…有川君は、本当に楽観的だね」

「だろ!譲には、迷惑だって言われるけどな」

「うん、分かるわぁ、弟君の気持ち…」

「なんだよ、望美は俺の楽観主義よりも上だぜ?」

少し誇らしげに見える笑顔で言われて、私の胸にはモヤっとしたものが疼いた。

「それは…弟君の気苦労を思うと、胸が痛いわね…」

実際に胸に違和感を感じて押さえて呻くように言うと、「なぁんだよ!」と、有川君が背中を叩いた。
思いのほか力が強くて、グフッと喉から息が吐き出た。

「譲はやたらと後ろ向きなんだ、俺たちが引っ張ってやって丁度いいから良いんだよ」

「そうなのね。いい関係ね」

自分にはそんな関係性の友達や兄弟が居ただろうか…と思いを巡らせようとした私の肩を後ろに引っ張って、有川君が大きく一歩前へ出た。
すれ違いざまの緊張した様子と、背中の大太刀へと伸ばされた手で、何事かが起きたのだと理解した。
有川君の背中で半分隠された前方には、尼御前と安徳天皇、そして更に前には、見知らぬ、汚らしい格好の男たちが居た。
手には鎌や鍬を握りしめ、ここから見ても分かるほどに震えている。

「あ、有り金全部置いていけ!!」

威嚇に怒鳴り声をあげる男の横で、鎌を向けている男がにじり寄ってきた。
その腰は引けて、今にも転びそうだ。

前に居る尼御前は、安徳天皇を抱きしめて、しかし毅然と男たちを見据えている。

「おいおい、そんな屁っ放り腰じゃ、物盗りなんて出来ねえぞ」

相手を小馬鹿にしたような、笑い混じりの怒声が有川君から放たれたと同時に、彼は素早く尼御前たちの前へと躍り出て、大太刀を軽く振った。
勢いに押されて、男たちの数人が尻餅をついたが、立ったまま威勢を削がれなかった数人は、未だにギラギラとした血眼を向けている。

「悪いが、俺たちも金には困ってるんだ。お前らにやる余裕は無えんだよ」

大太刀を肩に担いで仁王立ちする有川君を、男たちは恐ろしそうに眺めている。
しかし、こんな奇行に走ったのだ、ハイそうですか、と引き下がるわけがなかった。

「そ、そんな上等な衣を身につけてんだ、金に困ってるわけがねえ!」

「さっさと、着てるもんでも脱いで置いていけ!」

怒声の勢いが削がれている。
食べるのに困っての奇行なのだろう、もしかしたら始めての追い剥ぎなのかもしれない。
こんな真昼間の、人通りの多い往来での物盗りなど、奇行以外の何物でもない。
行き交う人々が遠巻きにして、事の成り行きを眺めている。

「悪いが、お前らに施してやる余裕は無えんだ。こっちも、この不作で食うもんに困ってんだよ。分かるだろ、お前らよりも、食わせてやらなきゃならねえ配下が多いんだよ。」

優しく諭すように言う有川君は、腰に手を当てて余裕な立ち振る舞いだけれど、背中から緊張感がピリピリと感じられる。

私は、尼御前のそばに寄り、その肩を抱くようにして後ろへと誘導した。

「お祖母様、食べ物をあげれば良いのでは…?」

戸惑い、尼御前と男達を見比べる安徳天皇へと、尼御前が厳しい顔のままで首を横に振った。

「あの方々だけに与えても、問題は何も解決しないのです。それに、私たちは、配下の者へ与えなければいけません、余裕など無いのですよ」

「でも、あれくらいなら…」

納得出来ていない安徳天皇の手を引いて、私は有川君から更に距離をとった。
有川君は、肩に担いだ大太刀を持ち上げ、腰を軽く落としている。
説得は応じられなかったらしい。

私は、安徳天皇へと視線を合わせると、彼の肩に手を置いてゆっくりと噛みしめるように言った。

「今、有川君と向き合っている人たちだけが飢えている訳ではないんです。あの人たちにはきっと、家族が居て、親戚が居て、友人が居て、数え切れないくらいの人数が、隠れているんです。それに、ああして人から奪うことはいけない事です。飢えていても、人を脅して奪おうとしていない人達もいるんです。悪いことをしている人達に施しをして、悪いことをしていない人達は恵まれない。そんな世の中にしてはいけないんですよ」

「そうか…、奪いに来ない人達も、飢えているんだな…」

そう言う安徳天皇も、お腹をさすっている。
毎日、満腹食べられない彼も、ある意味では飢えている。
今、飢えを感じていない人など居るのだろうか…。

「さあ、分かったら早くここから立ち去りましょう。彼らにしてあげられる事が無いんだから、逃げるしかありません」

立ち上がると、尼御前と頷きあってわき道へと入り、走り出した。

有川君なら、直ぐに追いつくだろう。
けれど、それまでの間に、また彼らのような輩に絡まれないかが心配だった。
身なりの良い老婦人と子供、そして弱そうな付き人だけの今、先ほどまでよりかなり危うい。

屋敷までの道順を思い描きながら、早く大通りに出て少しでも危険のない道を歩かなければ!と考えていると、後ろから足音が追いかけてきた。
振り向くと、有川君が軽い足取りで走り寄ってくる。

「大丈夫だったの?」

走る速度を緩めながら聞くと、有川君は満足気に頷いた。

「ああ。軽く振っただけで逃げていったよ」

有川君の声が聞こえた事で安心したのか、安徳天皇が有川君へと走る向きを変えて、彼の前で立ち止まった。

「大丈夫だったか?」

柔らかな口調で問いかける有川君へと笑顔を向ける安徳天皇は、先ほどまでの緊張した面持ちが去り、笑顔で頷いている。

私では、あんなに安心したような笑顔にしてあげることは出来ないな…。

苦い思いと共にその様子を眺めていると、有川君がこちらを見て、苦笑した。

ありがとうな。

彼の口が、そう動いた気がした。

まあ…、役に立てたのなら、それでいいか…。

そんな気持ちになれる自分が少しおかしくて、軽く会釈して、思わずフッと笑ってしまった。

「さ、さっさと屋敷に帰ろう」

安徳天皇と尼御前を促し、有川君が私の横へと並ぶと、辺りへと鋭い視線を巡らせながら腕を組んで歩き出した。

「まだ、完全に追い払えたわけではないの?」

不安に思い、辺りを同じように見回しながら問いかけると、有川君の指が、私の鼻をつついた。

「なに?」

払いのけながら軽く睨みあげると、片眉を上げてニヤッと笑って返された。

「んな不安そうにすんなって。さっきの奴らなら、来ないから」

「じゃあ、何故そんなに警戒しているの」

「そりゃ、お互い様だって。んなに肩に力を入れてっと、いざという時素早く動けないぜ」

肩をすくめておどけて見せる有川君へと頷くと、私は肩をくるくると回した。

「だあーから、んなに気合い入れなくても平気だって。ここらに居る奴らなら、俺一人で平気だって判断したから尼御前たちを連れてきたんだし、大丈夫だったろ?」

「そうだけど…警戒するに越したことは無いんじゃない?」

「んな事したら、外に出たいって願ってくれなくなるぜ」

安徳天皇の後ろ姿を眺めながら、有川君がより小さな声で囁いた。

ドキリ、とした。
そうかもしれない、まだまだ小さい、やんちゃ盛りの男の子が、自分の望みを、望んだ通りに口に出来ないなんて、間違っていると思うし、そんなことは私だって望んでいない。

「それに、先生は少し真面目すぎだな」

「ん?」

言い置いて、有川君は先を歩く尼御前たちを追い抜いて、路地を抜けた先を見回してから、こちらを振り向いて柔らかく頷いた。

大丈夫だ。

そういう事だろうと、私は二人を促して大通りへと戻った。

ほんのりと薄暗い辺りの空気が、大通りの賑わう埃っぽい空気へと変わった。
雨が降らずに乾いた空気が、普段よりも多くの埃を舞わせている。

私…真面目すぎる…?

吹き抜けた風に煽られた土埃が目に入りそうで、目を覆って顔を背けた。

「どうした?」

声に目を開けると、目の前に有川君の顔があって、驚きのあまりに一歩引いてしまった。

「なんだ、そんなに驚くなって」

悪戯っぽく笑う有川君を見て、カッと頬が熱くなって、何故か無性に泣きたくなった。

「真面目って、いけないこと?」

生徒にそんな事を聞いてどうするのだ…。

虚を突かれたように瞳を丸くする有川君に、慌てて「何でもない!」と言ったが、彼は苦笑して肩をすくめた。

「たまには息抜きしろって。そんなに毎日肩肘張ってたら、くたびれて倒れちまうだろ」

背中を、大きな暖かい手で押されて、そのまま誘導される。
まるでエスコートをされているかの様に錯覚する。

「久しぶりの息抜きが、こんなことになっちまって悪かったな」

囁くような彼の声は、けれどしっかりと私に届いた。

もしかしたら、息抜きをさせたいメンバーの中に、私も入っていたのかもしれない…。
本当に、生徒に気を遣われて、とんでもない教師だ…。

「ごめんなさい、有川君…」

謝ると、有川君が背中を強く二回叩いてから、尼御前たちの先導へと戻って行った。

「謝るんじゃなくて、さっきみたいに笑って欲しかったんだけど…な」

去り際に呟かれた言葉に、私は戸惑いと胸の熱さをおぼえた。


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