赤壁での戦いが、玄徳軍と仲謀軍の勝利で終わり、玄徳殿は夏口へと帰還した。
夏口でその時を待っていた子淑は、そのまま玄徳殿の下で働かせてもらうようになるつもりだったのだが…。
「目通り出来なければ意味がないんだが…な。」
下吏は所詮、下吏だ。
彼に会うのにはそれなりに手順を踏まねばならず、今の自分の立場では、会うだけの理由も無い。
「戦に巻き込まれる事を忌避して、先に仕官したのが間違いだったか…。」
玄徳軍に入れて欲しいのだが、兵士しか募集していないのだから、兵士ではない自分には到底無理だった。
いくら護身術に磨きをかけたところで、あくまでも護身にしかならない。
それに自分は、武力で戦うのではなく知力で領民を守っていきたいのだから。
玄徳殿が領主になってくれれば、いくらでものし上がって近づいてやるのだが…。
書簡を片手に、商店の並ぶ大通りを城に向かいながら歩く子淑の足取りはふらふらとしていて、あっちを覗いたりこっちを冷やかしたり、まるで買い物を楽しむ人にしか見えない、が、その眉間には皺が刻まれていた。
どうやって玄徳殿に取り入ろうか、考えるまでもなく突然訪ねて行って自分を使ってくれと言うだけでも雇用してもらえるような気もするし、もっときちんと手順を踏んで相手から見出してもらうのを待つ方法もある…が、これは時間がかかり過ぎる。
とりあえずは、今手にしている書簡が今日の繋ぎとなる予定だ。
それにしては、剥き出しのまま無造作に掴んで振り回しているが。
ふと、目に入った装飾品の店の前で、子淑は立ち止まった。
色鮮やかな組み紐や、石を通して飾り立てた首輪や腕輪、それらに混じって、銀色の金属で作られた腕輪や、それに石を嵌めて装飾した首輪や腕輪が、所狭しと並べられていた。
値段設定は、領内の適正価格内だが。
一つ、金属のみの腕輪を持ち上げて、矯めつ眇めつ眺めまわした。
「お客さん、贈り物かい?どうだ、うちの商品は良いものばかりだよ!」
子淑に気付いて、店主らしき痩身の男が手を揉みながら近寄ってきた。
「良いもの…ね。これは、何の金属を使っている?」
「銀だよ。」
「銀…これが。」
目を凝らして眺めまわす子淑の様子に、店主が鷹揚に頷いた。
「ああ。あまり縁が無い代物かい?そんな珍しそうに見て。」
「そう…だな、これが銀だというなら、あまり縁がないな。」
価格設定は、銀にしては安めだろう。
良心価格と言えなくも無い。
「どうだい、一つ買っていかないかい?銀をこんな安い価格で買える機会なんかそうそう無いだろ。」
「…少し考えさせてくれ。」
「勿論だよ。」
子淑の真剣な様子に、店主は満足そうに頷いて、他の客の呼び込みに戻って行った、
ここまで食い入るように見ているなら、買うだろうとでも踏んだのか…。
「銀…ねぇ。」
見た目で判断するのは難しい、けれど、どうも自分が覚えている銀とは印象が違うようだが…。
「…錫、だねえ。」
ふと、背後から肩越しに手元を覗き込まれ、自分の疑問の答えを告げた。
「うむ、私にもそう思えるのだが…、店主はそれを分かって売っていると思うか?」
「さあ、どうだろうね。僕は今来たところだから、君の方が詳しいんじゃない?」
ひょい、と手の中の腕輪を奪われて、子淑の視線が自然と腕輪を追った。
「これが、騙す方か騙された方かで、かなり違うからな。」
「誰から仕入れたか、聞いてみたら?」
「仕入れ先を教えたがらない業者は多い。卸問屋や入手先から直に買ったほうが、安くなるからな。」
「なら、どうするの?」
光に照らしながら頭上でくるくると回される腕輪から、問いかけてくる人物に視線を移して、子淑は瞬きを一つした。
あまりにも自然過ぎて…。
視線を感じたのか、腕輪を眺めていた人物が子淑に向き直り、腕をとって腕輪をはめた。
「おい、貴様そこで何をしている?」
「あれ、子淑って案外手首が細いんだね。この腕輪だと少し大きいみたいだ。」
子淑の問いを無視して、わざとらしくおどけてみせる人物、孔明が、子淑の腕と自分の腕を並べて、手首が見える程に腕まくりをした。
「前も少し思ったんだよねぇ。君、記憶の中では大きいんだけど、実際に並ぶと、僕より小さい。」
「…当たり前だろう。」
子淑の眉間に皺が増えた。
「何でかなって思ってたんだけど、君…。」
向かい合わせで見つめ合う二人の間に、暫く沈黙が流れる。
腕を比べ合う姿勢のまま、まるで相手を睨むように見つめる子淑と、何かを考え込むかのように顎に指を当てて、けれどその表情は何かを悩むような人物には見えない飄々とした空気があふれている。
「態度がデカイから、印象も大きくなっちゃったんだろうね。」
ハハッ、と笑いながら呑気に告げる孔明の腕を素早く掴んで、捻り上げて露台に押し付けた。
「そんなところだろうと思っていたよ!!」
子淑の怒声が響き、店主が慌てて二人の元へと飛んできた。
何せ、商品は孔明の下敷きにされているわ、店の前で男が二人喧嘩しているわだ、慌てない方が無理だ。
「お、お客さん!?どうしたんです!?」
子淑の顔を伺うように見て、抑え込まれている孔明を、まるで自分がやられているかのように痛そうな表情で見た店主の目の前に、子淑は腕にはめた腕輪を見せた。
「この男が、この腕輪は銀ではなく錫だろうと言うんだ。」
子淑の台詞の後数秒。
「………何だって?」
店主が戸惑うような、怒ったような、微妙な表情で孔明を見下ろした。
「だって、おかしいじゃない。銀がこんなに安く、しかも露店に並べて置いておけるなんて。僕だったらもっと高くして、盗まれないように管理しておくよ。」
突然の子淑の暴挙にも、訳のわからない濡れ衣にも関わらず、孔明はわざとらしく口を尖らせて店主に告げた。
これだから、孔明は…。
いつでも慌てない、いつでも先を読んで、いつでも臨機応変に対応できるだけの方法を、幾通りも考えておいて…。
憎たらしい…!
ギリ…と腕に更に力を込めると、孔明が情けなく「ぐぇっ」と呻いた。
「ちょ、子淑ちゃ〜ん、もうちょっと手加減してほしいなぁ…なんて…。」
こそっと囁く孔明の言葉など聞こえないふりで、子淑は店主の様子を観察した。
目の動きが上に下に泳ぎ、何か考え込んでいるように首をかしげ、唇が乾いている…。
「これは、錫なのか?錫だとしたら、この値段は高い。高い値段で売るのはある程度は店の自由だが…、店主、お前は先ほど私に銀だと断言したな?分かっていた上で偽ったという事か?」
低い声で凄む子淑に、店主がブルブルと首を横に振った。
「し、知りませんでした!買い付けた時、確かに安過ぎるな、とは思ったんで…でも知りませんでした!!」
両手を顔の前で振りたくる店主に、孔明が呆れたような溜息を吐き出した。
子淑の腕からスルリと抜け出し、腕を摩りながら、自分の下敷きになった錫の腕輪たちを一つ一つ確認していく。
そんなに簡単に抜けだせるなら、最初から腕を取られる前に逃げおおせたものを…。
いつも、「それで、次はどうするのかな?」と試されているようで腹が立つ。
「おおかた、安過ぎて飛びついて買ったものの、物が錫だと分かって大損をしたから、錫として売ることは出来ず…けれど銀として高く売る度胸もないから…。」
孔明の言に、店主の顔が色を失っていく。
「錫としては高いが、他の州ではこれくらいの値段で売る事もある。そう言い訳できる値段にしたんだね。」
「成る程、当たっているらしいな。」
子淑が店主の胸ぐらを掴んだ。
「ヒッ!!」
と息を飲み込む音が店主の喉から漏れた。
「今までどれほど売った?どれだけの民を騙した?私はこれから登城する予定だったが、共に来てもらおうかな…。」
店の周りには野次馬が集り出して、何事かと騒めきながら伺っている。
「ほ、ほんの数個だ!昨日仕入れたばかりで、今日初めて店に出したから…、そ、それも、かなりオマケしちまって…。」
語尾が小さくなり、震えている。
声だけではなく、身体も分かり易くカタカタ震えている店主を、子淑は憐れみを込めて見つめて、胸ぐらを放した。
「あれ、放しちゃって良いの?」
子淑の背後で、両手を頭の後ろで組んで、呑気な孔明が声を弾ませて訊いてきた。
「どうせ騙された側だろう。仕入れ業者を聞ければ、それで良い。この腕輪たちはこの価格のまま売るのも好きにしろ、ただし、きちんと錫だと言う事だな。」
子淑は、腕輪を外して露台に置きながら、店主に厳かに告げた。
「は、はい…。」
悄然と頷く店主の様子に、騒動が収まったのだろうと、野次馬たちがバラけ始めた。
それに紛れて去っていこうとする孔明を、子淑は腕をギリ…と掴んで引き止めた。
「いちいち痛いんですけどぉ。」
「お前も証人として立ち会え。私一人では言い逃れてられた場合、それ以上何も出来なくなる。」
「そういう事は、もう少し可愛くおねだりして下さい。」
「これ以上可愛くすると、お前の腕が悲鳴をあげるが、それでも良いなら…。」
掴んだ腕の一箇所に親指を立てて、強く押す素振りをしてみせると、孔明がすかさず
「分かりました!立ち合いましょう。」
きり、と表情を改めて直立した。
満足そうに頷く子淑の隣で、ボソリ。
「おかしいなぁ、僕の思っている可愛らしさと全然違うのは、僕が間違っていたのかな?」
「そうなんじゃないか?」
シレッと返すと、孔明がやれやれ、と嘆息した。
「さて、じゃあ首を突っ込んだ責任をとって、立ち合いましょう。」
再び立ち会うと宣言する孔明が、露台に寄りかかって腕組みをして、二人の様子を伺う様子を見せたことで、子淑は気を取り直して店主と向き合った。





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