その頃、子淑の決意など知りもせず、孔明は士元の居る酒場の門を潜っていた。
まだ閑散としている店内の隅の一席に、赤ら顔で上機嫌に歌っている士元を見つけて、孔明は肩を竦めてから向かいに座った。
「やあ、久しぶり。昼間っからお酒なんか飲んで、良い身分だね、相変わらず。」
「おお、良い身分だぜ。それに、いい気分だ。」
「それは、羨ましいね。」
数か月ぶりの再会だと言うのに、この兄妹は、久しぶり、と言う言葉を知らないのだろうか。
毎日会っていたころと同じように迎え入れてくれる。
気を遣う相手では無いと、態度で示してくれる。
それは嬉しくもあるが…。
「仕事、してくれないって、君の部下が嘆いてるらしいね。相変わらずだね、君も。」
「あん?仕事?してるに決まってんだろ。今はしなくて良いからしてないだけだって。仕官すらしてないお前に言われるとはね…」
士元は、あ〜あ・・・と大仰に溜息を吐いて、酒杯を一気に呷った。
「家には行って来たのか?」
「うん、行ったよ。子淑にも会ってきた。」
店員から杯を受け取ると、士元が酒を並々と注いだ。
仕草は似ても似つかないが、杯が空になるとすぐに気づいて中身を満たしてくれる、そんな気遣いは同じだった。
「君の妹にも、困ったものだよね。」
「んなの、今に始まったことじゃねえだろ。またお小言でも言われたか?それとも、何も言わずに蹴りでも飛んできたか?」
「…そんな事されるのは士元だけだよ。」
べ…と舌を出して、頭の後ろで腕を組んだ孔明に、士元が睨みつけながら舌打ちをした。
「っち、あいつめ…。」
「仲が良い証拠だよ。今だって、里帰りせずに兄を頼ってくるなんて、可愛い妹なんじゃないの?」
「なぁにが可愛い妹だよ、兄を頼ってだぁ?実家に帰ったら縁談が待ってるから帰りたくないんだよ、だから俺んところに来てるだけだろう。あぁ、あと、俺んところに来れば、お前が来るからな。」
利用してるだけだよ、と吐き捨てるように言う士元に、「なんだ、分かってたのか。」とからかうように返して、酒杯に口をつけた。
夜這いだ!と言って泊まっている部屋にお酒を持って乗り込んできた時は酷く焦った、この僕が、あんなに焦るなんて、若かったね…、実際はただ一緒に飲みたかっただけだとすぐに分かったが…酒癖があんなに悪いなんて…、思ってもみなかった。
士元が飲んだくれで酒に強いから、子淑も強いもんだと思っていたが、ほんの一杯で笑ったり泣いたり、二杯目で部屋の中で大立ち回り、止める孔明と士元を殴り、蹴り、ひとしきり暴れてから火が消えたように静かになった、と思ったら寝息が聞こえてきた。
士元と二人がかりで部屋に運んだが…。
今なら一人で運べるようになっただろうか…、体格が同じくらいの頃までしか一緒に飲んでいないし、その頃は持ち上げられなくて自分が士元の部屋に避難した。
来る度に、夜這いだ、夜這いだ、と言うが…、夜這いの意味、本当に知らないんじゃないかと心配になる。
約束は、どうやら守ってくれているようだが…。
火傷した指に息を吹きかけたりして…、男との距離が近すぎるんじゃないだろうか…。
杯を傾ける指に視線を送る。
火ぶくれにはならなかったが、未だに赤みが残っている。
ジン…と疼くのは、火傷の痛み……。
「で、子淑の様子を見に来たってわけじゃないんだろ?」
士元が徳利から口を放して聞いて来た。
唇の端から酒が零れ落ちている。
杯で飲むのが面倒になったんだろうけど、徳利から直に飲んで…、だいぶ酔っぱらっているようだが…、まぁこれが常だから、忘れることは無いだろう。
「君の職場が変わるらしいからね、一言挨拶をと思ってさ。」
「…は?んな話、聞いてねえよ。」
「うん。で、だ。君さ、沢山の舟の揺れを抑えるために、何をしたらいいと思う?」
「いや、ちょっと待て、お前何をしたんだ?」
「えー、何にもしてないよ、やだなあ、人聞きの悪い。」
へらへらと力のこもらない笑顔を見せ、視線を逸らす孔明に、士元が胡乱な目つきで睨みつけた。
「…ま、いいけどよ、どこ行ったってやるこたぁ同じだ。」
「そうそう、どうせ仕事をほっぽりだしてお酒を飲むんでしょ。」
「やる時期になったらやるんだよ。…で、何だって?舟の揺れ?んなもん、陸みたいにすりゃいいだろう。」
士元の答えに、満足そうに頷いた。
「どうやって?」
「船同士を繋いで、その繋いでるもんに重石でもすりゃ、揺れも収まるんじゃねえか?」
「へぇ、それは良い考えだね。」
孔明の細められた瞳の奥が、キラリと光った。
「僕の考えと同じだね、そうしてくれれば、水上に弱い人でも、助かるね。」
孔明の言葉に、士元が伺うようにのぞき込んだが、フッと息を吐き出して視線をそらした。
「何考えてんだか知らねえが、お前が仕官するつもりになったのなら、上々だ。」
「何のことかな?」
「誰んところに行ったのか、後で教えろよな。」
「そうだね、いつか、決まったらね。」
ちびちび飲んでいたお酒の残りをぐいと飲み干して、トン、と食卓に置いた。
「ご馳走様。」
言いながら立ち上がる孔明に、士元が手を振った。
「忙しい奴だな。」
「もう少しゆっくり出来ると思っていたんだけどね、ちょっと野暮用が出来ちゃったみたい。」
視線を外へと移して、苦笑しながら孔明は士元に手を振った。
店を出ると、一瞬だけ視線を空へと向けて、すぐに戻した。
宵の明星が光り始めている。
茜に染まった空に照らされて、路地が、家壁が、屋根が、燃えるように輝いている。
君の星は、今とても不安定で揺れている、だから、君と離れようとしているんだ。
道を示すだけで、思っていた以上に進める子も居る、けれど君はそうじゃない、僕が指し示さない方が、どうやらこの先良い方へと行けるらしいんだ。
だから…。
腕を背で組んで、のんびりと歩きながら、隠れるようにしながら去っていった影を追いかけた。
のんびりと追いかけても、巡り合う、それは星が示している。
悪友の妹、自分の妹のようにも思っている、一番身近な年下の女の子。
いつだって僕を信じてくれた、仙女なんて自分でも信じられなくなっていた頃、君だけが信じてくれた。
いつも近くで励ましてくれた。
いつの間にか、隣に居るのが当たり前になっていた。
だからこそ、遠ざけた。
その場所は、君の場所じゃないんだ、ごめん…。
だから、君が一番幸せになれる道を示すよ、僕が指し示さない道を…。





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