潜入
華やいだ色使いの部屋の中で、細々とした道具を風呂敷から取り出してみせる。 そして、その中から一つを取り出して、目の前の美女の髪を梳き始める。 「これで、下手くそやったら、たたき出すえ。」 美女が、顔からは想像も出来ないほどの冷たい声を出す。 少しだけ震える手を押さえて、深呼吸をしてからにっこりと笑いかける。 「大丈夫です。任せてください。他の遊女なんかに比べ物にならないくらい、お似合いの美しい髪にしてみせます。」 れいは、解いた艶のある長い髪を、少しずつ掬い上げながら、一纏めにして結い上げる。 所々、風呂敷から取り出した付け毛を混ぜながら、美女の持つ華やかで艶やかな簪などを使いながら、完璧な美しい髪を結った。 前に回りこんで、最後に少しだけ梳いて直して、頷く。 「出来ました。気に入らなければ、すぐに直します。」 真剣な顔で美女を見つめると、美女が鏡を見つめて、ため息を零す。 「はぁ・・・。これは、ええなぁ。」 にっこりと笑って、れいの頬にそのしなやかで真っ白い指を当てる。 「あんたさん、気に入ったえ。また呼ぶさかい、すぐに来てや。」 「はい!有難うございます!」 「姐さん、うちも結うてもろてもええ?」 「ええし。ええやろ?れい。」 「はい、勿論です!」 れいはホッと息を吐き出して、近づいてくるもう一人の遊女の後ろに回りこむ。 髪結い処だけで情報を集めるのには限界がある。 そう思い、廻り髪結いとして遊郭に出入りすることに決めた。 それもこれも、千鶴ちゃんを大事にしている新選組の、斎藤さんのため。 愛しい人のためになら、勇気を出して進んでいける。 今までは後ろに向かって進んでいたけれど、少しだけ、前に進む勇気をもらえたから。 新年に入ってから、れいは遊郭を何軒か廻って、お得意さんを作ることに成功していた。 まだ、情報を聞き出すまでにはなっていないが、親しくして、口が軽くなるまでいくらでも頑張るつもりだ。 れいの腕は確かで、新しい結い方などにも挑戦するその心意気が認められて、高級な遊郭ほど読んでくれるようになっていった。
それから三月たち、新選組が、西本願寺に屯所を移転したころ・・・。 れいは、遊郭に呼ばれない日は、今まで通りに店を営んでいた。 そこに、斎藤さんが顔を出した。 綱道さん探しを頼まれた日から、斎藤さんは少しだけ顔を出す日を増やしている。 それが、ただの独占欲の表れだろうと、それまでのツレなさから比べると格段に違う。その変化に驚きつつ、つい嬉しくなってしまう。 「いらっしゃいませ。」 店内に居るお客さんを見渡して、斎藤さんが頷く。そして、近くに座り込む。 「なんや、あんたはん最近よう来はるなぁ。」 髪を結いあげられながら、お客さんが言う。 「れいちゃんに気があるんか?なら、無駄やで。れいちゃんには、山崎はん言う旦那はんがついてはるんやから。わしらかて、我慢しとるんや。諦めぇ。」 「やだなぁ、変な事言わないでよ。違うから。」 「何が違う?れいちゃんには分からんやろ?」 「お客さんに迷惑でしょ。」 少しだけギュッと強めに引いて髷を結うと、結われているお客さんが面白そうに笑ながら膝を叩く。 「れいちゃん、あかんわぁ。そないに美貌に無自覚やと、山崎はんも心配しはるやろ?」 「何言ってるの。美貌がどこに有るって言うの?」 髷を結われて満足したお客さんが、後ろを振り向いてれいの鼻を人差し指でぺたりと潰した。 「ここや、ここ!」 「むっ、鼻を潰さないで。低いのに、これ以上低くなったら恨みますよ!」 「おお、怖っ!」 お客さんが身震いの真似をして、懐から金子を出すとれいに手渡した。 「恨まれんうちに、退散するわ。ほな、また来るで。」 「有難うございます!」 金子を受け取って握り締めると、それを金庫に終いに行く。 後ろから足音がついてきて、振り向くと斎藤さんの腕にすっぽりと収められる。 「斎藤さん?」 斎藤さんは少しだけ眉尻を上げて、そのままれいの唇を自らの唇で塞いだ。 「んっ」 れいは、抱きしめられている斎藤さんの腕に掴まってそれを受け入れる。 心の中に暖かな渦が生まれる。 直ぐに放されて、斎藤さんの身体が離れる。しかし、見つめて来る瞳と眉尻は上がったままだ。 「斎藤さん、どうしたんですか?」 れいは訳が分からずに尋ねる。 しかし、斎藤さんは元居た場所に戻って座り込んでしまって、答えてくれない。 「斎藤さん?」 近づいて、自分も座り込んで顔を覗き込むが、視線を合わせてくれない。 「何か、ありましたか?」 「いや。」 「じゃ、何でそんなに不機嫌そうなんですか?」 「不機嫌などでは無い。」 「じゃ、何で怒ってるんですか?」 「怒ってない。」 怒っていない、不機嫌ではない、そう言う斎藤さんの顔は、明らかに何かに気分を害しているようだ。 「何か、気に障るような事をしましたか、私…。」 不安になって尋ねたその時、暖簾を潜って一人の男性が訪ねてきた。 「いらっしゃいませ。」 そう言うれいに、男は早口でまくし立てる。 「れい!急いで今すぐ来てくれ。小雪太夫が、髪型が崩れたから、今日は客はとらない言うて駄々をこねてん!」 「それは、また…。すぐ行きますね。」 「ああ。早くしとくれ!」 男は、じっとしていられないようで店内に入ったり出たりを繰り返している。 「斎藤さん、ごめんなさい。髪は、今日じゃなくても良いんでしょう?」 「むっ、ああ…。」 「また今度来てください。」 不機嫌そうな斎藤さんをほおって行くのは気が引けたが、ここで太夫の気分を害するのは得策ではない。れいは商売道具を詰め込んだ風呂敷を抱えて、斎藤さんと一緒に店を出る。 呼びに来た男は、れいが出て来るのを見ると、先に歩き始めてしまう。 「れい…。」 斎藤さんに呼ばれて振り向くと、斎藤さんがれいの手を一度握って、離した。 れいは斎藤さんに笑顔を向けて、手を振った。 「行って来ますね。」 「ああ。」
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