蒼の瞳
斗南での暮らしも、数年を経て随分と苦しいものになっていた。 廃藩置県という動きが生じたことで、斗南藩は青森県になって、藩主も廃止、東京へと移住していってしまった。 作物が育たない環境と、交易品の産出すら出来ない過酷な環境では、人が暮らしていくだけの食べ物を確保することすら困難な状況に陥っていた。 斎藤さんは、蒼とれい、そして無事に産まれてきた二人の大切な二人目の子供、海のために、稼ぎに各地を放浪するようになっていた。 斗南に来てから一年目の短い夏に育った人参とジャガイモは、翌年には海が居たためにあまり手をかけることが出来ずに、育ちが悪かった。 食べ物の確保に失敗したのと同じだ。 その為に斎藤さんが斗南の外に出て行くようになったのだけれど、小さい蒼と海を一人で見なければいけなくなり、次の年は植え付けすらすることが出来なかった。 会津の祖母の実家に手紙を送れば野菜やお米を届けてくれるけれど、それを自分たちだけで食べる気になれずに、お世話になっている隣近所にも分け与えてしまうために、結局少ない量で日々食いつながなければいけなくなってしまうのだ。 満足に食べさせることが出来ないために、蒼の身体はあまり大きく育っていない。 海は何とか母乳で育てることが出来ているけれど、それだけではもう足りなくなっていた。 何とか子供たちを食べさせなければと思って自分の食事を減らしたら、それはそれで海の母乳に悪影響が出てしまって、悪循環が止まらないのだ。 自分が我慢すれば良いという状況でも居られないのに、今、支えが一番欲しい時期なのに、傍に斎藤さんが居ない・・・。 斎藤さんが傍に居れば、過酷な環境でも生きていけると思っていたけれど・・・。 「はじめさん・・・。」 一人で小さな子供二人を抱えてのこの環境、いくら手紙で近況を知らせてくれると言っても、いくら後どのくらいで帰ると教えてくれても、心が折れそうになる時もある。 届けられた手紙を握り締めて、縁側に座って外を走り回る蒼を眺めながら、ぐずる海を抱きかかえてあやす。 けれど、こんな時ほど斎藤さんを思い出す。 海が生まれて、斎藤さんは本当に喜んでくれた。 あの時の笑顔を思い出して寂しさを紛らすけれど・・・。 最近、蒼の笑顔が斎藤さんに似てきている。 瞳の深さ、顔立ち、目つきがとても似ていて・・・、愛しさと共に寂しさが混じってしまう。 そんな複雑な気持ちを子供なりに察しているのか、最近ではあまり近寄ってべったりと甘えてくることがなくなってしまった。 海が居るから遠慮をしているのかと思ったのだけれど、斎藤さんが帰ってきている間、ずっと二人の間をべったりとくっついて回ってきた蒼を見て、違うのだと悟った。 まだ数えで五歳にしかなっていない子に遠慮をさせてしまうなんて・・・、年ばかりとって、中身が全然成長しない自分に腹が立った。 自分は二人の子供の親なのだから、子供に心配させて、気を使わせて、なんて最低なんだと思った。 だから、なるべく笑顔で蒼に接するのに・・・。 子供は本当に敏感だ。 笑顔のどれが本物でどれが偽者か、敏感に感じ取っているのだ。 「あと一月・・・。」 斎藤さんの手紙には、帰ってくるまであと一月はかかりそうだと書いてあった。 仕事が貰えるかも知れない、そうしたら帰ってくるから・・・と。 「あと、一月も・・・。」 ぐずったまま、泣き止まない海を抱きしめていると、自分も泣きたくなってくる。 蒼は時折こちらを伺って、そして少しずつ遠くまで走っていく。 「蒼!あんまり遠くに行かないで!」 行かないで・・・、遠くに行かないで・・・。 蒼に言っている言葉なのに、まるで斎藤さんに言っているようで・・・。 蒼が海くらいの時に、斎藤さんが迎えに来てくれて、ここ斗南に来たのだ。 自我が芽生えてきて大変な時期に、一番頼りになる斎藤さんが来てくれた。 それまでも、お婆ちゃんや三太、それにおじさんおばさん、一太さん夫婦、子供たち、みんなが居たから寂しくなかった。 だけど今は、蒼と海しか居ない。 隣近所に頼りになる人たちは居るけれど、みんな自分のことで精一杯な部分もある。 相談は出来るけれど、迷惑はかけられない。 もうすぐ、初雪が降る時期が来てしまう。 斗南の初雪は、会津よりも更に早い。 雪が降ってしまうと、本当に何も出来なくなる。 その前に、暖をとるための薪を集めなければいけないし、食べ物の確保もしておかなければ。 さまざまな事をしておかなければいけない。 去年は、放浪をしていた斎藤さんも、この時期は帰ってこられたのに・・・。 斎藤さんが居ないことばかり考えてしまって、本当に今の自分は駄目だと思う。 思うのに、考えることを辞められない。 苦しさに息が止まってしまいそうになる。 ・・・・・・そう言えば、斎藤さんの事を心配して自分が落ち着かなかった時、蒼がずっと、寝るまで泣いていた。 自分の気持ちを感じ取って居たんだと分かっている。 今、海もそうなのだろうか。 自分の痛みを感じ取って、ずっと泣いているのだろうか。 だとしたら、本当にしっかりしなくては・・・。 「海、大丈夫だよ。そりゃ泣きたい時もあるけど、海と蒼が元気と笑顔をくれるから、かかは幸せなんだよ。」 抱えなおして立ち上がると、草履を履いて遠くに走っていこうとする蒼の下へと歩み寄りながら、ゆっくりと海を揺する。 「蒼!そろそろ日が落ちて寒くなるから、おうちの中に入ろう!」 「やだ!」 「風邪ひいちゃったら困るし、暗いと何も見えなくなっちゃうから。」 「おうちの中には行かない。」 「何で?」 「・・・・・・。」 何で?と聞くと、ジッと地面を見つめて黙り込んでしまった蒼の元へと辿り着くと、目の前にしゃがみ込んで瞳を見つめた。 俯いている顔から微かに見える瞳が、暗く翳っているように見えて、少し動揺してしまった。 大人びた表情をするようになった蒼に、そんな風に早く成長しようとする蒼に、そうさせてしまっている自分に・・・。 申し訳無さで胸が締め付けられてしまう・・・。 「蒼・・・。」 蒼の頬を優しく撫でると、木枯らしに吹きさらされていたのであろう、冷たくて真っ赤になっている。 未だに腕の中でぐずっている海の頭を蒼が撫でてくれる。 そんな蒼を腕の中に抱きいれると、蒼が突っ立ったままされるがままになって、けれど前みたいに自分からも抱きついてきてくれないことに寂しさが溢れてきた。 「蒼、かかに教えて。どうして家に行きたくないの?」 「・・・・・・。」 けして口数が少ないわけではないのに、こうした肝心な心のうちを曝け出すことは得意ではないらしい。 まだ五歳だ、自分の心をどう言葉で表現したら良いのか分からないのだろう。 けれど、自分も斎藤さんも、本心を、特に苦しいという部分を押し隠してしまう傾向がある。 しっかりと受け継いでいるのかもしれないと思ってしまう。 「何て言ったらいいのかが、分からないかな?良いよ、かかは待ってるから。」 「・・・ちがうよ。」 「分かってるの?」 「うん。」 「じゃあ、教えて。」 「だめ。」 「蒼・・・・・・。」 すっかり参ってしまう。 蒼の事を理解してあげることが出来なくて、小さな身体を寒さで震えさせながら拳を握り締めて俯く我が子を、ただ抱きしめることしか出来なくて・・・。 「あーお・・・。お願い、かかは、蒼が風邪ひかないか心配なの。寒いし、もう夜になっちゃうし・・・。」 栄養もきちんと取れていないだろうから、風邪をひいてしまったらすぐに悪くなってしまうと思うから・・・。 「だから、帰ろう。おうちに帰って、温まろう。そして、明日になったら、薪を取りに林まで行こうね。」 「・・・・・・。」 握り締めた拳を、抱きしめている腕にそっと重ねて握ってきて、蒼が小さく頷いた。 「有難う。」 腕を握ってくれる小さな手を握って、三人で家に帰ると、すぐに囲炉裏に火を起こした。 蒼は、火を見つめたまま、じっと黙って座り込んでいるだけだった。
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