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鳥が鳴いている。 物凄く大量の鳥が・・・・・・。 れいは店内を見回して、その鳥の喧しさに嘆息した。 その鳥の名は『閑古鳥』 そう。要は静かで、全くお客が来ないのだ。 江戸に居た頃は、それこそ引っ切り無しにお客さんが来て、お客さん同士で喋り捲って帰っていった。 新たにお店が出来ると、みんなが腕を確かめに出向き、気に入ると入り浸り、気に入らなければ帰ってくる。 髪結い処自体、それほど多くは無かったために、新店と言っても、どこどこの店の誰かが暖簾分けをして店を出した!というような感じで、情報はすぐに飛び交ったし、全く知らない人間が始めることなど無いのだ。 けれども・・・。 自分は、京では全くの無名の新人だ。 誰も自分を知らないし、自分の腕も知らない。 髪結い処を出すためにやらなきゃいけない手続きはしっかりと済んだのに、お客さんが来なければ何も意味が無い。 そして・・・・・・。 条件付の物件の、その条件すら一切顔を出してこない。 そこまで露骨に嫌がらなくても良いと思う・・・。 れいは、入り口から見える場所に座り込んで、外を眺めた。 一応、女髪も結える。だから、遊郭を渡り歩く『廻り髪結い』でも良かったのだけれど、京の遊郭は、江戸の遊郭よりも敷居が高い気がして、その敷居をくぐって他の髪結いの仕事を取る度胸も無かった。 つい先日、土方さんに言われた言葉が胸を過ぎる。 『ただの度胸と勢いしかないような女で、てんで無策』 たしかに、そうかもしれない。 しかも悪いことに、その度胸すらも無くなった今、あるのは『勢い』だけになってしまった。 そんなんじゃ、何も無いのと一緒だ。 「はぁ・・・。」 本日、何度目かの溜息。 これでは、家賃の心配は無くても、そのうち飢え死にしてしまう。 「おい。」 突然、暖簾越しに声を掛けられて慌てて立ち上がる。 「はい!いらっしゃ・・・・・・」 言葉が途中で途切れて、渋面になる。 それを見咎めて、相手も渋面になる。 「お客に向かって、何て顔しやがる!」 「え、お客さんとして来てくれたんですか!?」 それならどうぞ!と、暖簾の奥へと招き入れる。 その渋面の主、土方さんは、店内を見回して不敵に笑う。 「暇そうだな。」 「ええ、お蔭様で。」 相変わらず、嫌味しか口から出てこない。 仕返しの一つもしたくなる。 「土方さん、そのなっがい前髪バッサリ切って、月代お作りしましょうね。」 月代は、前頭部を丸く剃ってしまうことだ。 れいは剃刀を手に、ニッコリと笑って土方さんに近づく。 「馬鹿野郎!客の要望通りの髪型にすることが出来て、初めて一流と言えるんだろうが。自分のやりたいことだけやってるなんざ、そんなのは二流でもねぇ、三流の屑だ。」 「冗談の通じないお人ですね、全く・・・。」 呆れて肩をすくめながら、改めて土方さんに向き直る。 「で、どうしますか?髪の毛を切りたいの ?それとも髭のお手入れ?耳かき?全て?」 「全てだ。だが、月代は入れるな。髪は毛先を整えるだけでいい。」 「はい、承りました。」 れいは土方さんの頬に触れて、少し伸びている髭を剃り始めた。 「土方さんの肌、きめが細かいですね。あまり髭を剃りすぎると荒れるでしょう?」 「ああ。」 剃刀を頬に当てているので、頭を動かさないようにしながら返事をする。口も動かせないので、自然相槌だけになる。 「眉毛も整えておきますね。」 「ああ。」 「普段あまり手入れされていないでしょう?」 「ああ。」 「男性も、身だしなみは大事ですよ。いくら忙しい身の上でも、自分で出来る範囲はこなさなければ。それか、可愛い奥さんを貰うとかしたほうがいいですよ。今時、奥さま方だって、月代は剃れるんですから。」 「だから!」 「あ、動かないでくださいね。」 「・・・・・・。」 土方さんが反論をしようとすると、すかさず動かしづらくなるような場所を剃り始める。 あまり人の言うことに耳を貸さなそうな人なので、何となく言い聞かせてみたくなるのだ。 「月代は剃らないんですよね。別に良いですよ、そんなのは。でも・・・・・・、この髪の長さはお洒落ですか?無精ですか?」 「・・・。」 「どっちかというと、無精ですよね?」 顔を剃り終えて、姿勢を変えてもらう。 髪を結わく紐を外すと、ストンと落ちて、一度広がり、そのまままとまって落ち着く。 「無精の割りに、髪の毛の質がすごく良いですね。」 「お前、一人でベラベラと、煩いぞ。」 「いいじゃないですか。ずっと一人だったから、たとえ土方さんでも、話し相手が居て嬉しいんです。」 「たとえ俺でもって、お前なぁ・・・。お前のは会話じゃねぇ。独り言を聞かされてる気分になる。」 「話しかけてたじゃないですか。」 「俺は返事をしてねぇ。」 「無言の肯定ですよね。」 「お前ぇ!!」 急に土方さんが振り返って、手に持っていた髪の毛が滑り去っていく。 その勢いを殺せずに、剃刀はれいの指に当たって止まった。 「あ・・・。」 刃が当たっている部分から、じわっと鮮血が滲み出てくる。 「悪い!!」 土方さんがれいの指を掴んで、血管の根元を強めに抑えてくれる。 「ああ、大丈夫ですよ。これくらいは慣れていますから。それに、見た目ほど深くないんですよ。よく切れる剃刀は治りも早いですし。」 焦る土方さんとは対照的に、れいは淡々と語ると、指についた髪の毛を払って、傷口を口に含んだ。 着物の合わせ目に差しておいた白い布を出して、少し刃を入れてから裂く。それを指に巻いて止血する。 そこでやっと、土方さんの指を離してもらった。 「止血、有難うございます。おかげで出血が少なくて済みました。」 微笑んでお礼を言うと、土方さんが微妙な顔つきをしている。 「どうしたんですか、変な顔をして・・・。」 「いや・・・。」 「気にしないでくださいよ?」 「悪かった・・・。」 あまりに申し訳なさそうな声を出すものだから、れいは思わず笑ってしまって、土方さんに睨まれた。 「お前、人が謝ってるってのに・・・。」 「本当に、気にしないでくださいよ。これくらいのこと、結構あるんですよ〜。」 れいは布を巻いた自分の指を振ってみせる。
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