空の蒼
秋深まる八月の終わり。 れいは暖簾をしまうために店外へと出ると、大きく伸びをした。 暑かった夏が去り、風が涼しくなる秋が来た。 日が落ちるのがぐっと早まり、営業時間が減ってしまうのは残念だが、春と同じで、秋は好きだ。 店の前を常連さんが通って、手を振ってくれる。 手を振り返して、暖簾を持って店内にしまう。 店を閉めると、家の奥へと戻る。そこには、桜井さんがのんびりと寝そべっている。 「今日はもう終わりか?」 「はい。日が暮れてしまって、見えないですから。」 「そうか、ご苦労さん。」 そう言うと、重い腰を上げて起き上がると、卓の上に肘をついて頬杖をつく。 「さて・・・、俺は仕事に行くが、大丈夫か?」 「え、仕事・・・ですか?何か極秘で承っていたんですね。」 「あ?ああ。そうだ。行ってくるよ。」 「夜ご飯は?」 「いらん。」 「分かりました、行ってらっしゃい。」 桜井さんが、小さく手を上げてから草履を履いて家を出て行く。 最近、こうして夕方れいが店を閉めると、出ていくことが多くなった。 前は、一月に一度くらいだったのが、一月に二度になり、三度になり、最近では頻繁に出かけて行く。 仕事だ…と言うけれど、怪しいことこの上ない。 土方さんに確認をしたが、やはり仕事など嘘のようだ。 ここ最近ずっと思っていたが…、今日こそ決行の日だ!と勝手に決めて、追いかけてみることにする。 最近は辻斬りが流行っている。暗くなる前に帰ってくれば問題は無いが、暗くなるのには後半刻も無いだろう。 携帯出来る灯りを巾着にしまい込むと、そっと家を出る。 桜井さんはのんびりと歩いている。周りを気にした様子も無く、極秘任務を受けているような緊張感を感じない。 最近は、新選組への密書も書いている様子は無い。 そして、最大に気になる事が有る…。 金庫にしまっておく金子が、減るのだ…。 桜井さんが出かける度に、減っている。 だが、下手な事は言えない。だから、確認をするまでは何も言わない。けれど、確認をしたならば、土方さんに報告をさせてもらおうと思っている。 戒律の厳しい新選組だ。切腹沙汰になってしまうかもしれない。 あまり仲良くなれてはいないが、それでも一年近く一緒に過ごしてきた。 一年近く毎日一緒に居たのに、仲良くなれなかった事の方が驚きなのだが…、もし本当にお金を勝手に持ち出しているなら…、仲良くなれなくて当然だ…。 が、切腹されるのは、あまり気持ちの良い事では無い。 持ち出したお金が返ってくればそれで良い。そして、お金の使い道次第では、見逃さないでも無いのだが…。 れいの期待通りにはいかなかった。 桜井さんは、陰間茶屋へと入って行った。歓迎ぶりが激しく、通いつめているのがよく分かった。 「やぁ、桜井はん!よう来てくれはったなぁ。」 外で客寄せをしている親父に肩を抱かれて店内へと消えていく桜井さんを見て、れいは目を伏せた。 女に興味の無い人を父親代わりにして貰ったが…、陰間を買うのに人のお金を遣うような男は困る。 島原通いと同じ事じゃ無いか…。 桜井さんが座敷へと上がっていくところまで確認をして、家路を急ぐ。 薄暗くなりかけた空は、橙色と蒼が溶け合って、見事な景色を作り出している。 家路を急ぐ人達に混じりながら、れいも早足で歩きながら空に魅入る。 秋の空は澄んでいて綺麗だ。この蒼は、斎藤さんの瞳の深さを思い起こさせる。 少しだけ立ち止まって空を眺めて、蒼だけに包まれる太陽に微笑みかける。 斎藤さんには、月に一度会えるか会えないかだ。恋人になったとしても、それは変わらない。むしろ、情勢が悪化する程に会えなくなる…。 ここ最近は、山崎さんすら来れなくなってきている。 桜井さんが居るから、来れなくても問題が無い、という事なのだろうが、それだけ新選組が忙しいという事なのだろうか。 相変わらず、新選組が何をしているのか教えてもらえないが、活躍したなどとあまり聞かない。 活躍の場を与えてもらえない、と斎藤さんがこぼした事がある。 与えてもらえないなら、奪い取るだけだ!と、土方さんなら言うのだろう。 夜半の辻斬りの為に、夜の巡察を強化して居るとも聞く。 仕事を与えてもらえなくても、やる事はいっぱい有るのだろう。 ならば、自分も役に立ちたい。面倒ごとを自分が増やすなど、申し訳ない…。 桜井さんの件、どうするべきか…。すぐに相談をするべきか、保留するべきか・・・。 思考がそこに戻る。 最初はすぐにでも相談しようと思ったけれど、今の彼らに面倒ごとを持ち込みたくなかった。先の将軍家茂公が亡くなったばかりで、新しい将軍も未だ決まっていない。 彼らの毎日が変わらないとしても、心痛の種を増やすのは気が引ける。 太陽の橙が家の屋根に隠されてから、れいは残りの家路を急いだ。
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