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しばらくの間、そうして天井を睨みつけていた。 何が起こる訳でもないが、見つめ続けた。 瞼を閉じると、開いている時よりも鮮明に、花びら舞い泳ぐ池が思い浮かぶ…。 どれだけそうしていたのか、短い時間だったのか、長かったのか、それすらもわからない程に麻痺していた。 そこへ、外から斎藤さんが声をかけてきた。 「れい、起きているか?」 「はい。起きてます。」 「入るぞ。」 斎藤さんが、そっと告げてから襖を開ける。 肘で身体を支えながら起き上がろうとしているれいを見て、駆け寄って支えてくれる。 「斎藤さん、お帰りなさい。」 その腕の中へ、わざと倒れこむと、斎藤さんが優しく抱きとめてくれる。 「ああ。…ただいま。」 あまり表情を動かさない斎藤さんの感情を読み取るのが上手くなったと思う。 目線を少しだけ泳がせているのを見て、思わず笑ってしまう。 「なんだ?」 「斎藤さん、今更そんな、これ位で照れるなんておかしい。」 「照れている訳では…。」 「じゃぁ、嬉しい?」 「むっ…。」 斎藤さんが言葉を詰まらせて、視線を反らす。 どうやら、図星らしい。 「ふふっ。私も嬉しいです。」 斎藤さんの手を取り、自分の手と合わせて、指を絡める。 「今日は、もうお仕事は終わりですか?」 「うむ。この後は己を鍛錬する時間だ。」 「己の鍛錬…?」 あまり馴染みの無い言葉に少しだけ唖然とする。 「あの、斎藤さんて、普段何をしているんですか?」 新選組という仕事をしているのは知っている。 けれど、巡察以外に何をしているのか実は知らない。 「鍛錬と、巡察、組下の者と稽古をしたり、時には捕物に出かけたりする。」 聞けば、何やら刀剣沙汰ばかり。 斎藤さんに体重をかけて寄りかかり、握り締めた手を額に当てる。 「よく分からない…。」 「分からない…とは?」 「なんか、そんなに刀ばかり握って、面白いのかな…。」 「面白いかどうかはともかく、それが武士たる者の勤めだ。」 至極真面目に答える斎藤さんが、少しだけ気分を害したのを感じた。 前ほど怒らせてしまったことに恐怖を感じなくなったけれど、後味は悪い。 「そうですね。仕事ですものね。」 男と女では、仕事に対する考え方が大きく違う。 武士に関してはそれが顕著に現れる。 商人である自分とは、感覚が違いすぎるのかもしれない。 「れいは、毎日何をしている?」 「私は、お店を開いて、遊廓から呼ばれたら行って、帰ってきてまだ時間があればお店を開けて、日が暮れたら閉めて、食事をして、寝ると。」 「面白いのか?」 一瞬嫌味かと思ったけれど、斎藤さんの表情は至って真面目で、わざわざ嫌味を言うような人柄では無い事を思い出す。 「そうね、確かに。面白いのかどうかはともかく、仕事ですものね。」 仕事に対する考え方が違っても、姿勢は大して違わないのかもしれない。 「仕事に生きるって、言葉で表すとなんだかつまらない物なのね。」 れいが溜息を洩らす。 憂えた表情をするれいに、斎藤さんが疑問を投げかける。 「れいは、仕事が好きでは無いのか?仕事をしている時のお前は生き生きしているが。」 生き生きしている…。確かに、嫌いではないから続けられる。けれど、生きるための術であって、やらなければ良いなら、別にやりたくも無いのかもしれない。やらなくて良いと言う選択肢が今まで無かった為に、あまり深く考えたことが無かった。 「なら、斎藤さんは武士の勤めは好き?」 「…。好きかどうかで考えたことは無かったが…、これが無ければ生きてはいけなかったかもしれぬ。」 「生きていけない?武士として、新選組で生きている方が、生きていけなくなる確率が高い気がするんだけれど…。」 人は、どんなことで死んでしまうか分からない…。それなのに、武士と言うのは、死に向かって走り抜けるような仕事だと思う。 仕事…? 「武士が仕事っていうのは、やっぱり少し違うわよね。武士は身分・・・。じゃ、武士の仕事って何?」 「人を斬るのが、武士の仕事だ。」 「人を斬るのが・・・・・・。それは、命令次第ではなく・・・?」 「状況如何で、如何様にも変わるだろう。今の俺は、新選組、そして幕府に逆らう者を斬る立場に居る。」 「斬る立場って・・・・・・。」 そう聞くと、なんだか物騒でしかない。 しかし、確かにそれが武士の仕事なのだろう。 自分の主次第で敵が変わる。昨日の敵が、今日の友になることも、今日の友が明日の敵になることもあるのだろう。 それを、主の命令だから・・・と、己の意志と心を押し込めて仕えるのが武士・・・。 「自分の信念と違うことをしろと言われたら?」 「それが、主の考えならば・・・。」 「主が、馬鹿だったら?」 「ならば、主を諌めるのも俺の仕事だ。ただ、俺が考える以上の深さまで考える土方さんのことだ。心配はあるまい。」 「なんか、武士って、職業や仕事じゃ無くて、生き様みたいなもの…なのかしら。」 れいの呟きを聞いて、斎藤さんが目を瞠る。そして、れいを強く抱きしめてきた。 「さ、斎藤さん?」 抱きすくめられて、頬に口付けをされる。 斎藤さんからの口付けは、いつも突然で思わず顔に赤みがさしてしまう。 「どうしたの、突然?」 「信じていたものを、また一つ確認できた。有難う。」 「え、何?意味が分からない…。」 「いや、いいんだ。」 れいを抱きしめる腕に力を込めて、斎藤さんが今度は唇に口付けをくれる。 それを受け入れながら、絡める指の力を強める。 こうして、お互いを確かめ合う様に何度も口付けを交わす様になった。 それなのに、最後の一線が超えられない…。 斎藤さんは、その一線に気づいているのだろうか…。 唇を解放すると、斎藤さんがれいを布団に横たえてくれる。 「あまり冷やすと良くない。まだ、熱が下がったばかりなのだから。」 「斎藤さんの熱で暖まってましたよ。」 「しかし…、もう行かねば。」 れいは、斎藤さんの照れた表情を見ながら、むうっと口を尖らせた。 「つまんない…。もっと一緒に居てくれればいいのに。」 「すまん。」 何を言っても、仕事第一だ。斎藤さんと言う武士は、無粋で、純粋なのだろう。 「また後で来てくれる?」 「ああ。約束しよう。」 「じゃ、行って良いですよ。待ってるから。」 笑顔で告げて、斎藤さんを送り出す。名残惜しそうに何度か振り向いてくれたことで、心が軽くなる。 相変わらず、簡単な女だな…と、自分でも思う。 襖が閉まると、遠くから走り寄る足音が聞こえて来た。 「斎藤!やっぱりここだったか!」 どうやら永倉さんらしいと、声で分かる。 「どうした、そのように慌てて。」 「これから捕物だ!さっき捕まえた男が吐きやがった!行くぞ!」 「ああ。分かった。」 やり取りが聞こえて、そのまま足音が遠ざかる。 捕物…。 と言うことは、また斬り合いになると言うことだろうか…。 遊廓での出来事を思い出す。 自分に振り下ろされる白刃、そして、それを自ら身を投じて守ってくれた斎藤さんを…。 また、ああして斎藤さんは自ら飛び込んで行くのだろう…。 それを、自分は何度、待つ事が出来るのだろう…。 心が先に疲弊してしまうか、斎藤さんが消えてしまうのが先か…。 そんな、悪い想像しか出来なかった。
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