残花
まる二日間眠っていたれいも、起き上がって動けるようになった事件から四日後。 れいは、未だに痛む足を引き摺りながら、土方さんの部屋へと訪れていた。 土方さんの部屋は書類だらけで、自分が入ってはいけない部屋だとすぐに分かった。 が、そんな事は無視して、机の上で書き物をしている土方さんの背中に寄りかかって、のんびりと障子を眺める。 「おい、良い加減出ていけ!」 土方さんの怒声が後ろから聞こえてくるが、無視する。 わざと更に体重をかけて寄りかかると、土方さんが机に腕をついて身体を支えた。 「お前が居たら、仕事が出来ないだろうが!」 「じゃあ、しなければ良いんだ。」 近くにあった本を手に取って中を覗く。 情報を伝える為の文字の読み書きなら出来るが、生活の範囲外の学はあまり無い。 その本はどうも難しくて、頭には全然入ってこない。 けれど、手持ち無沙汰に開いては、戻す、を繰り返していた。 「俺が仕事をしないで、誰がやるんだよ!」 「誰か居ないの?」 「いねぇよ。」 「ふぅん…。」 土方さんが背中を押し返して来る。 前屈しながらそれを受け流す。 「何でここに居やがるんだ!」 「ここが一番安全だから。」 れいがそう言うと、土方さんが盛大に溜息をついた。 「屯所内で危険も何も有るかよ。」 「有るのよ、それが。誰かしらが来るのよ、部屋に。」 「はぁ!?」 「原田さんや永倉さん、藤堂さんが、斎藤さんが居ない時を狙って遊びに来るの。」 「あいつら…。」 「別に、本当に心配して来てくれてるだけなんだろうけど…、それを見つけると、斎藤さんが怒るのよねー…。」 「なんだ、惚気なら他所でやれ。」 れいの話を聞き終えて、土方さんが手を振る。 「まあ、冗談はさておいて。」 「冗談!?どっからどこまでが冗談だ。お前の話はよく分からん。」 土方さんが振り返ると、寄りかかっていた背が曲がり、そのまま横に倒れる。 腕で身体を支えて、ちょうどそこが先日の傷痕だった…。 「いったー!!」 腕を抱えて蹲ると、土方さんが呆れ顔で上から覗き込んで来る。 そして、溜息一つ吐いて、前髪をかきあげる。 「馬鹿が。」 「いきなり振り向くからじゃない!」 「寄りかかってる方が悪いだろ。」 「だって、まだ起きてると疲れちゃうんだもん…。」 「だったら!さっさと寝ろ!」 寝たら、夢を見る…。それが嫌で起きているのだが、部屋に一人だと落ち着かない。 「原田さんや永倉さん、藤堂さんは気を遣って声をかけてくれるけど、中までは入ってこないのよ。だから、詰まらないんだもん。」 「千鶴とでも話してろ。」 「千鶴ちゃんも、忙しく立ち働いてるわよ。偉いわねー。鬼の副長の力になりたくて必死よ!健気だなぁ。」 「別に、俺の力になりたくてやってるわけじゃねぇだろ。」 土方さんが、寝転がって腕を抱いているれいの方に改まって向き直る。胡座をかいて、腕を組んで見下ろして来る。 その顔を見て、思わず口の端が上がってしまった。 「何笑ってやがる!」 「いえいえ。随分大事にしてるなあーと思って!」 「何がだ!」 「千鶴ちゃんのことをです。今、ちょっとだけ照れていたでしょ?自分でも気付かなかったみたいだけど。」 「んなわけ有るか!馬鹿者。」 土方さんが盛大に顔を歪ませて凄んでくる。 綺麗な顔立ちに睨まれると怖い。けれど、今はただの照れ隠しにしか見えなかった。 「いい加減、帰れ!」 襖を指差して、低い声で告げてくる土方さんの腕を掴んで上体を起こすと、その前に座り込んだ。 足首の捻挫もまだ完治しないが、擦り傷の方はだいぶましになっている。横座りくらいはできる様になった。 「そうそう。帰る事について、お願いがあって来たんです。」 「はぁ?」 土方さんが、顔で『だったら最初にそう言え』と告げてくる。 「髪結い処には、いつ戻れるの?」 「いつでも帰っていいぞ。厄介ごとはさっさと無くすに限る。」 少しだけ胸が痛むほど、即答された。 もう少し居ろ、とか、言ってくれても良いのに。とは思うけれど、言わない。 「隊士の中に、秘密が守れて、私の父親位の年齢か、そう見える位の容姿で、女に興味の無い人って、居ないかな?」 「はあ…。そいつを父親と偽って、店に置くのか?」 「さすが土方さん!話が早い!」 れいが両手を叩いて、その衝撃で痺れる傷痕を恐る恐る撫でるのを渋い顔で見ながら、唸る。 「女に興味の無い男ったって…。」 「だって、新選組って、衆道が流行っているって聞いたから。居るでしょう。」 途端に、土方さんの顔が嫌悪に歪む。 衆道とは、武士にとっての真の恋、男同士の関係のことだが、どうやら土方さんは衆道は嫌いらしい。 確かに、土方さんくらいの美形なら女に困らないだろうが、すべての人間がそうという訳では無いのだ。 しかも、男だらけで、遊び歩く事も叶わない新選組の中にあって、流行らない道理はない。 その道が平気なら、自然と流れるものなのだろう。 「刀を使えなくなっちゃった様な人で良いの。用心棒としておく訳じゃないから。ただ、男が店にいるだけで、今までみたいに好き勝手する客は減ると思って。」 最後に、『山崎さんはほとんど居ないし…。』と付け加えると、土方さんが鼻に皺を寄せて舌打ちをした。 「考えるだけ、考えてみる。こっちも、いい加減お前だけに構ってなんか居られないからな。」 土方さんが頭を掻きながら言うと、さっさと背中を向けてしまった。 話は終わり、と背中が告げたいる。 「じゃ、今日にでも帰ります。後日、結果を教えて下さい。」 そう言うと、挫いていない足を器用に使って立ち上がる。 少しだけよろめくが、両手を伸ばして平衡を保ち、そっと歩き出す。 「まだ松本先生の所にも行ってねぇのに、帰す訳にはいかねえ。もう少し大人しく屯所に居ろ。いいか、部屋からはなるべく出るなよ!隊士たちに見つかったら大事だからな!」 土方さんの言葉に、れいは思わず笑顔になってしまう。 先ほどはさっさと帰れ!と言ったのに、実際は、きちんと心配されていたのだと実感する。 「はぁい。気をつけます。」 そう言って、ひょこひょこと遅いが、確実に部屋を出て行こうと頑張る。
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