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蹲って嗚咽をあげていると、不意に後ろから声をかけられた。 「どうした?派手に転んでいたが、大丈夫か?」 大きくて朗らかな声に驚いて振り返ると、そこには人の良さそうな笑みを浮かべた、口の大きな男性が立っていた。 警戒心を抱かせない雰囲気を不思議に思いながら、れいは小さく頷いた。 「痛かっただろう、怪我はしてないか?」 再び、小さく頷く。 「そんな荷物を抱えて、旅の途中か?」 旅の途中・・・?少しだけ考えて、首を振る。 旅はここで終わりだ。終着点は決まっていないが、もうどこかに移動する気は無い。 「こんな若くて可愛らしい女子が一人で川辺で泣いていると、悪い男に捕まってしまうぞ。」 相変わらず蹲っているれいの横に腰を落として、目線を合わせてくる男性。 そう言う自分は、悪い男じゃないのか・・・?と思う。けれど、どうしても警戒心が起こらない。 不思議な人だ。 全身から、良い人の空気が漂い出ている気がする。 「俺は、壬生浪士組の近藤勇だ。」 「あの・・・、れいと申します。」 「そうか、れい君か。家は近くか?」 家を聞かれて、再びれいの眉がへの字になる。 「何だか訳ありのようだな。どうだ、俺に話してみないか?」 「い、いえ、そのような訳には・・・。」 「あぁ、気にしなくて良い。」 このおせっかい気質と、喋り方。 「あの・・・、江戸の方ですか?」 「ん?なんだ、分かってしまうか?」 「ええ、私も江戸ですから。」 「おお、そうかそうか!同郷のよしみだ。どうだ、屯所で一杯お茶をご馳走しよう。そうすれば、足の痛みも和らぐぞ。」 「いえ、大丈夫です。もう、だいぶ落ち着きましたから。」 「何、気にすることは無い。ささ、遠慮なく来ると良い。男所帯のむさ苦しい所ではあるがな、家主の八木さん宅ならば、女子でも安心して寛げるだろう。俺たちの部屋などよりよっぽど清潔だし、家族で住んでいるから女人も子供も居る。少しは気が落ち着くだろう。」 近藤さんはれいの手を引っ張って、大股でぐいぐいと進んでしまう。 大きな手の暖かさと江戸で慣れ親しんだ強引さに、懐かしさと戸惑いを覚えながら、成す術もなく引き摺られて行く事となってしまった。 それに何より、こけた痛みだけでなく、心の痛みまで見透かしていた近藤さんという人物の大きさに、少し感動していた。 朗らかさと相まって、無骨で無神経そうに見える雰囲気からは想像できなかったけれど、意外と細やかで気配りが出来る優しい人なのかもしれない。 けれど・・・・・・。 見知らぬ人に連れて行かれるのは、警戒心を抱かせない近藤さんだとしても、怖いものがある。 「あ、あの、近藤さん?もう大丈夫ですから、本当に大丈夫ですって!」 「すぐそこだ。ああ、ほら見えてきた。」 「あの、か、帰ります!!」 「お茶を飲んでからで良いだろう。遠慮はいらんぞ。」 「そうじゃなくて!」 近藤さんの手を離そうともがいてもビクともしない。 壬生浪士組というのを、れいは知らない。知らないけれど、腰に差した二本の刀が、浪士の集団だと物語っている。 その浪士の集団の家主ならば、きっとヤクザ者みたいな人物なのだろう。 れいは想像して、思わず顔を青くする。 しかし、そんなれいに気づかずに、近藤さんはどんどんずんずん歩いてゆく。れいが小走りをしないとついていけないことにも気づかず、上機嫌で鼻歌などを歌っている。 次第に民家が多くなってゆき、その中の一軒を指差した。 「ほれ、あそこだ。」 母屋と、離れの家がある一軒の広い敷地を指差して、その門を見て大きく手を振る。 「トシ!なんだ、もう帰っていたのか!」 「近藤さん!一体どこに行ってやがったんだ?あんまり一人で出歩くなって・・・。」 駆け出す近藤さんに引き摺られながられいが門前に辿り着くと、そこには先ほど物件を奪われた憎き敵、土方さんが居た。 うわ・・・。 思わず顔中で「会いたくなかった」と表現してしまう。 土方さんは、そんなれいに気づいたのに見向きもせずに近藤さんに話しかけている。 「近藤さん、何してたんだ?」 「ああ、一人で散歩をな。どうだった、トシ、あの物件は押さえられたか?」 「ああ。上場だ。ありゃ、あそこまで準備しなくても大丈夫だったな。相手の女ってのが、ただの度胸と勢いしかないような女でよ、てんで無策で、泣き落としをかけてるつもりなのか知らんが、あんなんじゃ、誰も同情なんかしないだろう。」 そこにれいが居るのを分かってあえて言っている・・・。 れいは土方さんを睨んで、近藤さんに掴まれている手を両手で外しにかかる。 「おお、すまんすまん、痛かったか?」 「いえ、大丈夫です!一人で帰れますから!!本当にお世話になりました!!!」 近藤さんにお辞儀をして、土方さんを睨み付けて、れいは駆け出した。 「あ、いや、れい君!お茶を・・・!!」 「なんだぁ?近藤さん、あいつがどうしたってんだ?」 「何か訳ありのようでな、お茶をご馳走してやりたいんだが・・・、トシ・・・。」 近藤さんのお願いにはからきし弱い土方さんだ。 はぁ・・・、と盛大に溜息をついて叫ぶ。 「おい!斎藤!そいつを捕まえろ!」 大して早くもない足を精一杯動かして走っているれいの向かいから、一陣の風が吹いてきたと思うと、れいの足は宙を蹴り、視線が大地を捉えた。 「きゃ!!?」 縋りつく場所がなくて、手をバタバタと動かして安定を求めるが、何もしなくても堕ちる心配は無いようで、膝の後ろをしっかりと掴まれている。 どうやら持ち上げられている・・・と気づいたときには、再び近藤さんと土方さんの前に連れて来られていた。 「お前、近藤さんに近づいてどうする気だったんだ?」 「あなた、近藤さんとお知り合いだったんですか!!?」 二人が同時に言葉を発する。 その言葉で、お互いが危惧していたことが何でもなかったのだ・・・と安心する。 が、それとこれとは別だ。 「近藤さん、私、本当に大丈夫ですから。」 「いやしかし、同郷のよしみとして、お茶をしながら話を聞いて・・・。」 「そんな必要はねぇよ。こいつは今日、俺たちに物件を取られたんで不機嫌なだけだろう?」 「不機嫌?泣いていたんだぞ?」 「あぁ、近藤さん、そんなこと言わなくて良いんですって!」 「ほぉう・・・、泣いていた・・・ねぇ・・・。」 口の端を上げて、意地悪そうに土方さんが笑う。 「あんな無策で乗り込んできて、物件を借りられると思うほうが驚きだな。」 「半年分の家賃を出せるくらいなら、他の大きな場所を狙えば良いじゃないですか!」 「生憎と、あの場所が気に入っちまったんだよ。」 「止めんか、トシ!!」 尚も言い募ろうとする土方さんを一喝すると、近藤さんがれいの頭をポンと撫でてくれる。 「そうか、あの物件を狙っていたもう一人ってのは、れい君のことだったのか・・・。それは、悪いことをしたな。」 「いえ、もう良いんです。他の物件を探すだけですから。」 「そうか・・・。ならば、お詫びにお茶だけでなく夕食もご馳走しなくてはな!」 邪気の無い笑顔で告げられて、れいは愕然とした。 もう帰りたい、今すぐ帰りたい、ここから立ち去りたい、こんなに顔が訴えているのに、全く理解してらえていない!!? 近藤さんが、嬉しそうに母屋に向かって歩き出し、土方さんが不愉快そうに後を追って歩き出した。 そんな二人を見送り、後ろを振り返ると・・・、斎藤さんが無表情のまま見下ろしてきた。 「か、帰れませんか?」 そう聞くと頷かれた。 「諦めろ。局長がああ言った限り、副長は何としてでもそれを実行する。」 れいは仕方なく頷くと、斎藤さんに向き直った。 「あの、じゃぁせめて・・・、髪の毛に触らせてくださいませんか?先っぽだけで良いので・・・。」 驚いた表情で見つめてくる斎藤さんの返事など待たずに、れいはその柔らかそうな髪の毛を触りだした。 想像していたように、柔らかくてふわっとしている。 髪の毛を触っていると、落ち着く。 その安心したような嬉しそうな表情を見つめて、小さく笑った斎藤さんの顔にれいは気づけなかった。
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