翌日、れいは再び遊郭へと足を運んだ。
待っていた小雪太夫に、言い難いが葵屋甚兵衛の人となりを報告した。
が、それが逆に良くなかった…。
心変わりが確実ならば、取り返してこい!と…、無理難題を叩きつけられて、れいを天神の居る遊郭へと送り出したのだった。
どのように話が通っているのか分からずに、商売道具を持って屋敷に上がると、お母さんが出迎えてくれて、部屋に通された。
「なんや、七日間遊女体験やて?そないな事いわはるお人、初めてやし。」
「ゆ、遊女体験!?」
「へえ。小雪太夫に言われて、うちも仕方なく引き受けるんやで。そんなん、した事無いんやし。遊女のしきたりすら知らへん女店に出してるて、悪い噂されたらたまらんし、あんまり出しゃばらんでよ。」
「…。はい。」
出しゃばる訳が無い…。
遊女体験だなんて、何の嫌がらせだろうか…。いや、何のも何も、男をとられた腹癒せに決まっている…。
関わった事を後悔したが、もう遅い…。
こうなったら、早い所甚兵衛に来てもらうしかない…。そして、それは祈るしかないのか…。
れいは泣きそうになりながら、美しい着物を着付けられていく。
「その短い髪、どないしよ。あんたはん、髪結いやろ?自分で出来へんの?」
「あ、あの、付け毛で何とか、無難には…。」
「無難でええし。目立ってもろたら困るし、何とか形にしてや。」
お母さんはそう毒づくと、部屋から出て行った。そうして、しばらくしたら問題の天神が部屋に入ってきた。
天神は、小雪太夫とは違う儚い美しさを持っていた。
優しげな目元が印象的な、可愛らしい美人だった。
「あら…、新入り?」
「あ、あの…。」
「どうでも良えし。うちの邪魔はせんでね。」
「はい!勿論しません!」
「そう。」
髪結いとして天神の髪を結った事も有るが、化粧を施して着飾ったれいに気づいていない様だった。
結い上げ途中の髪は、短さが目立たない程度には完成していたのも良かったらしい。
れいはホッと息を吐き出して、準備を整えた。
客待ちの部屋で、皆が窓の外へ愛想を振りまいている中、れいは目立たない場所で外を眺めて甚兵衛が現れるのを待った。
しかし、その日は来なかった。そして、れいにも出番が来ずに、無事に一日を切り抜ける事が出来た。
そして翌日、同じ様に窓の外を見ながら目立たない場所に身を潜めていた。しかし、遊女達が出払ってしまった窓辺は、一人きりだと目立つらしい。れいが空いているのを目敏く見つけた誰かが、声をかけてしまったらしく、お母さんが目を釣り上げながら入って来た。
「れい、お客はんや。失礼したらあかんえ。」
「は、はい…。」
これでは、甚兵衛が来るのを見守る事もできない…、と窓の外に目をやると、そこに二日前に見た男の姿があった。店内に入り込んで来るところだ。
「お母さん、誰か来ましたよ。天神さんのお客さん?」
「誰か来たはった?ほな行かな。あんたはんの部屋は、二つ隣やし。早う行きや!」
「は…い。」
自分でも確認したかったが、お母さんの目がそれを許してくれない。しょんぼりと項垂れて、割り当てられた部屋へと向かう。自然と足が遅くなる。
誰かに買われるような身分にまで堕ちたつもりは無かったのだが…。
逃げ出そうか…。
そう思うと、斎藤さんの笑顔が脳裏に過ぎった。
それもこれも斎藤さんのためになるなら…。
どうせ、男を知っている身体だ。愛する人以外に抱かれた事は無いが、気持ちが無くても、行為はきっと一緒だ…。
たどり着いた部屋に入り、頭を深く下げる。
「りんと申します。」
小雪太夫が付けてくれた偽名を名乗り顔を上げると、そこには先ほどまで思い描いていた人物が居た。
「さっ!?」
名前を呼びそうになって、慌てて口をつぐむ。
こんなことをしているのを知られたく無かった。天神ですられいだと気付かない変貌だ。野暮な斎藤さんが気づくはずが無い。
「さ?」
不自然な言葉で止まったれいを眺めて、斎藤さんが繰り返す。
「さ、さ、先に何か食べますか?と、聞こうと…したんどす。」
しどろもどろになりながら、ばれ無いように京言葉を思い出す。
「いや、酒で良い。」
「そ、そうどすか。」
顔を俯けながら、襖を開いて、外にお酒を頼む。すると、禿が頷いて、すぐにお酒と簡単な酒肴を持って来てくれる。
その間に、バクバクと破裂しそうなほどに鳴り響く心臓を落ち着かせる。
禿から酒肴を受け取り、斎藤さんの前に置く。
「あの…、こう言う所は、よく来るんですか?」
「…いや。今日は仕事だ。」
「仕事ですか…、あ、そうどすか。」
少しだけ、ホッとする。
斎藤さんがこんな場所に出入しているとは思いたく無かった。違って安心する。
「こんな所に来るような仕事って、何でどす?…えっと、お名前は?」
「…一だ。」
「はじめさん…。」
何故、斎藤さんが、一と名乗ったのか、理由が分からなかった。けれど、これは間違え無いようにしなければ。
「ある人物を追っている。」
「ある人物を?」
「ああ。」
「誰です?」
「…。」
斎藤さんは、無言で見つめ返して来た。
「りん、と言ったか?」
「は、はい。」
斎藤さんが、れいの手を握り締める。そして少しだけ引っ張り、隣に座る様に促す。
お猪口を持ち上げて、自分の方に差し出す。れいは慌ててお銚子からお酒を注ぐ。
ぐぃっと一気に煽ると、再び差し出して来るお猪口に、お酒を注ぐ。
「慣れていないな。」
「は、はい。お客さんをとるのは始めてです、どす。」
「無理に京言葉で話さなくて良い。京出身では無いのだろう?」
「いえ、でも…。」
自分から進んで変装したときは上手く出来たのに、動揺が酷くて言葉を変えられない・・・。
「客の言うことがきけないのか?」
「はい、すいません。」
心無しか、斎藤さんの言葉が冷たく、棘を含んでいるように思えた。
「あの、…はじめさん、何か怒ってますか?」
「いや。」
再び空になった杯に酒を満たすと、斎藤さんがすぐに飲み干す。
「あの、あまり一気に呑まれると、身体に毒ですよ。」
「呑まないと、居られない。」
冷めた瞳で睨み付けられて、身体がすくむ。
「ふ、不機嫌…ですよね…?あの、私じゃ無い方に変えましょうか?」
それはそれで身が裂けるほど嫌なのだが、不機嫌な斎藤さんの前で、りんを演じ切る自信も無い…。
「お前で良い。」
斎藤さんに言われて、ホッとするのと同時に、緊張が走る。
今日の斎藤さんは、見たことも無いほど冷たく、研ぎ澄まされた刃の様だ…。
そう言えば、一昨日も不機嫌そうだったが、結局理由は聞けていなかった。
「あの、本当に、仕事中ならそんなに呑んではダメなのでは?」
「問題無い。ここに来たのは分かっている。」
「ここのお客さんをお探しですか?なら、協力しますよ?」
「いや、いい。女の手は借りない。」
「そ、そうですか…。」
方々から、喘ぐ声や歓談の声が聞こえる中、この部屋の中だけは静かでとても薄ら寒く感じる。
これが任務中の斎藤さんなのかと思うと、背筋が凍る。怖さと、これ程までに鋭くなるほどの仕事をしているのだと思う恐怖…。
一瞬でも気を抜くと、殺されてしまいそう。
「あの…。」
「なんだ。」
「仕事の邪魔になるので、帰ります。」
「お前は、呼ばれた意味を分かって居ないのか?」
虚をつかれたように、目を丸くする斎藤さんを見つめて、れいは首を振った。
「さ、はじめさんは、きっと何もしないです。ここに居る理由のために、私を呼んだんですね。でも、大丈夫です。お母さんには内緒にしますから、存分に探って行ってください。」
そう告げて立ち上がろうとすると、斎藤さんに手を引かれて顔を見つめられる。
「な、何ですか?」
「いや…。そんなはず、いや…。」
何やら口の中で呟いたみたいだが、れいには聞き取れなかった。
「ここに居てお酌をしろ。お前には手を出さない。初めての客がこんなで悪いが…。」
斎藤さんはそう言うと、お猪口を持ち上げた。
れいは微笑んで、それにお酒を注ぐ。
少しだけ、斎藤さんの雰囲気が柔らかくなった。
そして、遊郭に来ても女を抱かない、そんな斎藤さんにますますのめり込んでいく自分の心を手で押さえた。






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