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道がわかりづらい。 それが、京に来て始めに思った印象だった。 そして、人が冷たい…。 江戸から一人で出てきた身としては、この冷たさは身に染みる。 それでも、とうとうここまで来たんだ! れいは、一軒の家を見上げて微笑んだ。 髪結い処を営む為に、江戸から京にやってきた。 今までずっと、希望に叶う物件を探していたが、やっと見つかったのだ! 大通りに面していて、それなりに見目も良い。 奥には自分が生活出来る場所もあり、これ一軒で事足りる。 値段交渉が少し難航しているのが問題だ。 何でも、もう一人、この物件を狙っている人が居るらしい。 今日は、その人と顔を合わせて、どちらが借りるのか決着をつけるつもりで、予定を合わせてもらった。 大きく深呼吸をすると、目の前の物件に足を踏み入れた。 「ようこそ、おいでやす。」 家主が立ち上がって迎え入れてくれる。 その奥に、三人の男性が居た。 一人は綺麗な顔立ちをして居て、思わず目を奪われる。長い前髪を真ん中で分けて横に流している。さらさら、と音がするような綺麗な髪だ。髪結い屋としては、思わず触りたくなる程良い髪をしている。 そして、その隣に居る男性は、これまた長い前髪だった。その長い前髪を目元まで垂らして、邪魔じゃ無いのか?と思う。切るか結うかしてあげたくなる。少し表情が乏しいのか、何を考えて居るのか読み取れない。そして、横で一纏めにされた髪は、少しふわっとしていて猫っ毛なのかもしれない…と思う。 更に横に居る男性は、短い前髪に後ろも短めで、なのに襟足だけは長く、一括りに結っている、という少し変わった髪型をしている。最近の京では、こういうのが流行りなのだろうか?キリッと上がった眼からは真面目な印象を受ける。 家主がれいを彼らの向かいに座らせる。 れいは三人に向かって丁寧にお辞儀をすると、挨拶をした。 「れいと申します。この度は、わたくしの我儘に付き合ってくださり、有難うございます。」 「俺は土方と言う。こいつらはただの連れだ。交渉は俺だけで行う。」 最初に見惚れた、髪の綺麗な男性が答える。 土方と名乗ったその男性が、家主を見て、れいを見て、隣の男性に何やら指図をする。 と、隣の猫っ毛の男性が、懐から布に包まれた物を取り出し、それを広げる。 その中には、金子が入っていた。しかも、自分が見る限り、この物件を借りる額の何倍も…。 「この物件の言い値の半年分だ。とりあえず、これで先ずは半年、契約をしてくれ。」 「ええ!?そんなの、ちょっと待ってください!いきなりそんなの、ズルいですよ!この物件を譲って欲しくて呼んでもらったのに、何勝手にそっちだけで話を進めてるんですか!?」 「生憎と譲る気は無え。この物件を借りたいなら、俺らみたいに直接家主と交渉しな。」 「へぇ。ほんで、お嬢はんはどうされますか?」 家主の目が、商売人に良くある厭らしい目つきになる。 借りたいなら、もっと出せ…と。 「う…、上乗せして借りられるくらいなら、こうして交渉させてもらおうとなんてしません…。私には一月分出すのが精一杯なんです。でも、ここが良いんです!どうか、お譲り頂けませんか?」 畳に両手をついて、必死に頭を下げる。しかし、目だけは土方さんを捉えて離さない。この男を説得しない限り、ここを借りることは出来ない。 「髪結い処を開きたくて、わざわざ江戸から出てきたんです!どうしても、一人前にお店を持ちたいんです!だから、どうか!!」 「こっちも、遊びで借りようなんざ思ってねぇよ。真剣だ。だから、半年分も先に出すって言ってんだ。」 れいの必死の様子を鼻で笑い飛ばし、土方が無情に告げる。 「男三人で、一体何をするんですか?」 「そんなのはこっちの勝手だ。お前に告げる理由は無い。」 「そんな物騒な刀ぶら提げて、商売をするようには思えません。家主さん、きっとこの人たちまともじゃないですよ!」 「人の腰にぶら提がってる魂を見て、まともじゃない・・・なんて、よくも言えたもんだな・・・!?」 れいと土方さんの言い合いに、家主が額の汗を拭う。 家主としては、よりお金を出してくれるほうに貸すのは当たり前の条件だけれど、商売用の物件に刀が果たして必要かどうか・・・、れいの言葉はもっともだ。 京の人たちは争いを嫌う。家主とて例外ではない。 「一体何の商売をするのかも言えない様な人たちに貸して良いんですか?」 「てめぇ!」 土方さんが思わず片膝を立てて前のめりになるのを、隣の猫っ毛の男性が静かに止めに入る。 「副長・・・。」 「斎藤、てめぇ止めるのか!?」 「いえ、ここは俺が・・・。」 斎藤と呼ばれた猫っ毛の男性が、スッと前に進み出て、家主に向かって淡々と語りかける。 「ここは、隣にいる山崎が鍼屋を営むために借りたいと思っている。俺と土方さんは別の場所に住まいがあるから安心してくれ。」 「・・・ほ、ほな・・・?」 「可愛い弟分のために一肌脱ごうとしてくれた土方さんの優しさだ。けして刀傷沙汰にはならないと誓おう。」 確かに、山崎と呼ばれた男性の腰には刀は提げられていない。 それを見て家主が安堵の溜息を吐くのを、れいは悔しさと共に聞いた。 「お嬢はん、すんまへんが・・・、ここは土方さんらにお貸しすることと致します。うっとこも商売やし、堪忍してや。」 「・・・・・・はい・・・。」 商売人の利益優先を知っているだけに、自分のほうが有益だという証拠が挙げられなければ諦めるしかない・・・と、分かってしまうのが辛い。 「家主さん、有難うございました。土方さんも、ご迷惑をおかけいたしました。有難うございます。そちらの、お二方も・・・。」 れいは、最後まで言葉を告げずに物件を後にした。 期待と夢をいっぱいに膨らませて乗り込んだだけに、落胆が自分の思っていた以上に酷かった。 外に出たときには、涙が溢れ出てきて止まらなくなっていた。 前が歪んでよく見えなかったが、それでもその場所に一秒でも留まって居たくなくて、足の進むままに歩き続けた。 帰る場所をなくしたほうが気合が入ると思い、宿は引き払ってしまっている。 手持ちの金も、物件を借りるために残しておきたい。 どこか近くに頼れる人が居れば良かったのだけれど、誰も知らない土地で新しく始めたいと思って選んだ京だ。居るはずが無い。 頭の中がぐちゃぐちゃで、なのに心は空っぽで、どこをどう歩いたのか、気づいたら川沿いの砂利道を歩いていて、小さな溝に嵌ってこけた。 「っだぁ!!痛い〜・・・。」 痛くて悔しくて悲しくて虚しくて、止まりかけていた涙がまた流れてきた。
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