俯いて親指を噛んでいるのに気付いて、指先についた紅を指で拭っていると、部屋の襖が開いて、中から手招きされた。 「失礼します。」 お辞儀をして中に入ると、襖を閉めてその場所でもう一度座ってお辞儀をした。 「ご温情、有難うございます。」 「何か聞きたいことがあるって?」 「はい。」 頭を下げたまま返事をすると、相手の人が苦笑した。 「頭を上げなさい。それでは話も出来ないよ。」 「はい。失礼します。」 言われた通りに頭を上げて相手を見た。 待っている間にお酒を飲んでいたようで、既に頬に赤みがさしているその人は、遊女を肩に引き寄せてお酌をさせながら、こちらを向いて微笑んだ。 「何を聞きたいのかな?」 「はい。あの…、松平容保公のお屋敷がある場所を、ご存知ありませんか?そこら辺に、男の子が二人、最近連れられてきている筈なんですけど…。」 自分よりよほど格が上の相手を悪者にする事も出来ないので、容保様のお屋敷に居るとは言わずに、その辺り、といつも言っている。 そして、様を使わずに公を使う。 目上相手への敬称だけれど、何と無く、様よりも良いと思ったからだ。 薩長の人たちは未だに旧幕府軍の人達に悪い感情を抱いているから、刺激は避けたい…。 「子ども二人ねえ。会津のお屋敷では、そんな事があったらしいけれどね。でも、確かあの子らは斎藤という男と奥方が引き取っていったのじゃなかったかな。」 「ぇ…?」 その人は、容保様の近辺に多少近いところ居るらしく、そう教えてくれたけれど…。 斎藤さんと…奥方…? 聞き間違いじゃ…無いだろうか…? 「あの、それは本当に?」 何も言えずに固まっているれいの代わりに遊女が聞いてくれた。 それに、相手が頷いて更に教えてくれた。 「私はね、多少容保公とのご縁があってね。そんな噂を少し前に耳にしたよ。その斎藤という男に娶らせたい女子が居て、見合いをさせるんだと張り切って居てね。まあ、それがどういう経緯で子ども二人を夫婦が引き取ったのかまでは知らないけれど。」 「そうですか…、有難うございます。…じゃあ、東京には居ないんですね…。」 「ああ。居ないと思うよ。引き取ってからどこに行ったのかまでは知らなくて、悪いねぇ。」 「いえ、有難うございます。本当に、有難うございます…。」 深くお辞儀をして、何度か息を吸い込んだ。 吸い込んでるはずなのに、全く空気が入ってくる感じがしない。 「れいさん、大丈夫ですか?」 心配そうに聞いてくれる遊女に小さく頷き返してあげる。 こんなところで心配させたら、営業妨害も甚だしいから…。 「うん。有難うね。帰って作戦練り直さなきゃいけないから、もう、帰ります。お邪魔しました。有難うございます。」 再び深くお辞儀をして、そっと部屋を出た。 目の前が真っ暗で、どうしたら良いのか分からなくて、何だかまともに考えられなくて…。 急に腕を掴まれて抱きとめられたことに驚いて、自分らしからぬ叫び声を上げてしまってから、気がついた。 「あ・・・あの?」 揚屋の若主人が、れいを後ろから抱きしめている。 「ななな、何でしょうか??」 見上げてみれば、呆れ顔の若主人。 何度も出入りさせてもらっているので、顔見知り、そしてこちらの事情も知っている若主人が、抱きしめる腕に力を込めて自分へと引き寄せた。 「どどど、どうしたんでしょうか!!?」 「何でしょうか?でも、どうしたんでしょうか?でも無いですよ。全く・・・、足袋のままどこに行くつもりですか?」 「足袋・・・・・・?」 足袋のままも何も、自分は揚屋の中を歩いているのであって・・・・・・。 首を傾げてから、自分の足元に目を向けると、確かに足袋のまま。 そりゃそう、だって、揚屋の中を・・・・・・。 「あれ?」 いつの間にか、足元には段差があり、一段下がった場所は土色をしている。 「草履、今お出ししますから。呆っとしてしまうのは仕方が無いですけれどね、せめて草履は履いてください。それから、今私が助けなければ、その段差に落ちていましたよ。」 引き寄せられた身体を降ろされて、足元が確かになると、れいは項垂れた。 「すいません・・・・・・。助けてくれたんですね。」 「そうですね。うちの出入り口で遊女が派手に転んだなどと噂になっては困りますからね。」 「遊女じゃないですけど・・・。」 「傍から見たらそんな違いなんか分かりませんよ。こんな所で怪我をされたら、うちの看板に関わります。気をつけてくださいね。」 「はい、すいませんでした。」 更にしょんぼりと項垂れてお詫びを言うれいの肩に、ふわりと何かが優しく置かれた。 端を手にとって確認をすると、それは薄い桜色をした肩掛けだった。 「あの・・・?」 「雪が降ってきましたから、暖かくして帰りなさい。みんなにしていることですから、遠慮は要りません。」 「・・・でも、良いんですか?」 「少しでも温まれば、心の中の悲嘆も薄くなりますからね。あまり幽霊みたいにフラフラされても困りますし。拒否は許しません。」 「あ・・・、はい、有難うございます。」 拒否は許さないと言う若主人の顔が、優しさで微笑んでいる。 みんなに、心配をかけてしまっているのだと思うと、本当に申し訳なくなる。 けれど、心配してくれると言う事が嬉しくもあるのだ。 「有難うございます。」 もう一度お礼を言うと、頭を下げて、今度はきちんと草履を履いて表へ出た。 雪が降っていると教えてくれたとおり、夕闇の中、空から白い小さな塊がふわりと舞っている。 斗南とは違い、土に触れると透明になって滲んで吸い込まれていく雪。 夜になったら、濡れた土が凍って、その上に降り積もっていくかもしれない。 斗南とは違って、降る雪は少し湿っている。 その湿り気を身体に纏いながら、地面で溶ける雪を見て、ゆっくりと足を動かし続けた。
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