夕刻まで帳簿付けの仕事を手伝い、逢状の時刻が迫ってきた頃、部屋に戻って身支度を始めた。
遊女の身支度にみんなが手伝いに行っている中、一人だけ手伝いに来てくれた子が居た。
以前もよく手伝いをしてくれた子で、帰ってきたことをとても喜んでくれた。
五年もたってしまって、見違えるように美しくなった子は、年が開けたら遊女として昇格することになったらしい。
「れいさん、今日も綺麗にしてあげますね。」
「有難う。いつも本当にごめんね。」
「嫌ですよ、謝らないでください!私が好きで綺麗にしてるんですよぉ。」
顔に白粉を塗ってくれながら鈴ちゃんが名前のような鈴を転がすような声をたてて笑った。
「うん、有難う。でね、あのね・・・、白粉、塗りすぎじゃない?」
「だってれいさん、肌の疲れを隠さなきゃ。」
「・・・・・・そ、そんなに肌、やばい?」
「はい。」
「そんなハッキリ返事出来ちゃうくらい?」
「はい。ここに戻ってきた時から思ってましたけど・・・、相当です。」
「だ、だからいつも塗りたくってくれてたの?」
「はい!」
嬉しそうに微笑む鈴ちゃんの笑顔に、がっくりと項垂れた。
「あ、でもれいさんてば、相変わらず年齢に似合わず若く見えるから、そんなに酷いとか、おばさんに見えるとか、そんな風ではないですよー。ただ、顔色が常に悪いのと、肌の張りが無いかなぁって。」
「そ・・・そう。」
「あ、それからですねぇ。」
口に紅を引いてくれながら、若いピチピチ肌の鈴ちゃんが言う。
「れいさん、痩せましたね。」
斗南で、何日間か分からないけれど何も飲まず食べずに放心していた。
体力は回復したけれど、それから旅をしてここまで来たのだから、太る暇が無かった。
「なのに、ここは大きくなったんですね!」
紅を差し終えた鈴ちゃんが、にんまりと笑って胸をつん・・・と突いた。
「鈴ちゃん・・・。ここはね、海のために大きくなったの。・・・・・・もう、授乳してないから、そのうちに乳も出なくなって、萎んで・・・・・・垂れる。」
「た、垂れるんですね・・・。そ、そうか・・・。」
鈴ちゃんが、自分の胸を触ってから首を振った。
「いえ、大丈夫です。・・・私は・・・・・・。」
「鈴ちゃん・・・。」
項垂れながら櫛を差し出してくれる鈴ちゃんに苦笑を返して受け取ると、自分の髪を梳き始めた。
子育てに翻弄されている間、髪を切ることも高く結うこともしなかった。
出来なかった。
それだけの余裕が無かったんだと、今なら分かる。
ただ煩わしくて何もしなかっただけだと思っていたけれど・・・。
ここに来て、本当に自分にどれだけ余裕が無かったのかが理解出来てきた。
誰かに頼りなさいというお母さんの言葉、もう何度も聞いたけれど、段々と自分の内側に入り込んできていた。
隣近所でもいいから、時には完全に預けてしまっても良いから、頼りなさい、甘えなさいと、何度も言われた。
・・・本当に、そうだったかもしれない。
誰かに頼るなんて事、出来ないと思っていたけれど・・・、子育てはそんな自分の意地や矜持や癖を捨てなければ、出来なかったんだ・・・。
簪も何もかもを借りて髪を結い終えると、鈴ちゃんを見て微笑んだ。
「どう?」
「はい!すっかり立派な遊女です!!」
「・・・遊女ではないつもりなんだけど?」
「じゃあ、芸妓ですね!」
「・・・・・・ま、それでもいいか。」
遊女や芸妓ではなく、武家の奥方のつもりだったのだけれど。
まだ髪の長さが足りなくて、そこまでの格好がつかなかったのがいけなかったかな。
「じゃあ・・・、行ってくるね。」
「はい。行ってらっしゃい。」
鈴ちゃんが満面の笑顔で立ち上がって手を振ってくれる。
それに手を振り替えして階下に降りると、既に外出の準備が出来上がっていた。
「お待たせしました。連れて行ってもらうのに、ごめんなさい。」
「いいえ、れいさん。私も今来たところです。さ、行きましょう。」
美しく着飾っている遊女、妹分の後ろに立って、ゆっくりと歩き出す。
ここに居る子たちは、みんな妹みたい。
本当に、少しの時間しか居なかったのに、落ち着く。
みんなが受け入れてくれる。
そんな家を・・・、自分も作りたかったのに・・・。
実家に居場所が無いけれど、帰れば受け入れてくれるし、温かいし、愛してくれる。
迷惑はかけられないけれど、ふと、帰りたいと思える。
そんな家を作りたかった。
作りたかったのに・・・・・・。
れいは、自分の髪の毛にそっと触れて溜め息を吐いた。
武家の奥方の髪型なんか・・・、やっぱりやめればよかった。
似合わないし、場違いだし、長さが足りなくて中途半端・・・。
今の自分と同じだ。
何も出来ていない、全て失って・・・、取り戻したくて足掻くのに、何も届かない・・・。
届かない・・・・・・。
何も無い・・・・・・。
また、失って・・・しまった・・・。
今度こそ、大事にするって、決めたはずだったのに・・・・・・。
「れいさん?どうしたんですか?体調、悪い!?」
先頭を歩く遊女が引き返してきて顔を覗き込んでくる。
心配させてしまってことに申し訳なく思いながら首を振って笑顔を返した。
「ごめんね、ちょっと、考え込んじゃって・・・。さ、行こう!待たせたら悪いし、蒼と海の居場所、聞かなきゃね。」
「お話終わったら、すぐに帰ってくださいね。」
「うん。直ぐに帰って、もう一個の方に行かなきゃ!」
「そうじゃなくて・・・。」
「・・・有難う。そっちも終わったら、今日はもう帰るから。ね。妹を心配させちゃ駄目だね。」
「約束ですよ。」
「うん。分かった分かった。さ、行こう。」
まだ心配そうに見つめている彼女の背中を押して先に進ませると、自分も後を追いかけた。
揚屋に入って、通された部屋で遊女が事情を説明してくれている間、少しだけ外で緊張して待った。
いつも、この時間は緊張してしまう。
そして、今日はいつもより気持ちが落ち込んでしまっている気がする。
ここ数日感じていた空虚感、虚無感が、一気に大きく広がってしまった気がして・・・・・・、苦しくなる。
いつぶりだろうか、こんなに苦しくて、全身がギューっと縮んでしまうような感覚を味わうのは・・・。






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