たどたどしくも、何とか全てを話し終えると、お母さんが深い溜め息を吐いて、煙管に煙草を詰め、火をつけて吸った。 「はぁ・・・、そうかい。斗南の暮らしは苦しいって手紙に書いてあったけど、そんなにだったのかい。」 「・・・はい。凍えて死んでしまう人も居たくらいでした。うちは幸い、会津の人たちからお野菜が送られてきていましたから、そこまで深刻ではなかったんですけど、蒼と海を育てるには、やっぱり足りなくて・・・。」 「それで、斎藤さんが一人で出稼ぎにねぇ。そりゃ、育児で疲れちまうだろうさ・・・。怒りに任せて子供を叩いちまうことだって有るだろうさ。・・・だからって、愛していない訳でもないのに、奪っていくなんてね・・・。これだから男ってのは・・・。」 お母さんが舌打ちをして、お茶を口に含んだ。 「じゃあ、今は斎藤さんがどう思っているのかも分かってないんだね。」 「・・・分からないです。断ってくれていれば・・・と願うだけしか・・・。」 「なんだいなんだい、湿気た顔して!斎藤さんが出世するなら、自分は身を引くって言ってた頃の勢いはどうしたんだい?」 声を上げて笑いながら言うお母さんを見つめ返して、力の入らない笑みを返すと、お母さんの笑い声も小さくなっていった。 「幸せを知ってしまったら・・・、それを失うのが怖くなってしまうんですね。・・・・・・あの頃は、蒼が居て、海が居て、はじめさんが居る、こんな幸せなんか知らなかったから我慢できたけど・・・・・・。」 密やかなれいの呟きに、お母さんが小さく頷いてくれた。 「そんなもんさ。幸せを知ってしまったからこそ、それを守るために一人で会津から出てきたんだろう?斎藤さんを待つことが出来なかったのは、蒼と海が心配だったからだ。そりゃ、そうさ。あんたは母親なんだから。旦那は一人でも生きていけるが、子供はそうはいかない。母親ってのは、それを本能で知ってるもんさ。」 お母さんの言葉に頷くと、改めて顔を見つめて、姿勢を正して三つ指を突いた。 「お願いします。しばらく、ここに寝泊りをさせてくださいませんか?宿を取るようなお金なんか持って居ないんです。それに、いつまでかかるか分からないし・・・。」 「一体、何をするってんだい?蒼と海を奪い返しに行くだけなんだろう?」 「はい。でも、どこに居るのか分からないんです。松平容保様のお屋敷から遣いの人が来たことは分かっているんですけど、それが東京だってことしか分かってないし、そのお屋敷に居るのかどうかも分からないんです。」 「松平容保様ってのは・・・、会津藩主の・・・?」 「元・・・ですけど。何だか、今は東京で暮らしているらしいという話は聞いていたので。」 「その情報だけで、ここまで来たのかい?」 「はい。だから、吉原に居ればもう少し情報も入るだろうと思って・・・・・・。」 深く頷くれいを見つめて、お母さんが呆れたような溜め息を漏らした。 「全く、年取っても相変わらず勢いだけで生きているんだねぇ。」 「・・・年取っても・・・は余計です。」 「その容保様が東京に居なかったら、どうするつもりなんだい?」 「・・・居る場所を突き止めて、伺いに行きます。」 「行ったって、蒼も海も居ないかもしれないんだろう?」 「でも、行けばどこに居るのか分かります。はじめさんの奥方を仲介したのが容保様だって事は分かってるんですから。」 「・・・まあ、来ちまったものは仕方が無いさ。一時でも世話をした娘が助けを求めてきたんだ。どんなにお金に困っても、育児に疲れても、子供を手放そうとはしなかったお前さんだから、許してやるんだよ。ここに寝泊りすると良い。娘たちについて揚屋に行くのも構わないさ。好きにおし。その代わり、必ず子供たちを取り返しな。」 お母さんが立ち上がりながら、優しい瞳を向けてくれた。 置屋に売られてくる娘たちは、お金に困って親が自ら娘を差し出してきたり、捨てられていた子たちばかりだ。 そんな娘たちの苦しみを知り抜いているお母さん自身、小さな頃に売られてきた人で、帰る家が無いから、吉原に残って置屋を経営しているのだ。 吉原の女たちは、親との縁が薄い事を不幸と感じることも出来ないほどに親の記憶が無い人が多い。 そして、それを補うために、姉妹や置屋の母親との縁が自然と強くなっていく。 だからこそ、れいが子供たちを取り返すために一人で会津から東京に来たことを喜んでくれて、協力してくれるのだと思う。 「それで、取り返したら、あたしにも抱かせておくれよ。」 手を招いてれいを呼び寄せながら、お母さんが廊下を歩き始める。 「はい!絶対に取り返すから、抱きしめてあげてくださいね。」 お母さんの後を追いながら、深い感謝と共にお母さんの背中から抱きついた。 「有難うございます!!」 「っと、危ないから急に抱きつくんじゃないよ、全く。いつまでたっても危なっかしいねぇ。」 「・・・危なっかしかったことなんか無いですよー。」 「何言ってるんだい。髪結いに来ては貧血で寝込んだり、久しぶりに来たと思ったら妊娠してたり、突然誰かに拉致されて一晩帰ってこなかったり、誰かに噛まれて気を失って運ばれてきたり・・・・・・。お前さんが危なっかしくなかった記憶なんか無いんだよ、こっちは。」 「・・・・・・そんなに、ありました?ここに滞在していたのは、一月二月くらいだったと記憶してるんですけど。」 「あたしの記憶もそれくらいだよ。たったそれだけの滞在で、よくもまぁこんだけ心配させてくれたもんだよ。」 「はぁ・・・。すいません。」 「だから、もうお前さんはそうなんだって覚悟してるから。好きにおし。ただし、お座敷について行く時は、お前さんも綺麗な格好をするんだよ。」 「はぁい。有難う、お母さん!!」 「はいはい。」 お母さんに抱きついたままずるずると引きずられるように歩き、一つの部屋に案内された。 そこは二階の、以前も使わせてもらっていた部屋だ。 「ここには、お前さんが残していった物もあるし、ここを去った娘たちの残していった物もある。好きに使っていいよ。この部屋も、好きにお使いな。」 「はい。」 「いいね。家に居る間はあたしもお前さんを好きに使うからね。今日は旅の疲れを癒して、ゆっくりしなさい。」 「はい。」 お母さんの温もりを抱きしめながら、優しい言葉と、優しいだけではない厳しさを含んだ言葉に安堵していた。 会津では、自分を甘やかすだけ甘やかしてくれた。 けれど、自分にとっては、それは苦しいだけだった。 愛してくれていると分かっているけれど、自分も愛しているのだから、自分もみんなに何かをしたかった。 それら全てを拒否して、回復することだけに専念させられるのは苦痛だった。 愛をただ受け取るだけというのは苦手だ。 どうしても、すぐにでもお返しがしたくなってしまう。 だから、お婆ちゃんや三太や、会津の家族たちへお返しをするためにも、早く蒼と海を見つけ出さなければ。 ・・・・・・。 斎藤さんは、今はどうしているだろう。 もう・・・、結婚してしまってはいないだろうか・・・。 自分を追いかけてきてくれていると信じたいけれど、その気持ちが少しずつ揺らいできてしまっている。
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