翌朝、辛い身体を無理やり起こして、最後の白米を炊いて、お味噌汁に野菜の茹で物、そして沢庵、と、何とか普通の食事を作り終えて、遣いの者二人に差し出した。 蒼にも同じように出すと、嬉しそうに男二人を見ながら、一緒に食事を開始した。 これが、最後のお米だった。 もうお釜の中は空で、自分のものは無い。 けれど、そんな事を言えるわけもないし、言ったところでどうにもならない。 自分にとってはとても贅沢な食事なのに、男たち二人は普通に食べてしまっている。 質素だという感想を言い合いながら食べている二人に、苛立ちが募ってしまうけれど、何とかそれを抑えながら笑顔で給仕に勤める。 それだけが、自分を保つ最後の努力だった。 「斎藤は、こんな粗末な生活を強いられていたのか・・・。」 「悪いことをした。もっと早く呼んでやれば良かったものを・・・。」 「しかし、廃藩置県が行われたために、呼べるようになったのだ。」 「皮肉なものだな。」 難しい話を聞きながらお茶を差し出すと、当然のように頷いてお茶を受け取る。 斎藤さんだったら、「すまぬ。」とか「有難う。」とか、優しい眼差しを向けてくれたりしてくれるのに。 「お前は、斎藤の息子か?」 「さいとう?」 「ととのことよ。」 「うん。」 「ほう。名前は?」 「あお。」 「そうか、あおか。で、そっちのは?」 「海です。」 二人が、子供たちを見てれいを見て、そしてお互いを見合ってから頷いた。 「確か、れいと言ったか?」 「はい。」 海を膝に抱き、男二人に見つめられて、嫌な予感が胸をゾワリと這う感触を誤魔化すために笑顔を深くした。 「どうだ、こんな生活、子供二人を抱えては出来ぬだろう。息子二人を預かってやろうではないか。」 「ああ。斎藤もその方が安心出来るだろう。」 「斎藤の奥方が許可をすれば、二人の子として育てることも出来るだろう。」 「こんな場所で育てては、死んでしまうかもしれないだろう。どうだ、いい話だと思うが?」 やっぱり・・・、碌な話じゃない・・・。 ゾワリと全身を這う嫌悪感に心が乱される・・・。 「結構です。はじめさんもそのうちに戻ってきます。だからご心配には及びません。」 「その斎藤だが・・・、今頃は容保様からの話に首を縦に振っているだろう。我々は主に逆らうことは出来ぬからな。」 「斎藤の出世を思うならば、身を引いた方がいい。お主一人では子を育ててはいけぬだろう。このように貧しい生活をさせて、あおはこんなに痩せてしまっているではないか。」 「子供のためにも、我々が連れて行ったほうが良い。」 斎藤さんの出世を思うならば身を引く・・・。 それは、昔自分が犯した愚かしい行為だ。 今更それを蒸し返すような話が出てくるなんて・・・。 今まで、そんなことには一切縁が無く、無事に二人で切り抜けてきたのに・・・。 何で、今、この時に、しかも蒼と海も含めて、全てを奪っていこうと言うのか・・・。 「嫌です。」 断固拒否すると、二人が顔を見合わせて溜め息を吐いた。 「悪いが、お主の様子も、我々は心配しているのだ。そのように疲れた顔をしていては、子供も幸せでは居られないだろう。」 疲れているのだ。 疲れているのだから、疲れている顔をして何が悪い・・・。 自分たちの最後のご飯を食い散らかしているのは自分たちだと言うのに・・・。 二人が悪霊にしか見えない。 「どこにいくの?」 ふと、蒼が不思議そうに顔を上げて二人を見つめた。 「斎藤のところだ。」 「あおのお父上のところだよ。」 「ちちうえ?」 「ああ。ととのところだ。」 「・・・・・・。」 蒼が小さな頭を上に向けて、小さいなりに何かを考えている。 そして、こちらを見つめて、二人に視線を戻した。 「あお・・・、ととのとこにいく。」 「・・・・・・蒼?」 「かいも、いっしょにいくの。」 「そうか、あおは一緒に行ってくれるか。」 「それが良い。お前のためにも海のためにもなる。」 「何を言ってるの?蒼?冗談でしょう?」 「かか、あおいくね。」 「蒼!!?」 目の前が真っ赤になった気がして、自分の手の平に走る痺れるような痛みと、蒼の泣き叫ぶ声で我に返って・・・・・・、愕然とした。 頬を赤く腫らして泣き叫ぶ蒼を見て、慌てて抱きしめようとする自分を、誰かが腕を引っ張って蒼から遠ざけている。 我に返っているはずなのに、どこか何かが遠くで起きているようで、感覚が朦朧としている・・・。 目の前で、蒼を抱き上げて優しくあやしている男と、自分に向かって手を振り上げて頬を叩く鬼のような形相の男と・・・・・・。 耳がキィィンと響いて、遅れて頬に痛みが走り・・・。 怒声が聞こえるけれど、言葉が意味として捉えられない・・・。 きょとんとしている海を抱き上げて、二人の男が家から出て行ってしまう。 それが、すごく緩慢な動きとして目に映っているのに、自分はそれを止めることも出来ずに、叩かれた勢いで激突した壁に凭れたまま、ただ呆然と見送っていた。
そこから、あまり記憶が無くて・・・。 起きているのか寝ているのかも分からなくて、 ただただ疲れてしまって、 感情すら一切動かない。 だけど、斎藤さんが帰ってくるかもしれないから、家から出たくなくて・・・。
誰かが自分を抱き上げた時に、物凄く抵抗したことだけは覚えている。 それが斎藤さんではなかったことと、何だか懐かしい匂いがしたことを覚えていて・・・・・・。
それ以上、何も
感じられなくて・・・
ただ、
蒼の瞳の
深い翳りだけが
自分を人として、母として
生かしてくれているような気がしていた・・・・・・。
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