呆れ顔の三太に、斎藤さんが視線を伏せて頷く。
確かに、今考えれば無茶をしてくれたものだ・・・。
「江戸で再会したれいのお腹には、蒼が居た。それでも、最初は何も言わずに去って行こうとしていた。」
「頑固だがんな・・・。」
「ああ。それでも、二度と手放さないと誓った。」
「蒼が居たがらけ?」
「いや、蒼が居たと知らなかった。れいは子供が出来ないと言っていたから、そんなこと考えもしなかった。蒼が居なくても・・・、れいが居れば俺はもっと強くなれる。俺にはれいが必要だ。れいは俺じゃなくても平気だろうが・・・、俺が、れいじゃなければ駄目なんだ。」
斎藤さんが真剣な眼差しで三太を見つめる。
それに怯みながら、怯んでしまっている自分を認めたくなくて顔を更に険しくする。
「れいを、お前に渡すわけにはいかない。」
「ん、んなっ・・・、な・・・・・・。」
何かを言いたくて拳を握るのだけれど、言葉にならなくて結局拳を開いて頭を掻いた。
「はぁ・・・。」
肩を落として斎藤さんを見つめると、俯いて立ち上がった。
「おめ・・・、れいと蒼を不幸にしだら、おらが奪いに行ぐかんな!」
「これから結婚をするという男の言葉とは思えんが・・・。」
三太を目を眇めて見つめると、ふと笑顔をこぼす。
「覚えておこう。」
「・・・ふんっ!」
負けを認めないように肩をわざと怒らせて、襖を音を立てて開け放って、足音をドスドスさせて廊下を歩き去っていった。
縁側の気配には既に気付いていた斎藤さんが、障子に背を預けると、反対側から微かな体重がかかってきたのを感じた。
蒼が、障子が空いている隙間からゆっくりと這い寄ってくるのに笑顔を向ける。
「私・・・、はじめさんじゃなきゃ嫌だよ。」
「ああ。・・・だが、俺がもし居なくても、お前は生きていけるだろう。」
「そんなこと無い。」
「蒼が、居る。」
「そうだけど・・・。」
「だが、俺はお前が居なくなってしまったら、死んでしまうかもしれない。」
足元まで辿り着いて、脚に小さな手の平をくっつける蒼を抱き上げて、膝の上に立たせると、笑顔を向けてくれる。
自分を父親と認識しているかは分からないが、警戒されることなく、こうしてすぐに懐いてくれた。
そんな蒼に、愛しさが込み上げてくる。
れいが立ち上がる気配がする。
背を伸ばすと、それを待っていたかのように障子が開け放たれ、れいが後ろから抱きついてくる。
「はじめさんが居なくなったら、私も蒼も死んじゃうよ。」
「むっ?」
「夫婦、家族って、同じ気持ちを共有するものじゃない・・・?」
首に腕を回して、耳元に唇を寄せて囁く。
そんなれいに頬を寄せて、温もりの安堵感を感じる。
「すまない。」
突然謝る斎藤さんに、れいは苦しくないほどに腕に力を入れた。
「なぁにが?」
「斗南は、極寒の地だ。お前も蒼も、きっと難儀することになる。」
「そうだね。」
「それでも、良いのか?」
「それでも、迎えに来てくれたことの方が嬉しい。ずっと、いつも一人で行っちゃってたから・・・。」
「・・・すまない。」
「本当だよ。」
拗ねたような声音に、斎藤さんが蒼を抱き締める。
「でも、お前も一人で行ったことがあるだろう。」
「あぁ、そうですね、そうでしたねぇ〜・・・。」
痛いところを突かれて、思わず目が遠くを見つめる。
「じゃ、似たもの夫婦ってことで、許してね。」
頬に口付けをして、頬が赤くなるのを嬉しそうに見つめるれいを、斎藤さんが振り返ってそっと唇に口付けてくれる。
「ね、はじめさん。」
れいが囁きかけるのに、無言で見つめてくる斎藤さんに少しの間だけ見惚れる。
「もし、斗南で苦労することになったら・・・、私が養ってあげるからね。」
「そうならないよう、努力しよう・・・。」
「駄目。はじめさん・・・、あまり無理しちゃ駄目。本当に、駄目。」
「・・・れい?」
「無理したら、命、使っちゃうんでしょう・・・?そんなの駄目。私が頑張るから、なるべく、長生きできるように・・・、ね。」
れいが、首に回した腕を蒼に伸ばして、その頬を突くと、嬉しそうに声を上げる。
腕を放して、蒼ごと斎藤さんを抱き締めて囁く。
「二人とも、私が守るから。」
その手を、斎藤さんが解いてれいを前に座らせて蒼を託す。
「はじめさん・・・?」
「心配するな。水と空気が合うのか、戦が終わって以来発作は起きていない。俺よりもお前が心配だ。お前はすぐに貧血を起こすから。」
「・・・平気よ?会津の夏は京や江戸より涼しかったから。私も、調子が良いくらい。斗南はここよりも寒いのでしょう?なら、きっともっと平気。」
「お前だけに頑張らせることは、もう二度としない。」
斎藤さんが真剣な眼差しで見つめてくる。
その瞳に滲む決意に動かされて、れいがふっと肩の力を抜いた。
「・・・分かった。じゃぁ、二人で、頑張って生きましょう。」
微笑むれいに安心して、今度は斎藤さんが蒼ごとれいを抱き締めて、唇を重ね合わせた。
母屋から飛んでくる二人を呼ぶ声を無視して、長く、お互いを確かめ合う、誓いの口付けをする。
お互いの温度を確かめ合い、間に居る大事な命を守るように抱き締めて、長かった道のりを思いながら・・・。
そして、未来を生きる決意をする。





翌日、れいは斎藤さんと一緒に蒼を連れて斗南へと移っていった。
斗南での生活は裕福とは言えなかったけれど、家族が揃って生活が出来るというだけで、十分に幸せを感じていた。
それでも、家族に楽をさせたいという思いから、斎藤さんは後に警視庁に就職をする。
斎藤さんに縁談話が持ち上がったり、江戸へと行くことにしたり、西南戦争に赴くことになったりと、様々なことが起こった二人の人生。
それでも、一生添い遂げて、れいは斎藤さんを看取った。
「約束を守れなくてすまない・・・。」
そう言った斎藤さんに、れいは首を振った。
「いいえ、私が思いのほか長生きしすぎたんです。それに・・・、灰になってしまうなんて・・・、私以外に誰が看取れますか?」
泣きそうな笑顔を向けて、更に続ける。
「すぐに行きます。待ってて、下さいね。」



−終−






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