月が再び雲に隠れる。 家々の前に吊るされた提灯に灯りが灯って居なければ、真っ暗闇だ。 そう言えば、何故こんな暗い道を、山南さんは灯りも持たずに出歩いているのだろうか…。 れいは無意識に肩の傷を着物の上から触り、肩に触れた自分の手の感触で…、ギクリと体を強張らせる。 「あの…、山南さんは、どうして、ここに?」 「巡察?偵察?そんな所ですよ。」 手と中の空の瓶を弄びながら、山南さんが答える。 「また、誰かの血を…?」 「いいえ、その様な事をしに来たわけではありませんよ。」 ゆっくりと首を振る山南さん。 「羅刹隊は、夜じゃないと動けませんからね。だからこそ、偵察や夜襲には持って来いの部隊なんですよ。」 「夜じゃないと…?はじめさんも…?」 「ああ、彼は身体に無理をして、昼間も動いていますよ。土方君と言い、斎藤君と言い…。」 山南さんが何かを言いた気に肩をすくめるが、それ以上は何も言わなかった。 れいが足元から崩れる様に座り込んで、額を抑えてしまったからだ。 「少し、喋り過ぎてしまった様ですね。斎藤君の奥方殿には、色々と知ってもらわなければと…思ったんですが…。」 山南さんが囁きながら近寄ってくるが、れいは身を硬くして何とか後ろへと逃れようとする。 「そう警戒なさらずとも・・・、あなたに危害は加えませんよ。」 力なく首を振って抵抗を示すれいに、山南さんは呆れて溜息を吐くと、後ろを振り返った。 「藤堂君、そこに居るんでしょう?出てきてください。」 藤堂・・・・・・? 山南さんの声に顔を上げると、暗がりの陰から一人の青年が出てくる・・・。 洋装を着こんで、髪が短くなってはいるが・・・、頼りない灯りに揺れる顔は、確かに藤堂さんのものだ・・・。 「山南さん、バラしちゃって良いのか・・・?」 頭を掻きながら、ゆっくりと進んでくる藤堂さんの声は、確かに江戸で聞いた声と同じで・・・・・・。 れいの手の平にじっとりと汗が滲む・・・。 「良いではないですか。」 藤堂さんを見つめてひっそりと微笑む山南さんの表情に翳りがあるのを、藤堂さんだけが見つめていた。 「山南さん・・・。」 「斎藤君が奥方殿の元に帰った時・・・、知っているのと、知らないのとでは、斎藤君の心の負担が大分違うと、そう思いませんか?」 「・・・・・・。」 「新撰組幹部として、隊士の心情を慮るのも仕事なのですよ。」 藤堂さんの肩に手を置いて、そっとすれ違っていく。 「私は先に行っています。あなたは、奥方殿を宿かどこかに送って差し上げてください。」 「・・・・・・分かった。」 山南さんの意図が分からない。 けれど、れいを放って行くことも出来ずに、藤堂さんは頷いてれいの元へ駆け寄った。 少しだけ振り返って様子を眺めると、山南さんはそのまま夜闇に消えていった。 「れいさん、大丈夫か!?」 藤堂さんが差し出してくれる手を握り締めて、れいが顔を見つめてくる。 振り払われるのを覚悟していただけに、少しだけ驚いて見つめ返す。 「藤堂さん・・・、生きていたんですね!」 「・・・え?・・・あ、ああ。」 「良かった・・・・・・。私、何の力にもなれなかったから、ずっと、気になっていたんです・・・。」 「れいさん・・・。」 良かった・・・と微笑むれいの顔を直視できずに、藤堂さんが立ち上がってれいを引き起こす。 「あのさ・・・、山南さんの言った事・・・。」 「言った事・・・?」 顔を背けながら言い難そうにしている藤堂さんに首を傾げて聞き返す。 「俺たちの・・・・・・。分かってるのに・・・・・・。」 「分かってるのに?」 「気味悪くないのか・・・?」 「え・・・?」 藤堂さんの言葉が、小さいのにやけに耳に響く。 「髪が白くなる、目が赤くなる・・・。でも、病のせいでしょう?」 「病・・・って、本気で思ってるのか?」 先ほど、山南さんにも否定された。病ではないと・・・。 では、薬で変化してしまったのなら、それは一体何と言うのだろう・・・。 自分には医学の知識は無い。だから、分からない。 「じゃ、薬の効果・・・?」 しばらく逡巡してから、尋ねるように呟くれいの台詞に藤堂さんが再び驚いて目を瞠る。 「薬の効果!?効果・・・って、いや、確かにそうなんだけどさ・・・!」 なんと説明したら良いのか、結局自分でも分からない。 そして、藤堂さんはふとあることに気がついた。 そうだ、そうなのだ・・・。 れいは、山南さんに血を吸われたけれど、凶暴化して我を失って獣のように斬り捲くって暴れている羅刹を見たことが無いのだ。 ならば、確かに、薬のせいで髪の色が変わって、目の色が赤くなる、血を欲しがる、そう変わってしまっただけの人・・・という印象を持ってもおかしくは無い。 おかしくは無い・・・わけが無いだろう! 「れいさん!山南さんに血を吸われただろう!?怖くないのか!?」 「山南さんは怖いけど・・・、でも、血が欲しくなるのは分かるもの。私も、夏場はよく貧血になるし・・・。直接人の血を飲もうとは思わないけれど、そう思ってしまうほど貧血の症状が酷いのでしょう?」 「はあ!?それ、本気で言ってるのか!?」 肩を掴んで揺らす藤堂さんに困惑しつつ、れいはおずおずと頷いた。 「俺ら、化け物になったんだぞ!?」 「化け物って・・・。こんなに温かい化け物は、居ないんじゃないの?藤堂さん、最後に別れた時と、何も変わらないのに・・・?」 「変わってんだろう!」 れいの肩を掴み、顔を近づける。その藤堂さんの髪の色が白くなり、瞳が赤くなる。 一瞬驚いて怯んだれいだったが、それでも首を傾げて藤堂さんを平然と見つめ返す。 「変わりましたねぇ・・・。でも、薬のせいなんでしょう?」 「そうだけど!」 「それ、どうやって変化しているんですか?何か、仕組みがよく分からないって言うか・・・、白髪は黒に戻る可能性があるって事ですよね。白髪に悩む遊女たちに、教えてあげたいくらいですね。」 感心しながら藤堂さんの髪を弄りだすれいを見て、藤堂さんが口を空けて呆然とする。 「赤い瞳って、格好良いんですね。南蛮の人たちの瞳も、青いじゃないですか。あれも憧れるんですよね。」 「そうじゃなくって!」 藤堂さんの剣幕にビクリと肩を震わせるが、れいは再び困ったように首を傾げる。 「藤堂さん、何が言いたいの?何だか、自分を化け物だと思ってもらいたいみたいだけど・・・。化け物なの?」 「・・・・・・そうだよ・・・。化け物・・・だよ・・・。」 「どこが?」 「どこが?どこがって!!」 さっき言ったじゃん!と、言いたいけれど何となく言えなくなって、ただ口をパクパクと開閉させる。 「じゃ、何でさっき、山南さんから逃げたのさ?」 「だって・・・、山南さんは怖いんだもの・・・。また噛まれたらって思うと・・・・・・。あれ、すごく痛かったし・・・。」 「・・・・・・。」 羅刹が怖いんじゃないんだ、山南さんが怖いんだ・・・。 藤堂さんはれいの肩に手を置いたまま、再び呆然とれいを見つめた。
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