八木邸を後にして、れいはすっかりと暗くなってしまった道を急いだ。 灯りも持たずに逃げるように出てきてしまったことをさっそく後悔する。 相変わらず、勢いだけで生きている…。 「うぅ、寒いし怖い。」 夜になると人は出歩かなくなる。 最近では、辻斬りも流行っているらしい。 自分なんか、出会った瞬間に切り捨てられてしまうだろう。 逃げ足は、胸を張って自信が無いと言える。 数分も歩かないうちに、後ろから駆け足が聞こえてきた。 まさか辻斬りがそんなに足音を立てて分かるように近寄っては来ないと思うけれど、全身が固まって動けなくなる。 逃げ足には自信がなかったが、逃げられなくなる程臆病だったとは自分でも驚きだった。 足音は自分を追い越して行くかと期待もしたが、自分の後ろでピタリと止まると、グィッと腕を引かれた。 「!!???」 あまりの事に、悲鳴すら出ない。 「れい!」 名前を呼ばれて、やっと状況を理解する。 振り向くと、斎藤さんの顔が月明かりに照らされて微かに判別出来た。 「ささささ、斎藤さん…。」 ガクッとれいの身体から力が抜けて、その場にへたり込む。 「だ、大丈夫か?」 「斎藤さん…。」 「なんだ。」 「斎藤さんだ…。」 「…ああ。一人で帰すわけにはいかない。送ろう。」 へたり込んでいるれいの前にしゃがみ込んで、顔を覗き込んでギョッとした。 「な、何故泣く?」 「こ、怖かった…ビックリした…。」 れいは、斎藤さんの腕をギュッと掴んでボロボロと涙を零していた。 「一人で帰すわけがなかろう。」 「でも…怒らせちゃったから…。」 「あれ位では怒らん。どう反応したら良いのか分からなくて、少し突き放してしまったが…、すまなかった。」 斎藤さんの謝罪に首を振り、大きく深呼吸をした。 すぐに涙は止まり、足にも力が戻ってきた。 頬を拭うと、ゆっくりと立ち上がって斎藤さんを見た。 「ごめんなさい。本当にからかった訳でも、おちょくった訳でもないの。」 「それはもういい。」 斎藤さんは、れいと自分の前に灯りを掲げてくれた。 自分の着物についた泥汚れを叩いてから歩き出す。 「ここから家までは遠い。本当なら一晩泊めてやりたいところだが…。」 「屯所に泊まる訳にはいかないですよ。時間がかかるのに、送ってもらって申し訳ない位です。お仕事が有るでしょう?」 「それは、山南さんに頼んできたから大丈夫だ。」 「山南さん?」 「ああ。もう一人の副長で、土方さんが居ない今、屯所をまとめている人だ。」 他愛の無い話をしながら、少し急ぎ足で家路を急ぐ。 斎藤さんには変なところばかり見られている、と、やっぱり思う。 「あの、斎藤さん?」 「ん、なんだ?」 れいは、今更になって心配になってきたことを聞いてみた。 「こんなこと、頼んでしまって良かったのかな・・・?と思って・・・。」 「こんなこと?」 「そう。だって、うちの地主さんとのいざこざなんか、新選組が出てくるような事件ではないでしょう。新選組は、長州の方たちと反幕府の方たちと戦っているのに・・・。地主は別にそういうのではないし。」 思い立っから、即行動してしまったけれど、やっぱりまずかったのではないか・・・と思い始める。 自分の店と新選組の関係がばれてしまっては、情報収集が出来ない。それでは、恩返しも出来ない。 それどころか、返しきれないほど恩が溜まってきている気がする・・・。 「なんだ、そんな事を心配しているのか。」 ふぅ、と息を吐くと、斎藤さんが見下ろしてきた。 「心配するな。京の治安を守るのが、我らの勤めだ。地主との諍いからも民を守るのは当然だ。」 「そうですか?」 「ああ。」 「でも、土方さんなら、ほおって置けとか言うんじゃないかしら?」 「いや、言わないだろう。」 「・・・・・・そうかな。」 斎藤さんは、土方さんを信頼しすぎていると思う。 あの男は、自分たちにとって価値のあることか無いことか、即座に判断をして必要ならば実行に移すが、必要じゃないと判断したなら、無情に切り捨てるだろう。 そして、自分は無情に切り捨てられる程度の関わりしか無い。 「ねぇ、斎藤さん・・・?」 「ん?」 「斎藤さんは、どうして新選組に?」 「・・・・・・。」 斎藤さんからの反応が無い。 下から顔を覗き込んでみると、何だか少しだけ顔が固い。 「え、何かいけないこと聞きましたか?」 「いや・・・。」 斎藤さんからの返事が、歯切れが悪い。 「あ、あの、別に言いたくなかったらいいんですよ?」 「いや、そう言うわけでは・・・。」 ふわり・・・と、風に煽られて、斎藤さんの髪がたなびく。 夜の風は冷たい。一月とはいえ、まだまだ夜は冷え込む。特に京の冬は寒い。 梅が咲いても、昼間が暖かくても、夜は一気に冬が戻ってくる。 ぶるっと身震いすると、斎藤さんが首に巻いている白い襟巻きを外して、そっと肩に掛けてくれた。 「あ、そんな、いいですよ!斎藤さんが寒くなっちゃいます!」 「女子は冷えないほうが良いと聞いた。遠慮するな。」 「え、でも・・・。」 「俺は平気だ。」 「あ、じゃぁ・・・、遠慮なく・・・。」 襟巻きを胸元で合わせて、ギュッと掴む。少しだけ斎藤さんの香りがしてくる。 思わず、襟巻きを握る手を口元に持っていき、そのまま匂いをかいでしまう。 「!!?」 斎藤さんがギョッとして足を止めるのに気づかず、そのまま数歩先に歩いてしまい、慌てて振り返る。 「斎藤さん?」 「れい・・・・・・。」 「え、何?どうしたんですか?そんなに驚いて・・・。」 「臭かった・・・か?」 「え?」 「その・・・・・・、一応洗濯して貰っているんだが・・・。」 「洗濯・・・。ぁ、ああ!いや、ちが、違います!ごめんなさい!!」 大慌てで両手を振って弁解する。 「癖、癖なんです!何かの匂いを嗅ぐの!そ、それに、斎藤さんの・・・匂いだなぁ〜と思ったら・・・思わず・・・・・・。」 れいは、襟巻きで顔を覆って、ペコペコと頭を下げて謝った。 匂いを感じると、どうしても嗅いでしまう・・・。 義母にも、止めなさい!!といつも怒られていたのに・・・。 「臭かったわけじゃないんです!むしろ、この匂い、好きです!」 「そ、そうなのか・・・?」 「ああぁ!もう、何言ってるんだろう、本当に、ごめんなさい、もう、もうしませんから!」 何となく、気まずくてその後何も喋らないまま、家に着いた。 斎藤さんに襟巻きを返して、家に入っていくれいを見届けて、襟巻きを自分に巻きなおす。 少しだけ鼻に当てて息を吸ってみて・・・。 「あぁ、そう言うことか。」 れいの香りが染みているように感じた。 心地良い・・・。 と、感じてしまうのは何故だったのだろうか・・・。
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