少しの間目を閉じていたれいが突然起き上がって、斎藤さんの腕を掴む。 「どうした?」 斎藤さんが怪訝そうに尋ねると、れいが斎藤さんの服に手をかけて、包み釦を外し出す。 「れい!?」 斎藤さんが慌ててその手を阻止するために掴むと、れいが首を傾げる。 「はじめさん…?傷の手当をしないと…。あ、そっか、先にお水とか消毒用の何か、お酒とかあるかな…、持ってこなきゃ…。」 ボソボソと呟いて立ち上がろうとするれいに、自分の勘違いに頬を赤く染めた斎藤さんが首を振る。 「大丈夫だ。お前は気にしなくていい。休んでいろ。手当は向こうでしてくる。」 「え、でも…。」 自分がやりたいのだけれど…、そんなことを言ったら、きっとまた困らせると思って、れいは仕方無く頷いた。 斎藤さんは立ち上がり、部屋を出て行った。 一人だけになってしまった部屋で、掛け布団の上にゴロンと横になる。 疲れが溜まった足が重くて、張っているお腹が痛い。 休んでいると、余計に気になり出す。 「はぁ…。」 お腹をさすって、何とか痛みを和らげようと思うのだけれど、さする位では楽にならない。 少し寝ていれば、いつもの様に良くなるのだろう。 斎藤さんが居ないのを良いことに、う〜う〜唸っていると、襖を叩かれて、仲居さんが入ってくる。 自分の母より年がいってそうな女性で、手には湯気を立てている桶を持っている。 「大丈夫かい?お腹が痛いって聞いたけど。」 「あ、はい。休めば何とか…。」 起き上がって迎えようとするれいを手で制して寝かせると、桶を横に置いてお腹を触って来る。 「ありゃ、大分張ってるね。随分無理したんじゃないかい?」 「江戸からずっと、旅して来ましたから…。」 「江戸から!?」 「ええ。あ、でも、体調が悪くなったら、戻るまで休んでましたよ。」 「当たり前だよ!全く、無茶したもんだね…。何で江戸から会津に?」 「出産するための帰省です。」 帰省とは少し違うが、間違っては居ないだろう。 そう言うと、仲居さんはお腹から手を離してれいの頭を優しく小突いた。 「いいかい、お腹が張るってことは、子供がお母さんに無理しないでって言ってる証拠だよ。いくら出産の為の帰省だからって、江戸から会津まで旅するなんて、無茶だよ。」 「でも、安定してから出発しましたよ。」 「安定してるからって、無茶したらダメなんだよ。」 仲居さんが、もう一度れいを小突く。 「旦那さんは?」 「あ、今は部下の部屋です。」 「江戸から一緒に?」 「…。」 れいの沈黙で、仲居さんがそうでは無いのだと悟り、溜息をつく。 「一人でここまで来たのかい?さっきのは本当に旦那なのかい?」 「そうです。偶然、今日街道で会ったんです。おかげで、今日は大分楽させてもらいました。」 「そうかい。まあ、女将が本物の夫婦だろうと言っていたから、そうなんだろうとは思ってたけどね…。」 「疑わなかったんですか?大勢の武士と、女一人の客なのに?」 れいが尋ねると、仲居さんがおかしそうに笑い出した。 「こっちも客商売だからね、お客さんを見る目は、自然と養われるもんだよ。特に、女将は格別だよ。夫婦には独特の空気感が出るもんだよ。嘘か本当か位、すぐに分かるよ。」 「そうなんですか…。」 仲居さんの言葉に、れいは微笑んだ。 二人の間に流れる空気が、夫婦の様だと、他人から言われたのは初めてだった。 何だか、証明された様で嬉しかった。 「しばらく、寝ていれば張りも治まると思うから、ゆっくりとしなさい。」 「はい。」 「今日はお風呂は我慢しなさいね。これで、身体を拭いてスッキリなさい。」 仲居さんが桶の中の湯を手で示して、手ぬぐいを数枚置いていく。 「何かあったり、不安だったりしたら、すぐに言いなさいね。あたしはこう見えても、子供を何人も無事に取り上げてきたんだ。何でも言いな!」 「有難うございます。」 仲居さんの力強い言葉に勇気づけられて、しっかりと強く頷く。 「お食事は別室になるけれど、ここに運ばせましょうか?」 「あ、いえ、大丈夫です。みんなと一緒に・・・。」 「そう。じゃ、出来たら声をかけます。失礼します。」 仲居さんが部屋を去ると、れいは起き上がってお湯に手を入れた。 暖かくて気持ちが良い。 少し布団から離れて、窓際に寄せると、桶に手ぬぐいを一枚入れてお湯に浸す。 軽く絞って顔を拭うと、乾いている手ぬぐいで拭う。 スッキリとして、息が楽になる。 布団の横に用意してくれていた浴衣を近くに持ってきて、帯を外して着物を脱ぎ、襦袢も、紐を外して肩を出すと、濡らした手ぬぐいで身体を拭き始める。 汗で気持ちが悪かった身体がスッキリとしていく。 足まで拭くと、桶の中のお湯を見て、れいは頭をその中に突っ込んだ。 髪の毛も埃交じりで気持ちが悪かったのだ。 お湯の中で軽く濯ぐと、乾いた手ぬぐいを頭に当てて、お湯が畳みに零れない様に髪を巻いて持ち上げる。 適当に絞って、頭から落ちてくる雫を拭き取る。 「れい?」 「どうぞ。」 外から斎藤さんの声がかかる。 れいの返事で、すぐに部屋の中に入ってくるが、襖を閉める音が乱暴で、思わず驚く。 「はじめさん?」 頭を拭きながら後ろを振り返ると、斎藤さんが目の前まで迫ってきていた。 斎藤さんは、横に置いてある浴衣を広げると、れいの肩に掛けて、身体を包み込む。 「身体を拭いていたんですよ。」 「そんなことは俺がやる。お前は寝ていろ。」 手ぬぐいを奪い取って頭を優しく拭ってくれる斎藤さん。 仕方なく浴衣に袖を通して、紐で腰を結ぶと、れいは後ろを振り返った。 振り返っても、斎藤さんは髪の毛を拭い続けてくれる。 「でも、はじめさんにさせたら・・・、それだけで終わらない気がして・・・。」 「・・・む・・・。」 髪を拭う手が、ピクリと止まる。 「ごめんなさい、今日は本当に、無理・・・・・・。だから、なるべく刺激したくなかったの・・・。」 申し訳無さそうに言うれいの顔色は、未だに悪い。 斎藤さんはれいの髪を指で梳きながら、苦笑した。 「それの為にお前と行動を共にしたと思っていたのか?」 斎藤さんの言葉に、首を振る。 「出来うる限り、お前を守ると誓った。それを実行しているだけだ。お前は気にしなくていい。」 「有難う・・・。」 斎藤さんが、れいを布団に横たえてくれる。 そして、着物と襦袢を衣文掛けに掛けてくれる。 そうした甲斐甲斐しさに微笑んで、横に座る斎藤さんの手を握り締めて、じっと見つめる。 この姿を目に焼き付けて、次に再会する時まで寂しくならないように。
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