若い隊士がそんなことを言うものだから、堪らなくなったのだろう。 もう少し年配の隊士が近寄ってくる。 「お前はまだ入って日が浅いから知らないだけだろう。組長には、懇意にしている女性が居るという噂が有る。」 「そうなのですか!?」 若い隊士が素直に驚く。 「その人は?」 「京に置いて来たとか、逃げられたとか、江戸まで追いかけて来たとか、色々噂が有るが、どれが真実かは誰にも分からない。」 横で聞きながら、れいは気まずく視線を俯ける。 逃げたが一番真実に近いと知ったら、二人はどう思うのだろうか・・・。 「では、今は居ないのですね。」 「知らん。あくまでも噂だからな。本当にそんな女性が居たのかどうかも定かでは無い。」 れいが年配の隊士を振り仰いで、首を傾げる。 この隊士は、先ほどから厳しい表情を崩さないが・・・。 「そう言うわけだから、抱き上げられたからといって、調子に乗らないように。あのお方に取り入るのは無理だ。」 「・・・・・・あ・・・、はぁ・・・。」 間の抜けた返事が口から毀れた。 取り入るつもりなど、毛頭無いのだが。 「お前も、下手なことを言わないように。組長はただ進軍速度を気にしただけだ。」 「はっ!申し訳ありません!!」 若い隊士が直立して返事をする。 そして、二人は砂利の混じる土を踏みしめながら立ち去って行った。 ふと、木立を揺らしながら通り抜ける風の音が耳に届く。 一人で歩いていたときにはよく聞いていた。 歩き通して熱くなった身体を涼めてくれた風だ。 その風に、ふつふつと沸いてくる怒りの炎を吹き消してもらおうと、深呼吸をする。 先ほどの年配の隊士は、きっとれいに忠告をしにきたのだ。 自分たちの組長に、変な女が寄ってきては困るから・・・。 まるで、女はみんな媚を売るとでも思っているかのような偏見ではないか・・・。 いや、それこそ自分の偏見ではないだろうか? 男がみんな、女をそう見ているという偏見。 ただ、本当に純粋に組長である斎藤さんを心配しての言葉か、れいがその気にならないために言った助言か。 どちらにしても、結局は的外れなのだけれど・・・。 貰ったお水をぐいと飲み干すと、れいは立ち上がった。 先ほど持ってきてくれた若い隊士の所へと行くと、笑顔で器を手渡す。 「すいません、有難うございます。」 「いえ、どういたしまして。」 笑顔でお礼を言う隊士が、少しだけ辺りを目だけで見回すと、こっそりと伝えてくる。 「さっきはすいませんでした。でも、気に入られたんじゃないか?って言うのは、僕の直観です。どんな女の人が近寄っても、組長は触ろうともしなかったんですよ。それが、ああしてわざわざ自分から近づいて行くなんて、よっぽどです!京に懇意にしている女性が居たって、今は傍に居ないんですから、組長だって、人肌恋しいと思いますよ。」 そこまで言うと、さっと視線を外して器を仕舞う。 後ろを振り向くと、先ほどの年配の隊士が目を光らせて伺っている。 それに肩を竦めて嘆息して、れいは若い隊士に向き直った。 「そう言ってくださるのは光栄ですが、なぜ私にそんなことを言うのですか?私にその気が無かったら、意味の無いことですよね。」 「え、そ・・・、そうですね・・・。あんなに素晴らしい組長ですから、女性が放っておくと思えなかったんですが・・・、そうですよね、女性のほうにその気が無いこともありますよね。」 照れくさそうに頭を掻く隊士と別れて、れいは斎藤さんの下へと近寄っていった。 年配の隊士の視線が痛いが、気にしない。 斎藤さんは既にれいの足取りに気付いて顔を向けている。 その斎藤さんの前まで来ると、しゃがみ込んで顔を見つめる。 少しだけ、疲労を湛えた瞳の中に、不機嫌さが窺える。 「あの若い隊士さん、はじめさんに物凄く憧れているみたい。それに、はじめさんが私のことを気に入ったみたいだから、迫ってみたらどうだ?って言われたわ。」 「むっ・・・。」 少しだけ、瞳に怪訝な表情が混じる。 「年配の隊士さんには、はじめさんには懇意にしている女性がきちんと居るらしいから、お前なんか近づくなって、言われたわ。」 「・・・。」 れいの顔を見つめて、斎藤さんが小さく息を吐く。 「だから、そんなに心配そうな顔で見なくても、何でも無いのに・・・。」 「お前に心配が無くても、周りがそうだとは限らない。」 「平気よ。だって、はじめさんが育て上げた隊士なのでしょう?」 「ああ。」 「なら、平気でしょう?」 「むっ・・・・・・。」 気まずそうに視線を反らす斎藤さんを見つめて、れいが腕に巻いた布にそっと触れる。 「傷、痛みますか?」 「これくらい、どうって事はない。」 「でも、怪我をした腕で私を抱き上げるから、出血したんじゃ・・・。」 「かすり傷だ。」 強がる斎藤さんに首を振って答える。 「かすり傷でも、傷は傷です。身体、もっと大事にしてください。死にに来ている訳ではないんですよ。生きる為の戦いですよね?」 「ああ。」 斎藤さんが力強く頷く。 それにホッとして、笑顔を向ける。 「なら、やっぱり、身体を大事にしなければ。」 傷跡を撫でて、すぐに手を放す。 斎藤さんがその手を追うように手を伸ばし、れいの手を握る。 「はじめさん・・・、先に行ってください。」 「れい・・・?」 「やっぱり、私が一緒に居ない方が速く進めるでしょう。」 「しかし・・・。」 「邪魔したくないの。」 「今夜はどちらにしろ、次の宿場に泊まる予定だ。ここで時間を取ろうが問題ない。」 「でも・・・、隊士さんたちにも悪影響が・・・。」 「この程度で動揺するようには鍛えていない。」 斎藤さんがれいの手を引いて、みんなの前で抱き締める。 「はじめさん!!?」 れいの声が辺りに響く。 後ろで息を呑む音がいくつも聞こえるが、恐ろしくて振り向けない。 「俺が鍛えた隊士だ。平気なのだろう?」 ニヤリと笑い、れいの耳元で囁く斎藤さんに、 「もう・・・、そうですね・・・。」 小さく囁き返す。 耳まで真っ赤に染め上げて恥じるれいを見て、斎藤さんが満足そうに微笑む。
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