厠の中で、外からする声に耳を澄ませる。
先ほど去ったと思った男の声がする・・・。
「斎藤君・・・、君は素晴らしい贈り物を授かったのですね。」
「・・・・・・。」
斎藤さんの溜息が聞こえてくる。
「母が羅刹になったら・・・・・・、お腹の子はどうなるのでしょうね・・・。」
「何を言っている・・・?」
「羅刹にしてから子を作って実験するのも良いですが・・・、子が居る状態で羅刹にしたらどうなるのか・・・・・・。とても気になると思いませんか?」
「思わない。」
羅刹にする・・・とは、一体何のことなのだろう・・・。
羅刹にしてから子を作る・・・?子が居る状態で羅刹にする・・・?
用は終わったのに、これでは厠から出られない・・・。
「思わない・・・とは・・・。」
男が溜息を吐く。
「考えてみてください。」
「もう、部屋に帰ったらどうです。」
「先ほど、起きたばかりですよ。」
「しかし、今は去っていただきたい・・・。」
「やはり、奥方に紹介はしていただけないのですね。」
「・・・・・・。」
「まぁ、良いでしょう。今日は退散します。」
退散すると聞こえてから、少しだけ待って顔を出す。
斎藤さんが振り向いてくれるその顔が、心なし沈鬱に歪められている。
「さっきの人・・・?」
「ああ。」
「もう、大丈夫・・・?」
厠から顔だけを出して辺りを伺うれいの手を優しく引いて、自分の腕の中に包み込む。
せっかく取り戻したこの温もり、更には、お腹に宿った新しい命を・・・・・・、山南さんには悪いが、羅刹になどされてたまるか・・・と思う。
新選組とは関わりの無いれいが、羅刹になる必要は無い。
「はじめさん・・・?」
れいが心配そうに見上げてくる。
「さ、部屋に戻れ。」
「はじめさんの部屋じゃ・・・駄目なの・・・?」
「だ、駄目だ!」
はじめさんが抱き締めていたれいを勢いよく放す。
その反動で首がガクリと前後に揺れる。
「何で?」
「副長命令だ。」
「・・・・・・それだけ?」
顔がほのかに赤い。
副長命令だけが原因では無い様に思い、聞いてみると、気まずそうに顔を反らしてしまう。
「それ・・・だけ?」
もう一度聞いてみる。
「・・・・・・今一緒に居たら・・・、お前を抱いてしまいそうだ・・・。」
「・・・。」
そのうろたえ様に、れいまで顔を赤くする。
「はじめさんは・・・・・・、いつまでも、初心だなぁ・・・。」
呟いて、斎藤さんの手を握り締めると、引っ張って先を歩き始める。
「良いです。ずっと、ずっと、迎えに来てくれるまで我慢してます。」
「れい・・・。」
「そうして、来てくれたら・・・・・・、たっくさん、してもらいますから。」
振り向いて、背伸びをして斎藤さんの唇をぺろりと舐めあげる。
「こ、ここは・・・」
「屯所・・・でしたね。」
斎藤さんの言葉を人差し指で制して、先を続ける。
斎藤さんが頷くのを見て、眉尻を下げて微笑む。
「それに、はじめさん激しいから・・・。お腹の子が安定するまでは、駄目ですよ。」
「む・・・、そうなのか?」
「そうなんだって、遊女屋のお母さんが教えてくれました。」
「・・・そうか・・・。」
斎藤さんが小さく呟くと、れいの手を引っ張った。
「そっちではない。」
「え?」
振り向くれいを見て、斎藤さんは今まで感じていたことを改めて聞いてみることにした。
「ひょっとして、れいはあまり方向感覚が優れていないのか・・・?」
「・・・・・・そんなこと無いですよ。」
「大文字焼きを見に行った時も、道を見失っていた。」
「あれは、人に流されちゃったから・・・。」
「初めて会った日、八木邸でもお勝手に行くと言って中庭に居た。」
「・・・・・・よく覚えていますね・・・。」
方向感覚が無いことは無い。一つ一つ家を覚えて道を歩くから、迷うことは少ない。
けれど・・・・・・。
どうも、同じような建物が並んでいる場所や、家の中では、迷いがちになる・・・。
「あまり、同じような景色だと、分からなくなっちゃいますね。」
「・・・?」
斎藤さんが不思議そうに見つめてくる。
「町中で迷うことは、あまり無いですけど。でも、何故か家の中ではよく迷います。こんなに広い家で育ってないですから・・・。」
「そうか。」
斎藤さんの頬がふわりと緩くなる。
「何で笑うんですか?」
「笑っていない。」
「でも、頬が緩んでますよ。」
上目遣いで睨んでくるれい。
斎藤さんは指摘された頬を自分で触って確認する。
「ただ、愛しいと・・・、そう思っただけだ。」
自分の頬が、確かに緩んでいると思った。
あまり表情筋を使わない斎藤さんの、ほんの少しの動きを理解するれいに、また更に愛しさがこみ上げてきた。
「これ以上は本当に冷える。部屋に戻れ。」
「はい。」
斎藤さんに促されて、れいは部屋へと戻った。
布団に潜り込むと、冷えた身体が震えた。
冷えたからだけだろうか・・・・・・。
さっきの男は何だったのだろう・・・。羅刹とは・・・・・・?
考えているうちに、再びウトウトと眠りに吸い込まれる。






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