れいは、二人の気配が遠ざかるのを確認してから、むくりと起き上がった。
気持ちの悪さはまだ有るし、目眩も落ち着いていない。
けれど、ここに居たらいずれ斎藤さんが来てしまう。
その前に、何としても抜け出さなくては…。
今斎藤さんに会ったら、泣いて、謝って、そばに居たいと言ってしまうかもしれない。
それでは意味が無いのだ・・・。
それに、斎藤さんは既に自分を見限っているかもしれない。
それを確認するのも怖い・・・。
自分から逃げておいて、相手に逃げられるのは怖いなんて…、なんて自分勝手な女なんだろう。
本当に、最低でろくでもない女だ…。
布団から出ると、襖の向こうに気を配る。
物音はして来ない。まだ、誰も帰って来ていないようだ。
そっと襖を開けて、少しだけ目で確認をすると、部屋を抜け出した。
確か、こっちから来たはずだ…。
れいは来た道へと歩をゆっくり進めた。
誰かが来ないか気をつけながら進むと、十字路に差し掛かる。
右側から来たはずだ。
しかし、その右側から足音が聞こえてくる…。
仕方なく左に曲がり、すぐ先の角を曲がる。
引き返すよりは、遠回りでも安全な道を行こうと思い、そのまま先に進んで、どこかで右に修正しようと思った。
しかし、どんどん喧騒が近づいて来る。
どうやら、人が居る方へと進んで来てしまったらしい。
けれど、出口なら人が多くても仕方が無いはずだ。
そっと廊下を歩きながら、先の十字路の右左を伺う。
ふと、ぐらりと視界が揺れて、一気に気分が悪くなる…。
そのまま崩れる様に座り込んで、口に手を当てる。
お勝手が近い様で、最悪なことに焼き魚の臭いがする…。
最悪…。引き返さなきゃ…。
早く戻りたい、この臭いから遠ざかりたい、そう思うのだけれど、立ち上がるだけでも時間がかかってしまう。
目の前が揺れて思うように歩けずに、壁に手を着いてゆっくりとその場から遠ざかる。
しかし、角を曲がる時に、誰かにぶつかってしまい、再び座りこんでしまった。
「・・・・・・。」
沈黙が降りてくる。
れい自身は、見つかってしまった事に対する自己嫌悪と気分の悪さで口が聞けないのだが・・・。
ようやく上を見上げると、そこには氷の眼差しで見下ろしてくる土方さんが居た。
「お前・・・・・・、ここで何してやがる。」
土方さんが、腰に差した長刀を抜き放ち、れいへと向けてくる。
その切っ先を見て、何故だか冷静になっていく自分が居た。
「土方さん・・・・・・。」
ここに来たのが、土方さんで良かった・・・。そう思いながら土方さんの眼差しを受け止める。
そして、土方さんの顔色が心なしか青いのに気付いた。
「土方さん、具合悪いんですか・・・?」
「お前に言われたかねぇ。」
そうかもしれない・・・。
今、自分がどれだけ青い顔色をしているのか分からないが、想像はつく・・・。
「はは、そうでした。」
自嘲的な笑いを零し、壁に凭れ掛かると目を閉じて呼吸を整える。
長刀の切っ先は、依然として自分に向けられている。
それが分かっているのに、目を閉じて無防備にしているれいに、土方さんが眉を寄せて睨みつける。
「ここで、斬られるわけにはいかないんです・・・。」
「なら、何でここに居る?」
「ちょっと・・・・・・、仕事帰りに拉致されて・・・。」
「それが、嘘じゃねぇ証拠は?」
「・・・無いです。」
「そうか。なら・・・・・・。」
長刀の柄が鳴る、小さな音が聞こえた。
目を開けて見上げると、銀色の細い刀身が改めて振り上げられる所だった。
れいは咄嗟にお腹を庇って身体をギュッと丸めた。
今死ぬわけにはいかない・・・。せめて、この子を産んで、出来るなら立派に、健康に育てあげて、それからなら・・・・・・。
父が居ない分、自分が沢山の愛情を注がなければ!!
ヒュッと、耳元で風が唸る音がして、蹲るその頭の先で刀身が廊下の木板に突き刺さる。
髪が耳元で揺れて、その速さを後から教えてくれる。
「大方、新八と左之の仕業だろう・・・。」
土方さんがそう呟いて、廊下から長刀を引き抜くと、鞘に納めた。
「分かってたなら、何で刀を振り下ろすんですか!?」
れいが恨みがましく睨み上げて言うと、土方さんが片方の口角だけを持ち上げて笑う。
「虫だ・・・。」
「・・・・・・嘘つき・・・。」
れいの反応で本当か嘘かを見分けていたのだと、そう思う。それを、虫だなんて・・・。
上体を起こして壁に手を着き、ようやく立ち上がりながら口を尖らせて呟く。
土方さんは気にした風もなく、鼻を鳴らすと、腕を組んで見下げてくた。
「で、想像はつくが・・・、一応聞いておく。拉致されて、それから何がどうなってお前がここで一人で居る?」
「ええと、斎藤さんの部屋に連れて行かれて、待てと言われて一人にされたから、待たずに逃げ出して、今帰るところです。」
「帰るところ・・・ねぇ。」
土方さんが意地悪く繰り返して、れいに近寄ってくる。
「なら、玄関はそっちじゃねぇ。」
「そうみたいです・・・。」
はぁ・・・と溜息をついて、土方さんがれいの頭の上に大きな手のひらを乗せる。
「いいか、玄関はここを左に曲がって、すぐを右だ。誰に見つかっても構わねぇ。さっさと帰れ。」
「・・・・・・はい。」
土方さんが手のひらを離して、道を指差す。そちらを向きながら、れいは少しだけ目頭が熱くなるのを感じた。
結局、会いたくないのは意地だけで、全身で会いたいと思っているのだ・・・。ここで帰ってしまったら本当にもうこれ以上会えなくなるかもしれない・・・。
山崎さんみたいに・・・、死んでしまうかもしれない・・・。
そうなってからでは遅いのだ・・・。
会いたい全身と、帰らなくてはと思う頭、両方共自分にとっては大事なことだから・・・・・・。
れいが玄関を向いたまま動けずに居るのを溜息とともに見つめて居た土方さんが、一つ閃いた。
「お前、商売道具も有るのか?」
「あ、はい。・・・・・あ、そう言えば!原田さんか永倉さんが持っていたはず・・・!」
今、自分の手元には商売道具が入った風呂敷包みが無い。
抜け出した部屋に置いてきてしまったのだろうか・・・?
「どうしよう、忘れてきちゃったのかな・・・。」
自分の両手を呆然と見つめながら呟くれいに呆れつつ、土方さんが頭を掻いた。
「はぁ・・・。とりあえず、あるはずなんだな?」
「はい。一緒に持ってきてくれていました。」
「んじゃ、取りに行くぞ。」
「え?」
「お前に仕事を依頼する。」
土方さんの言葉に驚いて、れいは目を見開いて土方さんを見つめた。
「これから、俺たちは洋装にする。髪を洋装用に切ってくれ。」
「ようそうよう・・・?ようそうって、服を様式にするって事ですか?」
「ああ。勿論出来るんだろう?」
れいの短い髪をくしゃりと掴んで、そのまま梳く。
「とりあえず、その顔色を何とかしろ。少し休め。仕事は明日で構わない。」
「や、休めって・・・、どこで?」
土方さんは何も言わずに歩き出した。
どこで休むのか分からず、仕方なく後ろをついて行くことにした。






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