れいは吉原の入り口に来ていた。 久しぶりに見る吉原遊廓は、相変わらず華美で荘厳で、京の島原とは違う華々しさがある。 女の客が来ることは珍しい。まして、れいのように髪を短く切った女はどうしても人目を引く。 まるで、禿がそのまま大人になったような井出達のれいを、通りを歩く人たちが興味深い視線で見てくる。 商売道具が入った風呂敷包みを抱きしめて、緊張した面持ちで門を潜る。 とにかく、昔なじみの一番近い店に早く着きたい。 そうしなければ・・・・・・。 冷や汗が流れてくるのを何とか我慢しながら、足早に歩いて一軒の遊女屋の裏口を叩く。 「はい?どちらさんですか?」 「髪結い屋のれいです。」 「はぁ?髪結いなんて頼んでませんけど・・・?」 それなりに年齢の行った女性の声が近づいてきて、扉を開けてくれる。 中から、懐かしいお母さんの顔が出てきて、れいは心底ホッとして思わず足の力が抜けた。 「あら、あんた、れいじゃないの!大丈夫?また貧血起こして!!」 「お母さんまで、またって・・・。」 「また、でしょう?」 「・・・・・・はい・・・。」 こんな会話を、ちょっと前に実家でしたばかりだ・・・。 情けない・・・。 戸口に座り込むれいに、お母さんが家の中から用心棒に雇っている男を呼んできてくれる。 その男が、軽々とれいを抱き上げて、居間に座らせてくれる。 膝を抱えて深呼吸して、血流が戻るのを待つ間に、お母さんが暖かいお茶を持ってきてくれる。 「あんた、久しぶりに来たと思ったら、さっそく貧血って・・・、相変わらずだねぇ。」 「お母さんこそ、久しぶりに会ったのにその素っ気無さ、相変わらずですねぇ。」 「また、ご飯食べないで来たの?」 「いえ、食べたんですけど、歩きすぎましたかねぇ・・・?」 貰ったお茶を啜って、正面に座るお母さんを見る。 ここのお母さんは、自分も昔遊女をしていた人で、とても情け深いけれど、小ざっぱりとしていて付き合いやすい。 「夏は、来るたびに青い顔してたっけねぇ。」 「毎度じゃないですよ。」 「そういう印象しか残ってないんだよ。」 「そうですか・・・?そんなに酷かったかな・・・。」 「思い出なんて、そんなものさ。」 煙管を燻らせながら、お母さんがふぅっとれいに煙を吐き出してくる。 それを嗅いだ瞬間に、気持ちの悪さが込み上げてくる。 「お母さん、煙・・・向けないで・・・。」 胸と口を押さえて顔を顰めるれいを見て、お母さんが煙管の灰を落としてもみ消してくれる。 「あんた・・・・・・、お目出度だったんだね!そうかい、それで報告に来てくれたのか!冬に貧血だなんて、初めてだからどうしたのかと思ったけれど、そう言う事かい!いや、悪かったね、煙管なんて吸って!」 驚き、その後に笑顔になって、お母さんが喜んでくれる。 そのお母さんの言葉で、一気に現実味が増す。 まさか・・・とは思っていたけれど・・・・・・。 何となく、自分で「あるはずがない」と誤魔化したまま過ごしていたけれど。 「やっぱり、そうゆう事なのかなぁ・・・。」 「はぁ?何言ってるんだい?違ったのかい?」 「いえ、確信が持てなかったと言うか、自分に子供が出来るなんて思っていなかったと言うか・・・・・・。」 実家に帰ってきてから、ふと自分が辿った月日を数えて、あれ・・・?と思ったのだ。 まさか、もう干上がった等とは考えられない。少し周期がずれただけかと思ったのだ。 冬に貧血を起こしたことも無かった。 それでも、心労と周期のずれによる貧血だと誤魔化していた。 けれど、段々とおかしい・・・と感じ始めていた。 大好きだった焼き魚の臭いが苦手になったのだ。 そう言えば、姉も妹も妊娠中は焼き魚が食べられないと言っていた・・・と、思い出して愕然とした。 それ以外は平気なのだけれど・・・、今分かった事だが、どうやら煙管の臭いも駄目になったらしい・・・。 それが分かったから、余計に早く実家を出なければいけないと、心が焦った。 「あんた、そう言えば旦那は死んでるじゃないか。再婚でもしたのかい?」 「いえ・・・。」 「いえ・・・って、じゃ、その子の親は?」 「・・・・・・。」 れいの沈黙から、手放しに喜べるような妊娠ではないと悟る。 「分かっては居るんだろうね?」 「はい。」 「なら、さっさと行って、責任とってもらいな!」 お母さんの言葉は最もだ。その責任の取り方がどうであれ、相手にも伝えることは大事だ。 けれど、今のれいにはそれをすることが出来ない。 「もう・・・、別れたんです。別れた後で、発覚したんで・・・・・・。」 「別れたなら、なおさらどうするのか相談しないと。」 相談が出来るような立場ならば、喜んで相談する。 けれど、逃げた身で、身分も違う自分が戻って、子が出来た・・・などと、言える訳が無い。 れいは正座をして、指を突いてお辞儀をすると、お母さんに懇願した。 「お願いです、しばらくで良いので、ここに泊り込んで髪結いの仕事、させてもらえませんか?それ以外でも、出来ることならなんでも手伝いますから!」 「れい・・・。」 「実家に迷惑をかけるわけにはいかないんです!」 お母さんが、ジッと見つめてくる。 女の色々な事情には優しい遊廓だとは言え、これは随分身勝手な言い分だと、自分でも分かっている。
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