父のお見合い発言から三日たった。 江戸にも、鳥羽伏見で戦火が上がったと、噂は流れてきている。 新選組がどこまで奮戦しているのかはよく分からないが、戦火の只中に居る事だけは確信を持てていた。 みんなが無事で居るのか不安で不安で仕方が無い。 夜、寝ることが出来ないで、ずっと寝返りばかり打っている。 狭い家で、家族七人が雑魚寝をしているから、あまり夜に音を立てると、迷惑がかかる。 きっと、眠れて居ないことに気付いている人も居るだろう。 けれど、眠れない・・・。眠いのに眠れない。 寝ると、怖い夢を見るのだ・・・。 自分は弱い。心配なことが全て夢となって現れる。 朝、日が昇る前に起きだして身支度を整える。 髪結いの道具を全て持ち、着物も余分を一着持って、そっと扉を開いて外に出る。 キンと冷えた空気が身体に張り付いて、震えが走る。 吐く息が白い。 「れい・・・。」 後ろから母の声が聞こえる。 振り向いて、口に指を当てて静かにするように促す。 母はれいを追って家から出てきて、扉を閉める。 「やっぱり、そんなにお見合いが嫌?」 「嫌です。」 きっぱりと言うれいに、母が苦笑交じりで額を突いた。 「あのね、お父さんはあなたを追い出したいんじゃなくて、苦労をさせないために嫁に出そうとしているのよ。」 「苦労って・・・。」 「あなたが奉公先から仕送りをしてくれていた時も、毎回涙を流して詫びていたのよ。」 「・・・・・・。」 「あなたの夫が亡くなった時も、何であなたばかり苦労するんだって、何日も夜中一人で泣いていた。」 「別に、私だけが苦労しているわけじゃないじゃない。」 父が自分を心配してくれていることくらい、本当は知っている。 知っているけれど、それを知られることを恥だと思っているから、知らないふりをするのだ。 「結婚はね、お父さんなりのあなたの幸せなの。」 「私の幸せは、結婚には無いって、言ってるのに・・・。」 「少しでも楽になるようにって、結構良い所の商家に話を付けに行ったみたい。」 「楽って・・・?」 「生活が。あまり働かなくても良いような。」 「あぁ、それは確かに憧れる。」 髪結いの道具を抱きしめて、肩をすくめる。 「でもね、どうも四十過ぎたオジサンらしいのよね・・・。」 「っげ・・・。」 「それは、いくらなんでも可哀想だよ。れいが。」 「それはいくらなんでも・・・、嫌だよ・・・。」 「あなたももうすぐ、三十だけどね。」 「言わないで!自分でも信じられないんだから!」 「本当に。こんなに落ち着きが無い三十歳、あまり見たこと無いね。」 「私も、あまり聞いたこと無いね。」 カタカタ震える身体を抱きしめて擦りながら、母に皮肉な笑顔を向けると、母が頭を軽く二度叩いてきた。 「帰って来るでしょう?」 「今日、話がつかなかったら帰ってくるけど、話がついたら帰ってこないかも。」 「でも、帰って来るでしょう?」 「そうだね。落ち着いたら帰ってくるよ。」 「分かった。あなたのことは信じているから。向こう見ずで鉄砲玉みたいなあなただけど、お母さんは信じてるから。」 「うん。知ってる。みんな信じてくれてること、知ってるから。」 「そう。じゃあ安心ね。」 腰に手を当てて、白い息を吐きながら頷く母を見て、老いたな・・・と思う。 「老いたね・・・。」 思っただけでなく言葉に出してしまい、頭を今度は強く叩かれる。 「老いた親に、心配ばかりさせるんじゃないよ!」 「さっき、安心だって言ったくせに・・・。」 ブツブツと口の中で文句を言うと、母が包みを一つ渡してくれた。 「また何も食べないで出歩いて貧血起こすと大変だから。これ、きちんと食べなさいね。」 包みは、おにぎりだとすぐに分かる。 母が握ってくれるおにぎりは、いつもこの包みに入っていた。 それを風呂敷包みに仕舞いこんで、頷く。 「有難う。」 「今日、もし駄目だったら、本当にちゃんと帰ってきなさいね。」 「うん。」 「お見合いの事は、気にしないでね。」 「有難う。」 小さく何度も頷いて、空に橙色の光が差してきた頃、れいは母に背を向けて歩き出した。 向かうのは江戸吉原。 夫と共に髪結い処を営んでいた頃からのお得意様だ。 五年も経ってしまったが、変わらずに働いている人たちも居るはずだ。 実家から吉原までは、歩くと一刻半以上はかかってしまうが、夫の家からだと、四半刻で行ける。 今から行くと、吉原は閉まっている。遊廓は、朝にみんな寝始めるのだ。夕刻にならないと起きださない。 それまでは、一度夫のお墓参りをしようと思う。 のんびりと、江戸を眺めながら行くのもいいだろう。 とにかく、今日は家に居たらお見合いに連れ出されてしまう。逃げるが勝ちなのだ。 もし、自分で店を営むことになるなら、実家の近くで営みたい。 周辺の空き物件も調べながら歩いて行くつもりだ。 れいは、少しずつ前に進んでいる自分を感じていた。 京に着いた頃と同じようで、全然違う。 あの頃は、全然前を向いていなかった。 今は、後ろを振り向いて斎藤さんの影を探しながらも、前に向かって歩いていると思う。 斎藤さんが立派な武士で在れる様に・・・、邪魔にならない場所で応援するために、後ろばかり向いてはいられない。
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