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日差しが少しだけ傾いて、店内が夕焼け色に染まりかけた頃、暖簾を潜って一人のお客さんが訪ねてきた。 れいは振り向くと、そこには斎藤さんが立っていた。 「あ、いらっしゃいませ。」 斎藤さんは、れいの膝の上で寝息を立てている土方さんを見て、驚いた顔をしている。 「あ、土方さんに御用ですか?」 「ああ。」 その声に、土方さんが身じろぎをして、目を開ける。 「ん・・・、斎藤か?」 「はい。副長、局長がお呼びです。」 「ああ、分かった。」 身体を起こして首を左右に振ると、サッと立ち上がる。 それを目で追う。 れいは、やはり土方さんは心から眠っていないと感じた。 斎藤さんが来る気配も、自分よりも先に気づいていたように感じた。 「れい、お前の腕は確かだった。隊員たちにも宣伝しておこう。」 そう言って、金子を床に置くと、土方さんは腰に刀を差して斎藤さんへと歩み寄った。 「で、斎藤。近藤さんは何て?」 「それは、帰ってから話すと仰っていました。」 「分かった。斎藤はここで、俺の代わりに山崎を待て。」 「はい。」 「それから・・・。」 暖簾の中で話をしていたのに、後半はほとんど聞き取れなかった。 わざと聞こえないように話しているらしい。 組の内情を知られないためだとは思うが、どうもチラチラとこちらを見られる。 「じゃ、頼む。」 斎藤さんの肩を叩くと、土方さんは振り向きもせずに店を後にした。 残された斎藤さんは、その場に立ったままだ。どうも、そのままで山崎さんを待つのではないか・・・?と思えてくる。 「あの、斎藤さん、こっちに座って待たったらどうですか?」 「あ、ああ・・・。」 先日の宴の時よりも、なんだか反応がぎこちない。 「どうしました?」 「いや・・・・・・。」 動こうとしない斎藤さんに痺れを切らして、れいは自分から近寄ろうと立ち上がった。 けれど、足の感覚が麻痺して、上手く立ち上がれずにそのまま倒れこんでしまう。 「わぁ!!」 畳に滑り込んで、顔を少しだけ打つ。 「痛い〜・・・。」 少しだけ畳で擦りむいた鼻を押さえて、倒れたまま足をバタバタと動かして痛みを散らそうとする。 けれど、足の感覚も無いからそれも上手くいかずに、段々と足が痺れてきて、別の意味でバタバタさせ始める。 「だ、大丈夫か?」 一向に立ち上がらないれいを心配して、斎藤さんが近寄ってくる。 「あ、足が痺れてきちゃって・・・、立てません・・・。」 「しかし・・・。」 「うぅぅぅ・・・、格好悪い・・・。」 斎藤さんには、変なところばかり見られているような気がする。 「そのように足をバタバタさせるな・・・。」 「へ?」 れいの呟きなど聞いていなかったのか、斎藤さんが真っ赤な顔を背けている。 「ありゃま・・・。」 その様子を見て、自分の足元を見て、何となく理解する。 着物の裾が膝裏まで捲れ上がっている。 「これはこれは、純な殿方には目の毒でしたね。こんなおばちゃんの足をお見せしてしまうなんて。」 痺れる足を何とか動かして座ると、足を抱え込むようにしてふくらはぎを揉み解す。 隣に座り込んでいる斎藤さんの顔は、未だに赤みを残している。 「おばさん・・・?れいはおばさんでは無いだろう。」 「斎藤さん、私より若いですよね。」 「いや、俺は19歳だぞ。」 「ほら。私、23歳ですから。」 「・・・・・・?」 「え・・・?」 沈黙で凝視してくる斎藤さん。その顔が、嘘だろう?と告げている。 れいは、思わず口を尖らせる。 「どうせ、見えないって言うんでしょう?良いんです、良いですよ〜。見えないのは自覚してますから。」 「同じか下くらいに思っていたが。」 「上ですよ。」 「その・・・」 「この顔で!です!」 大きめの目は、少し目じりが下がっている。ふっくらとした頬に、少し厚めの唇。 卵型の小さな顔の中にそれらが整えられて収まっていて、とても23歳には見えない。 23歳と言えば、結婚もして子供も生んでいるような年齢だ。中には見目が若いまま母親になる女性も居るが、その種の女性のようだ。 身長も小さく、先日走っているところを捕まえた限りでは、足も速くない。先ほどこけた所を見ると、鈍くさい部分もあるらしい。 けれど、確かに瞳の中に含まれている理知的な部分は、勉学だけでは得られない経験もあるように見える。 「いや、悪かった。若く見えるのは良いことではないか。」 「女一人で商売をすると、若く見えるのは弱点にもなるんですよ。」 「何で、一人で商売を・・・?結婚をすれば良かったではないか。お前ならば、申し込みが沢山あっただろうに」 斎藤さんが、当然の質問をしてくる。 れいは苦笑いして、首を傾げる。 「言いたくなければ、いいが・・・。」 「いや、何か・・・、斎藤さんには変なことばかり知られてしまうなぁ・・・と思って。」 「副長とのことは、内密にしておこう。」 「土方さんとのこと・・・・・・?」 「あ、いや・・・。」 口を抑えて、再び顔を赤くする斎藤さんを見て、なにやら変な誤解を受けているようだと気づく。 「何も無いですよ。土方さんはお客さんとして来て、耳かきの最中に寝てしまっただけです。」 そのお客さんとして・・・も、どうやら本来の目的は山崎さんだったらしいし。 「しかし・・・。」 「本当です!私、商売中ですよ。そんなことしません!」 少しだけ強めに言うと、斎藤さんは溜息をついて、額に手を置いた。 「すまない、早とちりしたようだな。」 「本当ですね。」 苦笑交じりに答えて、斎藤さんの顔を覗き込む。斎藤さんは、ばつが悪いのか、視線を反らしてしまう。 「結婚は、してました。子供は出来なかったんです。」 「では、離縁されたのか?」 子供が出来ない女を離縁する、というのは、無い話ではない。跡継ぎを必要とする人物ならば当然のことで、家が裕福ならば妻を増やせばいいのだが、裕福でなければ取り替えるという頭になるらしい。 「いえ、二年前に夫は死にました。」 さらりと笑顔で答えるれいに、斎藤さんは女の強さを見た気がした。 「夫の家に、14歳で奉公に上がって、17歳で見初められて結婚したんです。でも、子供が出来ないまま4年たって、夫が亡くなって・・・。そのまま2年は一緒に暮らしていたんですけど、夫の弟に・・・ああ、この弟は結婚をしていて、奥さんも子供さんも居るんですけどね、女癖が悪くて、こっちにも手を出そうとしてきたんで、逃げてきたんです。お義母さんに言っても、悪いのは私だってことになってしまったんで。実家に帰るのも迷惑をかけると思って、一人で京に来たんです。幸い、14歳から髪結い処の仕事を手伝わせていただいていたので、しっかりと身になりましたし。」 「それは・・・・・・。」 「よくある話ですよね。」 良くある話だ。夫の弟が結婚をしていなければ、そのまま弟と結婚させられることも多々ある。 しかし・・・。 「女一人で商売をしようとするなんて、とは思っていたが・・・。そんな事情があったのか。」 時代が時代だ。女が切り盛りする店もあるが、それは亭主が使えないだけの話で、女独り身で商売となると話は別だ。 そんなに簡単なことではない。 それでも、やろう・・・と思うほど、追い詰められていたのだろう。 「ここには山崎も居る。それに、俺も居るし副長も居る。先日の幹部たちも居る。」 斎藤さんが、れいの手をそっと握ってくれる。 「何かあれば、すぐに声をかけてくれ。俺たちも出来る限り協力しよう。」 「・・・・・・有難うございます。」 れいは、張り詰めていた糸が切れてしまいそうで、グッとお腹に力を入れて、精一杯の笑顔を斎藤さんに向けた。 「そう言ってくれると、すごく心強いです。遠慮なく、頼りにしちゃいますよ。」 「ああ。」 出会いからそんなに時間がたっていないのに、こんなに心を許してしまって良いのだろうか・・・、迷いはあるけれど、今のれいには他に拠り所が無かった。 斎藤さんの申し入れを受け入れると、先の不安が少しだけ消えていった。
髪結い処は順調に集客を増やしていき、山崎さんもたまにだが店を手伝ってくれるようになった。 京の情報も、自然とお客同士の会話から入ってくるようになり、れいのお店は新選組の情報屋という地位に上りつつある。 お客と称して、新選組幹部が来てくれることもあり、安心してお店を営むことが出来た。
この年の暮れ、新選組に千鶴という名の一人の少女がやってくることとなる。
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