◆恋情
「ばにらさん」
「あっ…」
気が付いたら武市さんがすぐ横に立ってわたしの手を取っていた。
寺田屋の庭で、洗濯物を干し終わったところだった。
「そこ、段差があるから気をつけて」
「…はい///」
さりげなく武市さんに手をとられて『とくん』と胸が小さく跳ねる。
その瞬間、ふと風が通り抜けるようにわたしの記憶が蘇る――
わたしは前いた時代に、別れてしまったが、過去に付き合っていたカレがいた。
ずっとずっと好きで好きで、ようやく想いを通わせた相手。
でも、手もつながず思えば3年間も付き合ってデートすらほとんどしなかった。
けれど、それでわたしは満足だった。
想いが通じあってるとわかっていたから。
『好き』
その一言さえ言えなかったけど、大切なわたしの思い出――
「ばにらさん?」
武市さんが不思議そうな顔で聞いてくる。
「あっ、すみません!…ちょっと昔のことを思い出しちゃって」
「ふっ、そう」
武市さんが優しく微笑んで、心なしかちょっと寂しそうな顔をする。
武市さんとは手をつないだまま。
わたしはいよいよ意識して顔が真っ赤になってしまう。
思わず手を引っ込めようとすると、少し力を込めてきゅっと握られた。
「僕に、手を触れられるのは、いや?」
「!!…いえ、あの…///」
わたしは所謂ボディータッチが苦手だった。
あの男の子が息を詰めて、緊張を纏いながら近づいてくる感じが…。
先へ先へと求めてくる気配も。
何かを求め、じわりと近づく感じに心が追い付かずにいつも拒絶してしまう。
そう、手を繋ぐのさえ…。
でも、今は嫌じゃない。
緊張して心臓がうるさく鳴り響くけど…
どうしてだろう…。
武市さんが大人の人だから?
それとも意識しない内に自然に触れられたから?
武市さんはわたしのこと、子供や小動物みたいって言ってたから、女として見てないと言うこと?
だから自然に触れてくるのかな…。
「武市さん…」
武市さんは本当にいつの間にか、自然に寄り添ってくれる。
今だって意識しないうちに手をとられていた。
その温もりが嬉しいとさえ思ってしまう。
でも、子供や小動物みたいと思われるのも…少し悲しいかも…。
ふっ、と武市さんが目を逸らす。
「ばにらさん、そんなに見つめてはいけないよ」
「あっ、ごめんなさい。わたし無遠慮に」
「…そうではない。そんな目で見つめたら、男は勘違いをするよ」
「えっ!」
「さっきの…」
武市さんは視線を戻すとわたしの顔をじっと覗きこむ。
「さっきの話。思い出していたのは、誰?」
「//あっ、いえ、その…
違うんです!
わたしって、可愛げのない女だなって、意地っ張りだし見栄っ張りだし、自分でも難しい性格だなって思っていただけで…」
思考に陥っていた恥ずかしさもあって、慌ててつい思っていたことを口に出してしまう。
わたしはこんなことを言うタイプでもないんだけど、魔がさしたように…。
相手が武市さんだからかな?
つい自然に話してしまった。
でも、こんな話を口走る自分にも嫌気がさす。
なんだか武市さんに甘えてしまってるみたい。
「……思惟を巡らしなさい」
少し思案していた武市さんが凛とした声で話す。
「自分を見つめ、多くを学び、悩み、経験して自分を磨くことだ」
「…………」
「若いうちは、自分をとことん見つめたほうが豊かな人間になれる。
でも、そんな風に自分を卑下してはいけない。自信を持つことは大事だよ。
そのままの君を愛して、大切にしてくれる人は沢山いるだろう?」
お父さん、お母さん、家族、心を許せる友達の顔が浮かぶ。
「常に自分を高めて行こうとするばにらさんは素敵だ。しかし周りの人が愛してくれるように、自分自身を愛するのも大切だよ。嫌だと感じる部分も受け入れて」
「………」
優しく微笑む武市さんから目が離せなくなる。
「自分への評価は周りがするんじゃない。自分がするんだ。
まず、自信をつけるには、ばにらさん自身が自分を認めてやらなければ」
武市さんはとつとつと話した後、急に少し赤くなる。
「説教くさかったかな?」
「いえっ……」
「そのままの君を受け入れている者は、この時代にも周りにいるだろう…。僕を含めてね」
ふわりと優しい目で甘やかに微笑む武市さん。
その視線を受けて、真剣に聞いていて、落ち着いていた心臓がまた煩くなる。
「それに…ばにらさんは少し甘えたほうがいいかな。
上手に甘えたり、素直に気持ちを伝えるには、まだ若いのかもしれないが。
最も、そこが君の魅力の一つなんだが…」
繋ぎっぱなしの掌からわたしの鼓動が伝わりそうで、ドキドキがとまらない。
時々、武市さんはさらりと恥ずかしいことを言う。
そんなことを、そんな顔で囁かれたら……
「自分の信念を通す、強い意志を持つことは大事だよ。
だが、甘えることが相手の為になることもあるんだよ。
意地を張ったり、見栄を張ったりも己を高く持つのに時には大切だ。けれど、力を抜いて相手と接する大切さもわかるだろう。
なかなか難しいことだがね。
僕だって、ある人の前では必要以上の見栄を張ってしまう…」
視線を臥せていた武市さんがちろりとわたしを見る。
「大切な相手であるほど、素直な気持ちを告げる難しさもわかる。
けれど、ばにらさんは十分素直な気質で可愛いらしいよ」
武市さんの顔も心なしか赤いような…。
前は、好きな人と一緒にいればいるだけ自分の嫌な面が出ちゃいそうで、嫌われたらどうしようっていう不安もあった。
でも、武市さんにはありのままの自分を見てほしいって気持ちが湧いてくる。
ん?
好きな…人?
わたし…
武市さんのこと…
「で…、さっきは誰のことを思い出してたの?」
「えっ?あの…その…」
背の高い武市さんから、覗きこむように上から顔を近づけられて、どきりとしてわたしは思わず後ずさった。
「きゃっ!!」
ふわりとその瞬間、もう片方の手で腰を支えられた。
「…気を付けて、と言ったのに」
さっき注意されたばかりの段差に蹉くわたしを抱き止めるようにされて、益々近くなってしまった距離に、わたしはこれでもかと顔を赤く染める。
「ばにらさんが無理しなくとも、自ずと欲する気持ちが湧いてきた時…
自然に心に従うといい。
僕は何時までも待っているから」
武市さんは何でわたしが考えてることがわかるんだろう――
「この助平が!!武市!おんし、ばにらさんの手など握りおって、離さんか!」
「龍馬さん!」
「…!龍馬」
廊下の先から真っ赤な顔で龍馬さんが叫んでいる。
「何を言う。僕はばにらさんに大人として諭して…」
「早く手を離さんか!!」
裸足で駆け降りてきた龍馬さんにびっくりしていると、騒ぎを聞きつけた慎ちゃんと以蔵も顔を出す。
ワイワイといつものように騒ぐ光景にクスクスと笑みを零してしまう。
『俺のこと好きじゃなかったんでしょ?今まで無理して付き合わせてごめん』
カレに言われた別れを告げるセリフ…思い出すと、まだ胸はぎゅっと痛むけど…。
受け入れて、ゆっくりわたしのペースで進んで行こうと思った。
『好き』
誰に止められても、そう告げずにはいられない相手が出来るまで……
「ばにらー。なんかゆうたか?」
「ばにらさん?どうしたんだい?」
掴み合う二人に大きくかぶりを降って笑顔で答えた。
「「!…//////」」
素直な気持ちを告げる相手は案外近くにいるかも知れない…
よく、晴れた空の下そんな思いを胸に抱いた。
了
―――――――――愛娘ばにらちゃんに捧げます。
いつも仲良くしてくれる、プリティばにらちゃんのリアタイを読んで武市先生とばにらちゃんの会話が頭に浮かび、無理言って書かせてもらいました。
語り過ぎだよ、先生〜(笑)
快諾してくれてありがとうー!ばにらちゃん♪ラブ☆
素敵な恋をしてくださいね♪
(2011.11.20 執筆)
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[mokuji]