01



「はぁ、今日はまた派手にやられたもんだ!」
 ガラト=ホロンが大口を開けて豪快に笑い声を上げた。ぐりぐりと消毒液の染み込んだ綿を、傷口に押し付ける。普通の人間ならば眉を顰めて苦痛に悶絶するようなものだが、目の前の少年は顔色一つ変えずじっとしていた。
「うーん、君はこうやっても痛がらないから、少しつまらないね。あ、決して、僕が他人を痛めつけることに興奮を覚える性質ではないってのは忘れないでくれたまえ」
「わかってるよ、ガラト=ホロン」
 見た目に対しては少し幼い印象の声。目にかかるほどに伸ばした黒い前髪。そこから覗く左目蓋を覆う痛々しい古い傷跡と、反対にある青い目。両手足と首には鉄の重い枷が付けられ、肩口には禍隷の焼印が押されたこの少年は、アルウィスという。
 この辺境のラトランドに配置された、『禍隷』の少年である。
「ほーら、ぐりぐり〜。あー、これは深いねぇ」
「痛いんだけど」
「おっ、本当に?」
 腹の肉に刺さった矢を引き抜きつつ、ガラト=ホロンはうきうき、といったふうに笑う。
「ずっと痛いよ」
「なら少しは痛がりなさい。どこまで大丈夫なのかわからないだろう」
「まだ平気」
 アルウィスは痛みに鈍い。――否、痛みを遮断している。痛いと感じる部分を切り捨てているのだ。これは彼が今まで生きていく上で身につけた術であった。
 容赦なく叩き込まれる暴力。それらをいちいち相手していてはキリがない。なにせ、痛みで動きが鈍ると、そこをさらに痛めつけられる。するとまた動きが鈍る。仕事もできないのかと、今度は別の場所を傷付けられる。その繰り返しだ。なのでアルウィスは、いつしか痛いと感じる感覚を、頭に届く前に遮断するクセができてしまったのだ。
 こうしてガラト=ホロンが傷口を抉って、矢を取り出そうとしても眉一つ動かさない。――もちろん麻酔も用意していたのだが、「じっとしてるからいらない」とアルウィス自身が断った。
「さて、本来ならば数日は安静にしていなければならないが、アルウィスはそういうわけにもいかないか」
 処置が終わり、包帯を巻きながらガラト=ホロンは溜め息を吐いた。
 アルウィスの怪我は、村の子どもの「狩りの練習」によるものだ。アルウィスを獲物に見立て、追い回す「遊び」は、アルウィスが大きく成長していくと共に過激さを増していた。最初は石ころを当てるだけで満足していたそれは、いつしか本格的なものへと変わり、今や矢を放たせ、動けなくなるまで傷付けるまで終わらない。アルウィスもそれを理解して、わざとこうして傷を負う。
「片目が見えないのだから、ああいった遊びには充分気をつけないと。加減を知らないな、ニンゲンは」
「やっぱり見えるようにはならない?」
「当たり前だ」
 アルウィスの左目は、その目蓋が傷口によって完全に癒着している状態だ。開こうにも、再びその目蓋を引き裂かなければいけない。そうしてまで目蓋を開くようにしたところで、きちんと視力があるかどうか、そもそもに眼球自体が無事なのかすらもわからない。無駄に傷を増やすだけだ。
 ガラト=ホロンは右手でそのとんがった耳の先を揉みつつ、てきぱきと広げていた薬やらを薬箱へと放り込んでいく。

 彼――ガラト=ホロンは村のはずれに住み着いた、変わり者のエルフ族だ。好き好んでニンゲンに関わるエルフは少ない。それが禍隷ならば、尚更。
 けれどガラト=ホロンは村にやってきてからというもの、何かとアルウィスにちょっかいを出し、こうして何かと世話を焼いていた。村人たちはもちろんいい顔などしなかったが、アルウィスに死なれては次の禍隷の『出荷』まで随分と待たなければいけないこと、それからガラト=ホロンの作る薬や、彼の結界のおかげで安穏と暮らしていけることを加味して、今は黙認されている。
「まったく、アルウィスが死んだらどうするんだろうね。村の連中は」
「別に、おれは死んでもいいよ」
「僕が嫌だからやめてよ。貴重な話し相手だ」
「わかった。次はうまく避ける」
「うむ。そうしたまえ」
 満足げに頷くガラト=ホロンの髪が揺れる。鳥の尾羽を思い浮かばせる白い髪を、アルウィスはじっと見つめた。
「む、僕の髪になにかついているかい?」
「鳥みたいだって思っただけ」
「失礼な! 僕はどこをどう見てもエルフだよ!」
 ほらほら! と、ガラト=ホロンはその場をくるりと回る。長いローブと髪の毛がばさばさ靡かせるそれは、アルウィスには鳥小屋のニワトリのように見えたが、それを言うと余計にガラト=ホロンは騒がしくなるので黙っておくことにした。代わりに、
「手当終わり?」
「ああ。終わりだよ」
「ありがとう」
 礼を言いながら捲りあげていた服を戻す。きつく締められた包帯のせいで少し身動きが取りづらいが、仕方ない。
「そうだ、アルウィス。そこのパンを持って帰るといい。僕のお手製、焼きたて」
 ガラト=ホロンはテーブルの中央にある籠を指した。彼はアルウィスが訪ねる度にこうして食料を分けてくれる。アルウィスが住んでいる家畜小屋の主の夫妻は、余り物ですら分け与えたくないらしく、まともに食事など提供したことがない。曰く「木の根でも齧ってろ」だ。故に、ガラト=ホロンと出会うまでの一年間、アルウィスは律儀にもそうして飢えを凌いでいた。アルウィスが今、こうしてなんとか生き延びているのはガラト=ホロンのおかげでもある。
 これについても村の人間はいい顔をしないが、ガラト=ホロンは代わりにアルウィスに仕事を言い渡していた。
「仕事の報酬として食べ物を渡している。何か問題が?」
 いつもはぼんやりとしたガラト=ホロンだが、この時ばかりはハッキリとそう言っていたのを、アルウィスは何故か今でも覚えている。
「ん? どうかしたかい、アルウィス」
 真ん丸い金色の目をさらに丸くして、ガラト=ホロンは首を傾げた。
「ねえ、ガラト=ホロン。なんでおれを助けたの?」
「さあ、なんでだろう?」
 アルウィスは幾度となく尋ねている。何故助けたのか。――――これは今から八年ほど前になる、アルウィスの左目が抉られた時のことだ。

 ふと気付けば、アルウィスは見知らぬ小屋にいて、この男に手厚く介抱されていた。エルフという種族は今まで見たことはなかったが、話だけは聞いていたのですぐにわかった。もさもさした髪の毛からひょっこりと出ているとんがり耳、整った中性的な顔立ち、すらりと長い手足。それらは全て、エルフ族の特徴と当てはまる。
 目が覚めたアルウィスは、まずここは死後の世界かと尋ねた。男があまりにも浮世離れしていて、アルウィスが今まで見たこともないような銀色の飾り付きのローブを纏い、アルウィスが今まで聞いたことのない言葉で歌っていたからだ。
「死にたかったのかい?」
 男は金色の瞳を真ん丸くして首を傾げた。
「…………じゃあ生きてるんだ、おれ」
「あんまり悲しそうじゃないね」
「悲しい?」
 起き上がろうと体に力を入れると、まるで丸太をたらふく手足に詰め込んだように重かった。
「死にたかったんだろう?」
「わからない」
 ただ、終わればいいとは思った。生きること、それから、禍隷としての暮らし。けれど、一瞬だけ。あのぐちゃぐちゃの鳥だったものを見た時だけは、そうは思わなかった。
 体が痛いのに、動かないのに、どうして手を伸ばそうとしたのだろうか。
「じゃあわかるまで生きてみようか」
 ガラト=ホロンはそう言うと、にっこり笑ってみせた。その笑顔は、これまでアルウィスが見たことのない笑顔だった。
 彼の目には、侮蔑も嫌悪もない。それが不思議でしょうがない。
「どうせニンゲンは死ぬんだから。わかんないまま死ぬのは勿体無いと思わない?」
「……わからない」
 アルウィスの答えに、ガラト=ホロンはますます笑った。やはりそこにも、今までアルウィスが他人から向けられてきたものを感じない。
――居心地が悪い。体が痛いよりも、むずむずする。
「……あんたは、」
「ん?」
「なんで笑ってんの」
「さあ? わっかんない!」
 ガラト=ホロンは何がおかしいのか、声を上げて笑い始めた。あまりに大きな声で笑うから、傷口に響いてびりびりと痛んだ。何故か不快ではないその痛みに、アルウィスはただぼんやりと、どうしてだろうと考えていた。

「さて、アルウィス。そろそろ戻らないと五月蝿いのが来る頃じゃないかな」
 その声と共に、ぼんやりとした回想を打ち切られた。
 声の方を見ると、窓を開けながらガラト=ホロンが嫌そうな色をその整った顔に滲ませていた。ガラト=ホロンがそういった顔をする時はだいたい、村の人間絡みのことだ。
「エルダのこと?」
「そうそう。そのエルダ」
 エルダというのは、村で唯一アルウィスと「普通に」口をきく少女だ。
 一緒にいるところを村人に見られるとエルダに迷惑がかかるため、村の中ではなるべく接触しないように気を付けているが、村はずれにあるガラト=ホロンの小屋へ行く時などは、こうしてついてくることもある。小屋の中へ入ることはない。余所者を怖がっているからだ。
 そして、ガラト=ホロンは彼女のことをあまり良く思っていないので、中へどうぞと誘うこともない。
「エルダはうるさくないよ。ガラト=ホロンのほうがうるさい」
「ひどくないかい!?」
「ほら、うるさい」
 耳を抑えて言うと、ガラト=ホロンは不服そうに唇を尖らせた。やはり彼は鳥によく似ている。
「ガラト=ホロンは女が嫌いなの?」
 思えば、小屋に村の女が近付くと露骨に嫌そうな顔をしていた。
「失敬だねアルウィス! 女は大好きだよ! 僕はただ、この村の連中が嫌いなだけさ!」
 じゃあこの村から離れればいいのに。口には出さなかったが、アルウィスがそう言っているのを感じたらしいガラト=ホロンは、「友人を放ってどこかに行くほど、薄情なエルフじゃない!」と臍を曲げてしまった。こうなってはしばらく何を話してもむくれっ面のままだ。
 エルダを待たせ続けるわけにもいかないので、そろそろここを出なければいけない。ガラト=ホロンの機嫌を取るのは明日になりそうだ。
「それじゃあね、ガラト=ホロン」
「明日もちゃんと来るんだよアルウィス。それから、傷が開くような無茶はほどほどに」
 そっぽを向いたまま、ガラト=ホロン。
「ん、わかった」
 アルウィスはそれに頷くと、ガラト=ホロンのパンを袋に詰めて、小屋の扉へと手を掛けた。小屋の外には乾燥させた薬草類をまとめて縛った物が置かれている。パンの袋とは別の袋にそれを詰め込んで、ぎゅうっと口を絞る。
 この薬草類を村へ持っていくのは、ガラト=ホロンに近付きたがらない村人達が押し付けた、アルウィスの仕事だった。アルウィスとしても好都合で、こうして紛れ込ませておけば、貴重な食糧を奪われずに済む。もっとも、これを考えついたのはガラト=ホロンで、得意気な彼にアルウィスは「ふぅん」と返しただけだったが。
「あら、アルウィス。今日は長くかかったのね」
 しばらく歩くと、大きな木が見えてくる。それは待ち合わせの目印だった。陽の光をきらきらと長い金色の髪に反射させて、エルダはアルウィスを見つけると、眩いばかりの微笑みを浮かべた。
「うん、エルダ」
「さ、結界の様子を確認しに行きましょう。あのエルフが手を抜いてるかもしれないもの」
「ガラト=ホロンはそんなことしないよ」
「ふふふ、わかってるわ」
 エルダは長いスカートを翻して、アルウィスの先を歩き始める。結界の様子の確認も、アルウィスの仕事だ。そして、アルウィスが結界におかしなことをしないか見張るのが、教会の娘たるエルダの仕事である。
 アルウィスとしては、結界に手を出すなどそんな真似をするつもりは毛頭ないのだから、この役目からエルダを外してやってほしいと思っている。こうして、仕事とはいえ禍隷と共にいるということは、それだけでもきっと屈辱的なことだ。少なくとも、エルダ以外の人間はそうだった。
「このところ、村の方が騒がしいね」
「もうすぐお祭りだもの。聖玉祭」
「せいぎょくさい?」
「十年に一度のお祭りよ。『聖玉に選ばれし者、其の力を以て救済の路を拓かん』って言われてるの」
「へえ。すごいんだね」
「もちろん! だってこれで選ばれし者が現れたら、この世界も救われるのよ! こんな結界なんて必要ない時が来るの! そんな勇者が、うちの教会から送り出されるだなんて、こんなにも栄誉なことはないわ!」
 エルダは興奮気味に語る。まるで踊りだしそうなほど軽やかな足取りで、花のような微笑みを浮かべながら、アルウィスの先を歩いていく。
「ああ、待ち遠しいわ……! アルウィスだって、そう思うでしょう?」
「うん、そうだね」

――もしも、そんな日が来たら。
 禍隷として暮らさなくてもいい日が来るのだろうか。
 そうすれば、エルダはもっと幸せそうに笑うのだろうか。

 アルウィスはそんなことを思いながら、嬉しそうに歩くエルダを、少しだけ目を細めて眺めていた。




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