05
01
*
「さて、任務の話だね」
カーテンを開け放ったことにより明るくなった室内で、ルシフェル・セラーフは楽しそうに弾む声でそう切り出した。
「今回調べてもらいたいのは、ルイーン北部の村フロワールだ。調査にやった隊員がかれこれ一週間ほど前から連絡が取れない。
フロワール。ジェイクィズ君なら、聞き覚えがあるんじゃないかな?」
「フロワール……フロワール……」
ジェイクィズは空中に視線をさ迷わせてしばらく考え込むと、何かに思い至ったらしく「ああ、」と声を上げた。
「薔薇の産地ッスね。綺麗なんですよ、あそこの薔薇。そりゃプレゼントには持ってこいの……って、局長。何なんすかその目は」
「いや、予想通りすぎて白けるというか」
生あたたかい中途半端な笑みを向けるルシフェル。
「言わせといてヒデェなコラ!」
「ジェイクィズ・バードガル、少し黙れ。話が進まない」
サキは報告書に目を落としたまま、噛み付くような勢いのジェイクィズのほうを見もしないで制止する。その冷たい……というよりは乾いた対応に、気力を削がれたのか、彼はふん、と鼻を鳴らしてから書類だらけのソファの上にどっかり座り込んだ。
「村人の失踪……ねぇ」
それだけなら、『よくある』ことだ。一日に数百、数千。魔物に襲われたり、はたまた家出だったり、理由は様々であるが、それほど珍しくもなんともない。いちいちジブリール本部で取り合っていてはキリがない。
「それが『連続』をつけると、あら不思議。おれ達が調べるに値するものになる」
ルシフェルは手品の種明かしをするかのように、両手のひらをぱっと開いた。へらりと威厳なんてない笑顔を二人に向ける。
その明らかに戯けた様子に、サキ・スタイナーはぴくりと眉根を寄せた。
「村人は複数同時に失踪し、数日後戻ってくるんでしたね」
「ああ、そうさ。必ず一人は帰ってくる。けれど様子がおかしい。ぼーっとしていて、話し掛けても上の空。何があったかなんて話さない。何もない壁に向かって、時折喚き散らすだけ。異様に刃物を恐れる以外は、人形も同然。そしてなにより、一番おかしいのは――――」
「彼らの金髪が、まるで血の色みたいに真っ赤になっている」
資料を閉じたサキが続ける。ルシフェルはそれにうんうん、と頷いて、自身の髪をひとふさつまみ上げた。少し赤の混じった金の髪が、窓からの光を受けて鈍く輝く。
「フロワールは薔薇の産地として有名ではあるが、余所者を好まない排他的な村でもある。その影響か、はたまた遺伝的な問題なのかはさておいて、フロワールの住人はみんな、それはそれ鮮やかな金色の髪を持つこともまた、有名な話だ」
「その髪の毛が赤く……?」
なんとも奇妙な話だ。ジェイクィズもまた自身の髪を見つめる。ルシフェルと比べると黄色みが強いその髪は、鮮やかと言うには少しくすんでいる。
「確かに、これは通常ではありえない事象ですね。何らかの魔術的な行為が関係しているか、或いは……」
「《悪魔》だろうね」
ルシフェルは笑みを深くすると、革張りのソファにどすん、と背を預けた。
「その反応も確認してる。村の誰か、もしくは何かに取り憑いている可能性が高い。君たちにはそれの真偽と、もし真実だった場合の悪魔の捕獲及び討伐だ」
《悪魔》――それは生物から発せられる怒り、憎しみ、悲しみといった『負』から生み出される怪物だ。実体を持たず、ヒトやモノに取り憑き、更なる『負』を撒き散らす。
取り憑かれたヒトの大多数は、悪魔に増幅された自分の『負』により、所謂発狂した状態になる。――魔が差した、とはよく言ったものだろう。世界中に蔓延る魔物も、元を辿れば動物に悪魔が寄生した結果、種として定着したものだ。
とはいえ、悪魔はそう頻繁に生み出されるわけではない。だいたいの『負』は、自然と消失する。しかし、時折生まれる強い『負』は、引き寄せ合い、凝り固まり、何年も何百年もかけて精製されていく。それらが更に集まり、化け物となったのが《悪魔》だ。
実体を持たない《悪魔》は、さらに引き寄せ合い、より大きな存在になろうとする。そして、やがて実体を持つようになるのだ。――そこまでいくと最悪の事態。周囲の人間はヒトの形をした魔物も同然だ。
実体を持つ前に、実体を持たない《悪魔》を倒す。
そんな一見矛盾した目的が果たせるのは、ジブリールだけだ。
世界の大多数は《悪魔》など、その存在すら知らない。あまりにも普遍的で身近にあるその存在を知ることは、かえって無用な混乱と混沌を招くだけ。『負』を増長させるに過ぎない。
では何故、ジブリールはその《悪魔》の存在を認知し、倒すことが出来るのか。
それはこの、目の前で笑みを絶やさない男が、《悪魔》を知覚し、滅ぼすことができる特別な存在であるからにほかならない。
表向きは世界の治安を平定する独立治安維持組織――ジブリール。
その本当の仕事は、この《悪魔》を秘密裏に討伐し、世界の秩序を守護すること。設立されて以来、ずっと変わらない役目。
「任されてくれるね? ジブリール第一分隊隊長――サキ・スタイナーくん?」
人々の記憶から忘れ去られた、翼を持つ人――《天使》ルシフェル・セラーフの使者として。その力を分け与えられた者として。
「拝命しました」
サキ・スタイナーは立ち上がると、背筋を伸ばして敬礼をした。慌ててジェイクィズ・バートガルもそれに続く。
「今回もいつも通り、君たちの活躍に期待する。
――祝福の翼があらんことを」
満足げに、ルシフェル・セラーフは祈るように目蓋を閉じた。