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 赤い

 頭が上手く働かないが、視界に入るすべてがに染まっていた。
 俺はその中を走り回っている。
 おかしい。ここはよく知っている場所のはずだ。生まれてから今日まで過ごしてきた屋敷のはずだ。
 それなのに、頭はそれを理解するのを拒否している。
 床に、壁に、天井に。べったりとこびり付いたを、理解するのを拒んでいる。
 俺は大声を上げて、知っている限りの名前を叫んだ。
 ……返事はない。当然だ。生きているのは俺ひとりなのだから。どうしてそのことを理解しているのか、自分でもわからない。ただ、俺以外が生きているのは有り得ない。それを結果として知っている。
 屋敷には噎せ返るほどの死の匂いが充満していた。込み上げる酸っぱいものを飲み下して、それでも俺は走り続けた。思いつく限りの名前を叫んだ。
 そうして走って、走って、走り続けて、足が止まったのは淡いピンク色の花を咲かせる木の下だった。
 肩で息をしながら、その木のもとへと近づいていく。頭がくらくらする。立ち止まった足は、さっきまで走り回っていたとは思えないほど重く、地面に沈み込みそうだ。
――行くな。
 汗が背中を滑る。悪寒にも近いその感覚に身震いした。
――行くな。行くな。
 鉛のような足は、何故か吸い寄せられるように木の真下へと向かう。
――行くな。行くな。行くな。
 自分の中で、何かが警鐘を鳴らしている。何かを拒絶している。けれど、その意志とは関係なく足は進む。
――行くな。行くな。行くな! 行くな!!
 吐き気がしそうなほど耳鳴りがする。それでも、母が大好きだったその木を見上げた。身体が勝手に、そう動いた。
 黒い二つの瞳と、目が合った。その瞬間にこれまで以上の寒気と吐き気と恐怖が身体中を支配する。指一つ動かせない。声すら上げられない。この場から逃げ出したくてたまらないのに、文字通り俺の目は眼前のものに釘付けで、足は鉛になって地面にめり込んでいる。

「どこへいくの」

 さっきまで木だと思っていたものは、穏やかに言う。ぐちゃぐちゃに身体が捻じ曲がり、引き裂かれ、枝と幹のようになった人間の身体で。懐かしく愛おしい声で。
 たくさんの花で隠された頭が、その瞳が、俺を見下ろしていた。

 母の虚ろな目が、俺を見下ろしている。

 赤い涙が、幾筋も流れ、それが何故か割れ目のように見えた。そこから、母の顔が割れて、もっとぐちゃぐちゃになるのではないかと思った。
 けれど母の顔はそのままで、それがどうしようもなくこの異形のものを、母だと認識させる。
 ふと、自分の頬が濡れているのに気付いた。気持ち悪い。手の甲でごしごしと乱暴に拭う。

 赤い

 涙だと思ったそれは、赤く、粘ついていた。
 拭っても、拭っても。
 拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても、拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても拭っても取れない取れない消えない取れない消えない取れない取れない取れない消えない取れない消えない取れない取れない取れない取れない取れないが取れないが消えない
 どこから湧き出してくるのか赤い液体は取れず、いつしか、だらだらと頭の上から滝のように叩きつけられている。
 一体、なにがそうしているのか。それが無性に気になって、動きにくい首をゆっくりと上へ向け――――






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