02
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それから程なくして、二人はフロワールへと到着した。
御者には三日後にまた来るように伝え、村の門をくぐる。
途端、目に入る黄色と、漂う濃い薔薇の香り。
サキ・スタイナーは気持ち悪くなるほどの花の香りに眉を寄せた。ねっとりと、身体中に絡みつくような質量を感じる。
「へぇ、こりゃ見事なもんだ」
サキに続いて門をくぐったジェイクィズ・バートガルは、一面の薔薇園を見て感嘆の声を上げた。ひとしきり辺りを見渡してから、
「で、村長のところに行くんでしたっけ?」
「その前に軽く見て回る」
「りょーかいでーす。カワイイ子はいねーかなー……っと」
ジェイクィズは何かに気付いたのか、目線だけでそれを指した。
緑の生垣と黄色い薔薇が並ぶその中に、突然染み出したような赤がある。
鮮やかな、赤。
鮮血にも似たそれは、ゆらゆら揺れながら、ぼんやりと薔薇の前に佇んでいる。
「――――………………」
幼い少女だった。サキよりも五つほど年下だろうか。至ってシンプルな、白いシャツにマスタード色のベストを重ね、深いグリーンの膝丈のスカートはずっと地べたに座っているせいで砂埃がついていた。
その瞳はもともとは溌溂と輝いていたのだろうが、今は沈んだ青で鈍く虚ろに、黄色い薔薇を映している。
肩に当たり跳ね返った髪は、――――赤い。
すぐにサキの頭の中は、先日のルシフェル・セラーフとの話の内容を呼び出していた。
『ああ、そうさ。必ず一人は帰ってくる。けれど様子がおかしい。ぼーっとしていて、話し掛けても上の空。何があったかなんて話さない。何もない壁に向かって、時折喚き散らすだけ。異様に刃物を恐れる以外は、人形も同然。そしてなにより、一番おかしいのは――――』
少女の小さな手が、薔薇へと伸びる。そのまま少女は、ぐしゃり。
それを握りつぶした。華奢な腕に、つう、と。彼女の髪と同じ赤が垂れていく。
少女はただ、ぼんやりとそれを見つめる。
少女の周囲を見ると、黄色い薔薇は点々と、ちょうど彼女の手の届く範囲のものが握り潰されていた。まだらに付着した赤い模様は、まだそう時間が経っていないのか、濡れた光を反射している。
ぐしゃり。ぐしゃり。
彼女は緩慢な仕草で目に付いた薔薇を潰していく。その黄色が不愉快だと言わんばかりに。
「隊長、あの子――――」
ジェイクィズがそう声を掛けてくる前に、サキは腰に提げていた剣を彼に投げるように預け、少女へと向かって歩き出していた。少女のすぐ隣にまで行くと、目線を合わせるように膝を付いた。
「薔薇、嫌いなのか?」
「――――…………」
ぐしゃり。ぐしゃり。
サキが近付いたのに気付いていないのか、少女は薔薇を潰すことをやめない。もうひとつ、と薔薇に伸ばした手を掴むと、少女はやっとサキの方を見つめた。
「――――…………」
少女の小さな手は、あちこちに薔薇の棘が刺さっており、そのまま引き摺ったり握りしめたりしたせいか、ある部分は裂け、ある部分は深く抉られ、赤く、ずたずたになっている。
改めて見るその痛々しく異様な状態に、サキは眉を顰めた。下手に棘を抜こうにも、深く入り込みすぎている。せめて出血を抑えようと、髪を縛っていた紐を解いて、少女の手首に痛くなりすぎないよう巻き付けた。
少女は焦点の合わない視線を、じっと、サキに――というよりも、その黒い髪に向けている。
「すぐ治療しよう。立てるか?」
「――――…………」
サキが腕を持ち上げると、少女はされるがままに立ち上がった。その様子は、まるで等身大の人形のようだ。
「――――…………ぁ」
ふと、立ち上がった少女の目が何かを見つけ、ゆっくりと見開かれた。
「あ……ぁ……っ――――」
「――! おい、どうした!?」
少女の体が、がたがたと震える。
やっと彼女に浮かんだ表情は、紛れもない恐怖だった。
「ああああああああああああ」
叫びなのか、それともただ口から漏れだしているのかわからない呻きにも似た声が響く。
少女の視線の先にいたのは、
「隊長! あそこにも赤い村人が――――!」
サキと自身の、二人分の剣を持ったジェイクィズ・バートガルだ。
「ジェイクィズ! 剣を置け! 早く!」
「え?」
サキの怒号に、目を丸くするジェイクィズ。そうしている間に、少女はサキの手を振りほどいて、棘だらけの手のひらで自分の頭を抱え込んだ。
ただでさえ赤い髪に、自らの顔すら血で、棘で、さらに赤く彩られていく。
――――異常だ。
少女の呻きが谺響するように、薔薇園のあちこちから、同じような声が聞こえてくる。それらを発しているのは全て、赤い髪をした住人なのだろう。
背筋を冷たい黒い靄のようなものが這い回っている感覚。サキが感じたそれは、これまでにいくつか出会ってきた、《悪魔》の気配だった。