18の私は幼かった。
そしてまだまだ甘かった。
それを全てわかっていた翼はいつも私をさりげなく守ってくれていた。
翼も同い年だったのになと、思い返せば不思議な感じがする。
そんなことも気づけなかった幼い私の小さな涙も
翼は笑ってすくってくれた。
「話って何でしょう?」
今日は風が強いなと思うのも雨が降りそうだなと思うのも、私が屋上にでているからで、目の前には赤茶色の髪の毛の整った顔の少年。はいそうです。私は椎名くんに呼ばれたのでした。椎名くんとはご近所さんで、小さいときはよく遊んだけれどもまあそれも昔の話。高校生になった今は同じクラスだというのに、めったな事がない限りしゃべらない。何より私は地味で椎名くんとは正反対の立場にあったし、卒業するまでただの同級生以上も以下もないのだろうなと思っていたのだが。
何だこの状況は。
『話あるから、屋上』
眼鏡ごしの椎名君はいつもより距離が近くて、思ったよりも心臓は持たないかもしれない。そもそも話があるって何だ。もうここ1年半くらい喋ってないのにいきなり話題なんてあるかってんだこのやろう。
なかなか話を切り出してくれない椎名くんは、少し俯きながらこちらへと歩み寄ってくる。
なんだこの威圧感は。威嚇か。おい威嚇してるのか。
「なっ…何ですか…」
椎名くんがどんどん近づいてくるもんだから、自然と足が後退する。ガシャリ。音が鳴ったと思えば背中にはフェンス。横に逃げようとすれば、腕が顔の横に伸びて逃げ口をふさいだ。
「あ…の…ごっご、ごっごご」
「ご要件は?」と聞こうとしたのだが、目の前の美少年にもう喉が勝手にあがりっぱなし。だがこのままでは怪しすぎる。「ご」を連発する私は随分とアホっぽいだろう。
「ごっごま塩は大量に食べると不健康ですよね!」
最悪だ私。
不健康に決まってるだろうが。
口から滑り落ちた言葉に、自分で言ったながら驚愕。まさにあいた口がふさがらないだ。いやもうこれ私さよならけっていだろう。世間的に。
「っぷ…っふっはははは」
しまいには笑われてしまいました。
「相変わらずだね、ほんと」
私はあなたの中で昔からこうなんですか。
いや、ドン引きされなかっただけマシと思っておこう。そうさこの美少年椎名くんを笑わせてんだから逆に私よくやった。グッジョブ。
「そんなんだから電柱にぶつかるんだよ、あーほんと馬鹿。目のあてようがないからやめてよね。こっちまで恥ずかしくなってくるんだから」
「ななななんで椎名くんが知ってるの!」
「大きな音がしたから、窓から顔だしたら顔おさえてうずくまってるんだもん。近所迷惑もほどほどだよね」
「わー…恥ずかしいや。椎名くんも相変わらずだね。毒舌!」
「おれにもっと他に変わらないとこないわけ?」
「それで、」
「…ご要件は?」
椎名くんが少し喋ってくれたことで緊張がほぐれ、今度はきちんと伝えることができた。ほっと胸をなでおろしたのもつかの間。次に彼が言った一言に、私は崖から落とされる。
椎名くんの顔がまた少しうつむいた。少し笑いながら言い放ったのは
「高校卒業したら、スペインにいく」
やっぱりまだ空は晴れない。
「…なんてね」
あ、なんてねオチですか。
そうかそうか。
…なわけあるわきゃないだろうがおい。
椎名君に冗談なんて似合わないですよ。椎名君のうつむき加減が夕日をあびて、キラキラとなびく髪。きっと私の顔も紅く染まっているのだろう。
「スペインの…」
「え?」
「ス、スペインのどこにいっちゃうんですかっ…?」
大学は?
あなたの頭脳ならどこだって行けるじゃないですか。
友達は?
あんなに仲のよい友達と離れ離れになるのももう覚悟しているんですか?
ひとりで住むんですか?
ご飯は?
お風呂は?
買出しは誰がやるの?
いや、そんなのどうだっていい。
「椎名くんはどこにいっちゃうの…」
思わずつかみかかった椎名君のワイシャツは、酔いしれそうなあまいかおりがして私をよりいっそう涙目にした。
みつあみが風に揺れる。
私って結構言いたいこと人に言えるんだ。
「サッカーをもっとしたいんだ。おれさ。まだやってみたい事、ありすぎる。スペインには自分をためすために行こうと思ってる。いつかまた戻ってくるから。だがら、そんなに悲しい顔しないでよね」
涙をこらえた唇にそっと指をはわせ、片目を瞑ってウインクした椎名くんはわたしの想い人。
「帰ってきたときは覚えててよ」
零れた一粒の涙は彼の手によってせき止められる。
「さよなら」
そう言った椎名くんはいつもより切なげだった。曇空の夕焼けは、ずいぶんと醜いと思う。
でも私は知っているから。あなたがとても美しく微笑むことが出来るのを。それは、やりたいことをやっているあなたにピッタリよ。だから
「待ってる」
「いってらっしゃい、」
「――うん、うん。…わかってるって。うん、そう。うんじゃあね」
パタンと閉まった携帯の音が異様に軽快に聞こえる。バックには携帯と財布とハンカチティッシュと、必要最低限のものだけを詰め込んで、あいつが好きそうな色のグロスを唇にひいた。髪の毛をなんども整えてスカートにしわが出来ていないか確かめる。と、また携帯がピリリと鳴った。
「家の前ついたけど」
「うん。今行くね」
お気に入りの黒のパンプスを履いて鍵をかければ、あとは階段を降りるだけ。少し飛び跳ねたのは浮かれているから。灰色の軽自動車を見つけて、その中にするりと滑り込んだ。
「早かったね、もっと時間かかると思った」
「はやく行ってやんねーと、翼がかわいそうだろ」
「違うでしょ。柾輝くんが早くあいつに会いたいだけでしょ」
くくく、と笑った柾輝くんはその濃い肌の中で白い歯を浮かばせた。
「何そこいい雰囲気になってんねん!コラ」
「ああサルさんお久しぶりですね。畑兄弟さん達は…先週会いましたね!」
「おう、元気みたいだな」
「聞けよ!兄ちゃん彼女できたんだぜ!」
「なんだとお前リア充か!てかサルってなんやねんボケ」
後ろから身を乗り出した直樹さんと五助さんと六助さんは、棒スティックにチョコをぬったくったお菓子を食べながら大声をあげた。
「翼とおうの何年ぶりやろな。なんか腹たつわ」
「柾輝、車だせ」
「おう」
「テレビで見たけど、あいつ背結構伸びてたぜ」
「まあまだ俺はぬかされてない自信あるぜ!」
「あーわたし絶対ぬかされてるよ…くやしい」
「おまえらシートベルトしろ。特に直樹。捕まんのは勘弁だからな」
カチャリと鳴ったシートベルトのきつさも、なんの苦痛でもなかったのはあいつに会えるからだろう。からだのそわそわが止まらないのも心臓は揺れたままで。それを知っているだろう柾輝くんは強くアクセルを踏んだ。
「翼、ちゃんとご飯食べてたかな」
「もっと細くなってたりしてな」
「あいつも忙しくなったからな。まあ大丈夫だろ。翼だし」
「あ、警察だ」
「は?ちょっ直樹!お前シートベルトしてるか?」
「こいつしてないぜー柾輝ー!」
「ちょっ言うなや六助!今したやん!ギリギリセーフやこんなん!」
「やっべ俺もしてねえ」
「直樹、五助。後で覚えてろよ」
青ざめた五助さんに、セーフだと言い張る直樹さん。おもわず笑みがこぼれた。
「ほら、あと3分でつくぞ」
「あー!飛行機飛んでますよ!」
「あれに翼のってんちゃうか?飛行機、40分着やろ?」
「きっとそうだな…やべえ俺何か震えてきた」
「ほんまかいな。六助のびびりー!」
「まあ、あいつももう有名人だからな」
「あいつべっぴんな彼女作ってたりしてな!」
「ちょ…直樹おまえ!」
「あ、やべえ。ごめんそういう意味じゃ」
「いいですよ。彼女なんてつくってたら必殺スライディングキックセブンをお見舞いしてやりますから。あっはっは」
「セブンってことは、ワンからシックスもあるのか…」
「いや。ゼロとセブンだけです」
「間際らしいわ!」
もうあれから一度もみつあみはしていない。眼鏡もコンタクトにかえた。あの人に見合う女になりたくて。驚かせたくて。
綺麗にした爪も、化粧も、髪型も、服も。それ以上に、心を強くしたくて。
「また振り向かせてやりますから、いいんです」
緩く巻いた黒髪を耳にかけて言い放った言葉は、心臓からすっぽり出てきたかのようでとてもスッキリした。
「そうか、そうだな」
「ほら、ついたぞ。降りろ」
「いやーしっかりした子になったなー。1年前は毎日椎名くんー椎名くんーって泣いてたのに」
「わああああ言わないで!恥ずかしいから!」
「準備はいいか?」
「ああ」
「ほら」
「翼おかえり」
「ただいま、みんな」
はじまりの腹のなか
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演出家様提出。素敵な企画ありがとうございました!久々にホイッスル!を読み返して、なんだか懐かしい気持ちになりました。よし、沢山かくぞー!!!