愛に一直線02



「竈門、ピアスを取れ」
「無理です!」
 目の前の少年と婚姻を結んでから、四年の月日が経っていた。
 行きつけのパン屋の息子だった炭治郎は、無愛想であろう客の義勇に対してやけに積極的に話し掛けてくる子どもだった。最初はどう接していいのか分からず反応がおざなりだったものの、根負けしてからは徐々に仲良くなっていっていた。
 そのときはまだ、己に構うなんて変わった子どもだとしか認識していなかったはずだ。
 しかし家族ぐるみの付き合いになり、過ごす時間が増えていくうちに炭治郎を特別に想うようになっていった。もちろん最初は自身を兄のように慕ってくれる年下の子どもだと思っていたので、そこに家族愛以上のものはなかったと言える。
 きっかけは義勇が進学の為に炭治郎と会えなくなってしまったことだった。炭治郎は毎週手紙もくれたし電話もかけてくれた。けれどころころと表情が変わり見ているこちらが癒される、そんな炭治郎を直接見ることがかなわないのは寂しいものだった。そこで己はあの少年が好きなのだと知った。
 そんな中やってきた夏休み。これまでは時間をとることが難しかったので今度こそは炭治郎の顔を見る為に帰ると前々から決心していた。
 そしてその帰省中に、念願叶って義勇は炭治郎と想いを通じ合わせたのだ。
 あれから義勇は無事に教員免許を取り教師に、炭治郎は高校生になった。まさか義勇の母校であり、現在は炭治郎も通うキメツ学園に赴任することが決まったときは何の偶然かと驚いたものだが、学校での炭治郎の様子を見ることができるのは嬉しい誤算であった。
 だがその一方で、どうにも難しい問題に直面していたのである。

「お前って、なーんか竈門に甘いよなァ」
「は?」
「いや、他の生徒なら殴ってでもやめさせてんだろ。まあしないならそれに越したことはねェがよ」
「……」
 危惧していた件を同僚に指摘され、義勇は黙り込んだ。
 どうにも、学校での炭治郎との距離感をはかりかねているのだ。
 なまじ炭治郎とは恋仲になる前から付き合いがあるものだから余計に分からないのかもしれない。なるべく口をきかないよう意識すると、ピアスをつけるという校則違反をし続ける生徒を見逃すことになる。あれが炭治郎にとってどんなに大切な物かは知っているからこそ外さないのは想像に容易い、つまりいくら言おうと無駄なのは分かりきっているのだ。そんな炭治郎にかまけているよりは他の生徒を、と思うが生徒指導の顧問になった義勇がそれでは他の生徒に示しがつかない。だから平等に注意しているつもりだった。
 だが周囲からしてみれば、そうは見えなかったらしい。
「…次からは気を付ける」
「おぉ!?やっぱそうだったのかよ?」
 面白いものを見たとばかりに笑いながら話しかけてくる宇髄だったが、義勇はそれ以上喋るつもりはなく失礼すると一言だけを残して職員室を出た。
 あの男の言い分はもっともなので警告として肝に銘じておく。帰宅したら炭治郎と話し合わなければならないことを考えると、少しだけ腰が重かった。

「ただいま」
「おかえりなさい!」
 炭治郎の高校入学に合わせて、二人は同棲を始めた。
 店の手伝いは続けるつもりの炭治郎の為に、少年の実家に近い場所にマンションの一室を借りて暮らしている。二人の同棲生活はそこそこ順調にいっていた。
 改めて竈門家に挨拶に行き、婚約の話をした際てっきり軽蔑されて殴られてもおかしくないと覚悟していたのだが、炭治郎の家族たちは皆笑って迎え入れてくれたのだった。葵枝と禰豆子なんかは涙ぐんでまで喜んでくれて、炭治郎と二人慌ててしまったものだ。
 おかげで同棲の件もすんなり承諾されたのだけれど、兄と過ごす時間が減ることに少しだけ渋る弟妹たちに揉みくちゃにされたことは記憶に新しい。

「炭治郎、話があるんだが…」
「どうしたんですか?」
「その…今日宇髄が、お前は竈門に甘いんじゃないかと言ってきてな…」
「…なんと」
 二人して肩を落とす。互いに元からその辺りはきっちり公私混同せずに行動しようと決めていたのだ。苗字で呼ぶのも慣れないながら頑張っていた。しかしその努力は実を結んでいなかった。
「とりあえず、明日からはもっと厳しく指導するからな」
 ピアスに触れるとからからと音を奏でた。炭治郎が頷くとそれも合わせて揺れる。
「分かりました!……話しかけるのもあんまり良くないんでしょうか……」
「…そう、だな…」
 これまでは仲の良い教師と生徒程度の会話はしていたと思う。だが校則違反で目をつけている生徒と仲良くしているのは不自然だ。これも止めなければならないだろう。
「少し寂しいですけど、家に帰ればこうして話せますもんね!俺は長男だから我慢してみせます…!」
「…ああ」
 ぺちこと手を合わせて意気込む炭治郎の額に口付けて、義勇は居間へ向かった。遅れて義勇の後を追う少年は未だ恋人同士のやりとりに慣れず、頬を染めてひゃーと高い声を出しながら照れていた。その姿はたいへん可愛らしいものであった。



  ◇  ◇  ◇



 義勇に学校での態度を見直そうと宣言され改めるようになってからしばらく、だんだんと距離感というものを覚えてきていた。
 校内で口を利く機会といえば、指導で声を掛けられるか、体育の授業でたまに準備を頼まれたりするくらいが常となっていた。ふと寂しく思う日もあるが、家に帰れば義勇が触れてくれるので耐えられた。
 日直最後の仕事である日誌を書き終えた炭治郎は教室を出た。あとはこれを担任の悲鳴嶼へ渡せば下校できる。夕飯の献立を思い浮かべながら職員室へ歩を進めた。
 失礼します、と挨拶をして室内に足を踏み入れる。きょろきょろと室内を見渡すが、担任の姿はない。どうやら不在のようだった。机に置いておけば大丈夫だろうかと日誌を抱えたまま考え込んでいたところ、義勇の声が耳に入って思わずそちらを見た。
 義勇は己の机で事務作業をしており、その向かい側では美術教師の宇髄がからからと笑いながら義勇に構っていた。
 幸い悲鳴嶼の机は義勇の隣だ。今はきちんとした口実もあると炭治郎は堂々とそこへ近付いた。
「よォ!竈門じゃねぇか!どうした?」
「日誌を渡したかったんですけど、悲鳴嶼先生はどちらに?」
「それならさっき生徒に呼ばれて出てったぜ。多分すぐ戻ってくるから待っとけ」
「そうですか、良かったあ」
 炭治郎はぱっと表情を明るくした。手持ち無沙汰になり、義勇に視線を落とす。黙々と手を動かす恋人を見て、炭治郎はつい気が緩んだ。
「……あ、ボールペン買っておかないとですねえ」
 掠れかけたインクのペンを使う義勇を見て、そんな一言をもらしてしまったのだった。すぐさま我に返った炭治郎は口を塞いだがもう遅い。義勇が苦い顔を浮かべた。
「あ?なんて?」
「いや、あの、俺!が!使ってるボールペンのインクが切れそうだったのを思い出して…アハハ…」
 たらりと背中に冷や汗がつたうのが分かった。だがタイミングよく悲鳴嶼が戻ってきてくれたことで、炭治郎は命拾いした気分で日誌を乱雑に渡すとなんとか職員室を脱した。
 どうしても、ふとしたときに素が出てしまう。あの場に残っている義勇に迷惑をかけていなければいいが。
「駄目だなぁ、俺…」
 職員室を出ると扉の前でがっくりと項垂れて、よろよろと鞄を取りに教室へ戻っていった。

 その日の義勇はとくに怒るわけでもなく、いっそう優しく接してくれるものだから、炭治郎が感じる申し訳なさはますます膨れ上がったのだった。





 家から一歩でも外に出た際に義勇の姿を見ると気を張るようになり、いつの間にかそれが炭治郎の精神に負担をかけていた。しかし自身はそれに気付かず過ごしていて。
 昼休み、炭治郎はふらふらと一人になれそうな場所を探していた。いつも一緒に昼食をとっている友人の二人が歴史の授業で課題を忘れてしまい、わっしょいわっしょいと煉獄に連れていかれてしまったのだ。先に食べていてくれと言われたものの、なんとなく教室で一人食べるのは味気なく、かといって他の友人に声をかける気分でもなかったのでこうして弁当を持ったまま校内を散策しているところであった。
 そんな炭治郎の少し先を義勇が歩いていた。後ろを振り向く気配はなく、こちらに気付かないままてちてちとどこかへ向かう義勇。炭治郎は周りに誰もいないことを確認してから追いかけようとしたのだが。
「とみ…、」
 バタバタと上履きが床を蹴る音が複数響いた。それは義勇が通り過ぎようとした左側の廊下の分かれ道から聞こえてきて、義勇の横で止まった。
「あ!冨岡センセー!聞いて聞いて!」
「あ…」
 女子生徒が気軽に義勇に話しかけている。声をかけられた当人は適当に対応してるのが伝わるが、それでも羨ましかった。炭治郎にはそれができない。恋人だからこそ意識してしまって、普通の生徒と教師のやりとりが上手くいかないから。
 だから誰も見ていないところで、と今がチャンスであったのにそれすらも逃してしまった。そういえば、義勇は寡黙だがそんなところがクールで良い、と女子から密かに人気を集めているのだと善逸がぼやいているのを聞いたことがあった。実際に目にしたのはこれが初めてだったが、婚約者がちやほやされている場面とは、たとえ彼が女子生徒に靡くことが絶対にないと断言することができても存外傷つくものだった。
 徐々に離れていく背中を見つめて溜め息を吐く。こんなことでうだうだと悩んで情けないとは思いつつも一度落ち込んだ気持ちはなかなか浮き上がりそうにない。
(義勇さん……)
 廊下を見つめてももう青いジャージ姿が見えることはなく、炭治郎は踵を返した。
(大丈夫だ…家に帰れば話せるんだから…)
 今は一秒でも早く義勇と思う存分に過ごせる家に帰りたかった。
 幸い明日は休みだ。義勇も午前だけの勤務だと言っていたので、こんな考えは早々に捨てるべきだと己の頬を張った。





「…何かあったのか」
「……え?」
 昼過ぎの長閑な時間。炭治郎は義勇の背後から抱きつき背中に顔を埋めていた。
 それが滅多にしない行動だったからか、義勇からはこちらを心配する匂いがしている。炭治郎は視線を彷徨わせた。
「昨日からどう見ても様子が変だろう、俺には話せないことなのか」
「義勇、さん…」
「炭治郎の力になりたい。俺に出来ることがあるなら何でも言ってほしい」
 振り向いて真正面から抱きすくめられる。声色と匂いから義勇の真摯な思いが伝わり、炭治郎は口ごもった。我ながら考えるのもくだらないと分かっていることをわざわざ婚約者に告げるのはしのびない。けれど黙っていれば義勇は気に病むに違いない。どちらを選択すればいいのか、悩んだのは一瞬だった。
 義勇に一蹴してもらえばいいのだと、悩みを打ち明けることを選んだ。
「…っ義勇さん!俺を一発殴ってください!」
「!?」
「婚約者を信用していない証拠なんです!」
「…待て、落ち着け炭治郎。順を追って話せ」
「あ…」
 焦りを浮かべた義勇の言葉に、炭治郎はつい暴走してしまったと反省しつつ先程の台詞に至った経緯を話した。途中、義勇から怒っている匂いがしたときには申し訳なくて、俯いた顔を上げられなかった。
「…だから、俺は義勇さんに殴られてもおかしくないことを、」
「……はぁ、確かにお前には少し仕置きが必要なようだが…」
「うぅ、」
 ぎゅ、と強く目をつむって痛みを覚悟する。だが降ってきたのは唇への柔らかな感触だけだった。
「……へ、」
「これで許してやる」
「え、……えっ!?い、今の……!?」
 ふい、と視線を逸らす義勇を見て、炭治郎はばっと口を押さえた。まさかまさか、今当たったのは義勇の唇なのではないか。心なしか彼の頬が赤く染まっている気がする。つまりこれは。意識すると鼓動が暴れるようにうるさく鳴った。
「わ、分かりました……」
 なんとかそれだけを絞りだすと、炭治郎はへなへなとその場に蹲ってしまった。けれどこれでまだまだ頑張ることができそうだ。顔のゆるみはしばらく収まりそうになくて、いつになったら顔を上げられるだろうかと、炭治郎は幸せそうに笑った。



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