今に見てろ!
休日の昼下がり。千尋の作った昼ご飯でお腹を満たし、食器を洗いに行った千尋がリビングを去ったあと。部屋には円と、遊びに来ていた日野のみとなったときのこと。
ソファにもたれかかりゲームを起動し始めた日野に、そわそわと感情を隠しきれていない円が問いかけた。
「日野くんはバレンタインにちーちゃんが何か作るか聞いてる?」
「……聞いてねーけど、小宮は貰う側だし多分作るとか考えてないんじゃね?」
「そっかー!」
周りに花を飛ばして頷く円に、ゲームより面白いものを見つけたとばかりに日野が顔をあげた。
「何?円さん小宮にチョコあげんの?」
「うん。去年ちーちゃんがね、マカロンの作り方教えてくれたお礼ってホワイトデーにくれたからそのお礼にねー」
「お礼のお礼…」
なんじゃそら、と半目になった日野にうっとりと惚気を漏らす円は構わず続ける。
「だーってちーちゃんたら可愛いんだよ〜!直接じゃなくて隠すように渡してきてさー」
「はいはい。そうじゃなくてさ、本気チョコ渡さねーの?って話だよ」
「本気?」
(あっ、これはもしかしなくても自覚ないのか)
ぽかんとする円に、日野は頭を抱えた。
いくら引き取った可愛い甥とはいえ、円の千尋に対する可愛がり方は誰の目から見ても普通の叔父より格段に上だった。
千尋も千尋で、今まで親戚というものがいなかったせいか鬱陶しいとは言いつつも内心は嬉しいので指摘しないし、そもそも分かってすらいない。
本人たちが良いならばと周りが何も言わずにいればこの通りだった。
千尋の方にもちょっと探りをいれてみるか、と日野は頭の隅にメモをとり、一時停止させていたゲームを再開させた。
「日野くーん、どういうことー!?」
「円うるさい!」
頭上にクエスチョンマークを浮かべた円が詳しく尋ねようとしたところでお茶の準備を終えた千尋が戻ってきた。
ナイスタイミング、とは声に出さず日野はゲーム画面を見たままいそいそとトレーに乗ったクッキーに手をつける。今日も円特製のおやつは美味だった。
「え?好きな人?」
「おう」
「いるけど……それ日野に言わなきゃ駄目?」
「えっ」
学校の帰り道、直球で聞いてみれば返ってきたのは日野にとって意外な答えだった。
「えっ、て何」
「好きなやつがいたのと、ちゃんと自覚してたのと、いることまでは教えてくれたのが驚いた」
「まあ……」
言ったものの恥ずかしくなったのか、千尋はなんとなしに道の端に生えている雑草を見ながら曖昧な返事をする。
「ていうかいきなりどうしたの。日野好きな人出来たの?」
「俺はいねぇよ。な、小宮の好きなやつ当てていい?」
「は!?何言って、」
「円さんだろ」
止める間もなく日野は人差し指を千尋に向けた。事件の犯人を突き止めた探偵のような顔をした日野に、カチンと固まって顔を真っ赤にした千尋は正解だと言っているようなものだ。
「当たりか〜」
「…………なんで気付いたの」
「俺は叔父さんにあんな接し方しませーん」
「なっ…!?」
そこで全てを悟ったのか、千尋はしゃがみこんで顔を手で覆った。
そのままおそるおそる質問をする。
「俺…そんなにバレバレだった?」
「まあなー。円さん以外は気づいてんじゃね?」
「うわああああ」
やれやれといった様子で日野も膝を折った。
「…………気持ち悪いでしょ。おれ、こんな…」
「べっつにー。前にも言っただろ。それにお前が弱ってたとこにあんなん来られちゃ仕方ないよなー?」
「うっ…」
もうこれ以上は勘弁してほしい、というように膝に顔を埋める千尋ににやにやとした笑みを浮かべて、日野は千尋の頭を撫でた。
◇ ◇ ◇
好きになったのはいつなのか覚えていない。それだけ、彼から貰ったものは多かった。ただ、自覚したきっかけははっきりと記憶にある。
その感情に気が付いたとき、千尋は廊下の床掃除をしていた途中にもかかわらずその場に蹲った。
仕事部屋の扉が開いていて、真剣な表情をした円が衣装と向かい合っていたところが見えたのだ。そしてそれは既に見慣れた光景なはずだった。
ぼんやりと、もしあの表情が自分に向けられたらと想像して、──千尋は沈んだ。
余所行きの円は詐欺だと思うくらいかっこいい。しかし家ではいつも駄目な大人だ。
だからこそ今のように気軽に接していられるのかもしれないのだけれど。
(ギャップ、って言うんだっけ、こういうの)
いつだったか、竜児がそんなことを話していたと思い出す。普段見ない姿は異性の心を掴むとかなんとか。そのときは気にもしなかったが、今まさにそんな状況になっている。異性ではないけれども。分かんないものだなあ、とよろよろと千尋は立ち上がると、途中だった床のモップがけを再開した。
しかし頭の中にはずっと円の姿があったのだった。
(ほんとにみんなにバレてるのかなあ…)
どんよりとした気持ちで千尋は帰路についた。
日野には円への気持ちがバレたが彼は千尋を軽蔑せずに、むしろ今度のバレンタイン頑張ってみろよ、と応援すらしてくれた。その気持ちは嬉しかったが、肝心の円にどう思われるのかが怖くて頑張れる気がしない。確かに円は千尋のことをとても可愛がってくれているし、おかげでこうして好きになってしまっているのだけれど、円にとっては家族へ向ける当然のものなのではないか。そう思わずにはいられない。
(せっかく、家族、に、なれたのに気まずくなるのはやだなあ…)
そんなことになったら、またみんなに心配をかけてしまう、と千尋は祖母のことで悩んで日野や美耶子たちに励まされたことを思い出す。気遣いはとても嬉しいものだったが、そう何度も気苦労をかけていてはいけない。応援してくれた日野には悪いが、それなら黙っていた方がいい。
(そうだ、俺の態度分かりやすいって言われちゃったな…。ちゃんと、隠しておかないと…)
「あれ?ちーちゃん帰ってたの?おかえり〜」
「わっ!」
うだうだと考え込んだまま階段を上がろうとしたところで、リビングから顔を出した円に見つかり声をかけられた。
先程まで日野と話していた内容を思うとまともに円の顔が見れなくて、千尋はおざなりに返事をすると、わたわたと階段を駆け上がっていった。
◇ ◇ ◇
三日後、円の気分は完全に地に落ちていた。
「けーいちろー…」
「なんですか円様仕事してください」
「ひどい!」
円が読む気ゼロと言わんばかりに資料を放り投げると、桂一郎は大きなため息を吐いた。
円がこうなるのは間違いなく千尋のことだった。
「また何かしたんでしょう?」
「まだ何も言ってないじゃん!」
「分かりますよ。千尋くんと喧嘩でもしました?」
「………それなら、良かったんだけど」
目に見えて肩を落とす円を見て、ああこれは重症だな、と桂一郎は手帳を開いてスケジュールを確認した。千尋とのわだかまりが解消するまで仕事は遅々として進まないだろう。一刻も早く問題を解決する為桂一郎は口を開いた。
それに、見ているこちらとしても、あの子が笑っていないのは悲しいことだった。
「最近千尋くんがよそよそしいのは気が付いています。多分彼は隠しているつもりでしょうけど」
「…うん。……僕、何かしたかなあ…」
「でも覚えがないんですよね?千尋くんも最近じゃ隠し事することはなくなりましたし…」
前にも似たようなことがあったときは、犬を匿っていただとか授業参観のことだとか可愛らしい子どもの隠し事だった。しかしこの頃は何かあったらちゃんと話し合っているようで安心していたのに。
「今度のバレンタイン渡そうと思ってたのにこれじゃ受け取ってくれないかな…」
「千尋くんにですか?」
「そのつもりだったんだけどね…」
(あっ…これはややこしくなるんじゃ…)
それと、もしかしたら。
バレンタイン当日のことを考えると、桂一郎の胃はきりきりと痛み出すのだった。
◇ ◇ ◇
二月十四日。
結局ぎくしゃくした関係のまま迎えたバレンタイン当日。朝食の席で黙々と箸を進める二人はお互い、どう切り出して用意したチョコレートを渡そうか悶々としていた。
(勝手に気まずくなって円に変な態度とっちゃったなあ…)
千尋はここ数日まともに円と顔を合わせることが出来ず、適当な言い訳をして早めに家を出たり部屋にこもることが多かった。
それでも合間を縫ってなんとか完成したチョコレートだ、せっかくだから円に食べて貰いたい。
(普通に渡せば大丈夫。家族に渡すぐらいよくあるじゃん)
「あのさ、」
「なっ、何!?」
がちゃん、と行儀は悪いが、物音を立てて勢いよく立ち上がった円に千尋はぽかんと呆けてしまった。
よく見ればその表情はあまりにも必死の形相で、なかなか目にすることのない様子はなんだか笑いを誘うものだった。
「ちーちゃん?」
「なんでもない。はい、これ円に」
「えっ…これ…」
千尋は今までの悩みはなんだったのかというくらいあっさりとその包みを手渡した。
こんな円を見るためにチョコレートを作ったのではない。確かに様々な思惑が詰まってはいるが、最終的に渡すことを決断したのは普段の感謝を伝える機会でもあると考えたからだ。まあこれは変に思われてしまったときの言い訳でもあったのだが。
まだぼんやりとしている円を置いて、千尋はひとり清々しい気分で食事を再開した。
「待ってよちーちゃん!」
ひとり完結したような千尋に円は狼狽え、戸棚からラッピングされたそれを取り出した。
「僕も用意してたんだ。千尋と同じ思いで良かった。ありがとう」
「円…」
ふわりと微笑まれる。その表情が眩しく映り、千尋はうっ、と目を逸らした。
渡されたチョコレートをじっと見つめていると、じわじわと喜びが増す。まさか、円と同じ想いだとは思わなかったからだ。
「良かったー!ちーちゃんと仲直り出来て」
「別に喧嘩してたわけじゃ…」
安心した顔で椅子に座り直し、食事を再開した円に千尋は気まずそうにぽりぽりと頬をかいた。避けてしまったのは本当に申し訳なかった。
食事も済み、ごちそうさまを言ってから食器を片付ける。二人分の食器をあっという間に洗い、千尋は登校の準備に取り掛かる。
ランドセルを背負う。今日は授業に体育の科目があるので忘れずに体操服入れを手に取り、忘れ物はないかと自室を見回してから部屋を出た。階段を降りたところで見送りの円がいるのを見つける。
「ちーちゃん、準備出来た?」
「うん」
照れ臭くて円の顔が見れない。千尋はランドセルの肩紐をぎゅうと握り込む。
「はあ〜…この感じ久々だ〜!おじさん寂しいからちーちゃん反抗期迎えないでね…」
「何言ってんのさ…」
「全国のお父さんの気持ちがよく分かったよ…」
「…お父さん?」
ふと、あれ、と千尋は疑問を抱いた。
「なあ、円って俺のこと…」
「可愛い可愛い甥っ子だよ〜」
ほわわん、とのたまう円に千尋はピシリと固まった。
あんなに、甘く蕩けそうな顔を見せておいてお父さんとは何事だろうか。円と同じ気持ちだと思ったのは自身の勘違いだったのかととても恥ずかしくなる。
それとも、無自覚なのか。どちらにしろ千尋のやることは一つだった。
「………」
「ちーちゃん?」
「円の鈍感!そのうちぎゃふんと言わせてやるからな!見てろよ!」
「へ?え?」
「いってきます!」
それでも忘れずに挨拶をして家を出た千尋をぽかんとしたまま円は見送った。