僕だけの
「白い車に乗ったヒーローだぁ?」
登校したコナンにそんな話題を出したのは同じ少年探偵団の仲間の歩美だった。
「どっからそんな話が出てんだ?」
「あのね、轢かれそうになった子が言ってて、車の運転手に助けてもらったんだって!みんなに自慢しててあっという間に噂になっちゃった」
興奮した様子でコナンに喋りかける歩美にハハ、と力げなく笑って流した。
あいにくそういう話題には興味が持てない。見た目は小学生でも中身はれっきとした高校生なのだ。ヒーローに目を輝かせる年齢でもない。
まあ、コナンもとい新一が幼い頃から憧れを抱いているのはヒーローの類いではなくシャーロック・ホームズなのだが。
「灰原も聞いたのか?」
自身の席で頬杖をついて傍観を決め込んでいた彼女へと話を振る。哀は肩を竦めて口を開いた。
「ええ。あちこちでみんな騒いでるもの。嫌でも耳に入ってくるわ」
「でも運転手が助けた、とはどういうことなんでしょうか。いまいち状況が分かりません」
顎に手を当てながら光彦が疑問を口にし、それに元太が黒板の方向を指さしながら答えた。
「本人に直接聞けばいーんじゃねーか?」
「元太くん知ってるんですか?」
おう、といいながら早速隣の教室へ駆けて行く三人の姿に、コナンはやれやれと肩を竦めた。
白い車、助ける、ヒーロー。
その三つのキーワードに、頭には一人の姿が浮かんだ。
光彦の言う通り、状況はさっぱり分からないが、何にしてもやり遂げそうな男をコナンはよく知っていた。
先日のIoTテロの事件でカジノタワーに落下するところだったカプセルを空中で爆破させた際に大破した彼の愛車はどうなったのだろうか。修理で済むようなものだったのかは謎だが、あの車が無事に戻ってきているのならば噂の人物の正体はコナンの予想している男かもしれない。
まさかとは思いつつも、今度タイミングがあったら聞いてみようとぼんやりと考えたのだった。
その数日後。
放課後、コナンは一人でポアロを訪ねた。やることも特にないため、せっかくなのでこちらで時間を潰そうと思ったのだ。
カラン、と鈴の音を鳴らし店内に足を踏み入れる。ランチタイムを過ぎ、夕方になる前の微妙な時間帯のポアロは閑散としていた。
安室がこの喫茶店でアルバイトを始めてから、ここの客層は若い女性が増加した。繁盛しているのは良いことなのだが、どうしても店内は賑やかになってしまう。今ではすっかり静かな時間が貴重になっており、ゆったりとした空間が好きなコナンは今の客足の途絶えたポアロを見回して正直少しだけほっとした。
「おや。いらっしゃい、コナンくん」
「安室さん」
奥のボックス席のテーブルを拭いていた安室がこちらに気が付き振り返る。
「カウンター席大丈夫?」
「もちろん、お好きな席へ。ご注文は?」
「アイスコーヒーで」
「かしこまりました」
すぐにコナンの元へやってきたのを見ると、どうやらテーブルを拭いていたのは手持ち無沙汰だったからのようだ。
コナンの注文を受け、カウンター内に入る安室をなんとなしに見ていたところで、ふと数日前に聞いた噂について聞こうと思っていたことを思い出した。
帝丹小学校は未だにそのヒーローとやらの話題で持ち切りだった。すぐに忘れ去られるだろうと思っていたのに、身近にいたヒーローの存在は存外子どもたちの心を奪っていたようだ。
「安室さんさあ、この前小学生を助けたりしなかった?」
「ええ?なんだい藪から棒に」
グラスに氷を入れながら発する声はいくぶんか楽しそうに聞こえた。
「いいから。どうなの?」
「うーん……。ああ、もしかして緑さんを送って行ったときかな?」
ピッチャーからコポコポと心地の良い音を立てながらグラスに液体が注がれていく。凝り性なのか、安室の出勤日に飲める彼が淹れているであろうコーヒーは格別に美味しかった。マスターや梓には申し訳ないが、コナンにとって密かにそれはお気に入りだった。
なみなみと注がれると、最後にストローをさし、コナンの前に用意されたコースターの上にグラスがコトン、と置かれた。
「お待たせいたしました」
「ありがと、安室さん」
早速ストローに口をつけ、のどに流し込む。やはりそれはコナンの好みで、知らずに口もとが綻んだ。
コーヒーに気を取られ中断した会話を再開させようと顔を上げると、安室はコナンの方を見てニコニコと嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「…ちょっと。あんまり見られると飲みづらいんだけど…」
「ふふ。気にしないで」
「……もういいよ。話に戻るけど、どんな状況だったの?」
「つれないなあ。…ドリフト中に道路に飛び出してきてたからちょっと運転席に引き込んだ、かな」
「…はぁ?」
コナンの推理通り白い車に乗ったヒーローとは安室のことで合っていたようだが、本人に聞いても例の小学生が助けられた様子とやらがいまいち想像出来なかった。
相変わらずの超人ぶりの行動にいっそ呆れてしまった。
「…安室さん、今学校で注目の的だよ」
「えっ、」
「多分その子が興奮のあまり話したんだろうけど、助け方がぶっ飛びすぎてヒーローだって言われてるよ」
「あはは、本当かい?」
「そんなに目立っちゃっていいの?」
「なんのことかなあ。子どもたちのヒーローなんて誇らしいじゃないか」
「ふーーーん」
コナンがわざとらしく伸ばして返事をすると、安室は目をぱちくりと瞬かせた。
「コナンくん?」
「ボク、安室さんのドラテクが広まるの複雑だなあ〜」
「…どういう意味だい?」
「だって安室さん、さらにモテちゃうでしょ?」
まあ、噂のヒーローが安室だということは今のところコナンしか気がついていないだろうが、それでもモヤモヤとした気持ちが少しだけ現れてしまったので晴らさせてもらおうと思ったのだ。
先ほどのお返しにこちらもにっこりと微笑んで、己の気持ちをほんのわずかだけ吐露する。
「…っずっっっるいなあ〜〜!!コナンくんは!!」
「うわ、びっくりした。急に大声出さないでよ」
「びっくりはこっちのセリフだよ…ほんと…勘弁してくれ…」
顔を覆ってしまった安室にほくそ笑んで再びコーヒーを飲んだ。
普段コナンからそういうことを口にすることは滅多にない。だが決して安室からの一方的な想いではないのだ。こちらとて生半可な気持ちで彼の想いに応えたのではない。
ここまで喜んでくれるのならばたまには愛情表現をするべきかな、とコナンは未だ顔を見せない安室を見ながら思ったのだった。
「……コナンくん、今日泊まりに来ない?」
「え〜、どうしよっかな〜」
ただ、それはまた今度の機会にしなければいけないようだ。彼の低い声を聞いて、コナンは冷や汗をかいたのだった。