小説 | ナノ


  鈍感テロリスト


スーパーから出ると途端に身を突き刺すような寒さが○○を襲った。
今にも雪が降りそうな重く暗い空の下、彼女は早足で自宅へと向かう。

ネオン街を抜け、住宅街にひっそりと佇む石段を昇る。
静かな石畳の路地を抜けると町家や小さな宿が連なり、これまた小さな稲荷神社の前を通り過ぎる。
蛍光色が届かないこの地は中心地の雑踏から隔絶され、どこか風情が残っている――○○が江戸で一番のお気に入りの場所であり彼女の居住・商売地だ。

「おい」

薄暗い路地から男の声がした。
この道を歩いているのは○○だけだったため、渋々足を止める。
人通りが少ないということは注意が必要な区域であるということでもある。それは重々承知でこの地に住んでいるが、○○はこの近辺で婦女強姦未遂事件が起きたと報道されていたことをふと思い出し、肩を強張らせた。

下手な真似をしだしたらまずは腹に一発入れる、そして怯んだ隙に股間を蹴りあげ路地道潜り抜けて逃げる――脳内シュミレーションを確認し、満を持して声の正体に振り返った。
光の当たる場所へ歩み出てきたその男の姿を目に映し、○○は今までの警戒を一瞬にして解く。
その男は艶のある黒色の長髪を靡かせ、瑠璃紺の着物をきちっと着込んだ昔馴染み――桂小太郎であった。

『あー、びっくりした。ヅラか……』

大きな溜息を1つ吐き、肩の力を抜く。

「ヅラじゃない桂だ。……どうした、肩なんぞ強張らせて」
『この辺変なの多いからさ。また新手のナンパかと思って』
「ふむ、そうか。……ところで○○、1つ頼みがあるんだが」

匿ってくれないか、そう言い桂は○○の前に歩み出た。
○○は呆れて言葉も出ないまま、曇天模様を仰ぎ、悴んだ右手で手招きをした。

『お願いだから私を面倒事に巻き込まないでよね』
「無論承知だ。……萩よ」

『いらっしゃい、殿方』

桂の腕に自身の腕を絡ませ凭れ掛かるようにして、○○は彼を自宅へと誘った。
速まる鼓動を悟られないように脳を営業モードに切り替え、なんとか平常心を保つ。
日の当たらない路地にしばらく身を潜ませていたせいか、桂の体はひどく冷えきっていた。

『雪が降りそうですね、桂様』
「積もるらしいな」
『そうしたらお帰りなさらないですよね』

他愛無い娼婦と客の会話を交わしながら、辺りを警戒する。
自宅の前を見渡し、追手が来ていないことを確認してから引き戸を閉め、先客ありの看板をかける。

『随分、板についていたわね。実は常連さんだったり?』
「阿呆抜かせ、俺を誰だと思っている。遊里に通う男を装うことなど訳無いわ」

桂の腕を離し、座敷ではなくリビングに通した。

『いつも一緒にいるオバQは?』
「……ああ、エリザベスのことか。奴なら今、実家に帰っている」
『実家!? 実家あるの、あのオバQ!』

電気ストーブをつけ、桂をその前のソファに座らせる。
スーパーの袋から食材を冷蔵庫に仕舞いつつ夕食の献立を考えた。

「蕎麦がいい、蕎麦が食いたい○○」
『えー、お鍋にしようと思ったんだけど……』
「寒いからな、温かい蕎麦にしよう」

桂はソファーから立ち上がり台所へ向かった。
座ってていいのに、と言いつつも手伝う気満々の桂に○○は予備のエプロンと髪結紐を渡す。

『男子厨房に入らずって言い張ってたの誰だっけ』
「昔のことは忘れたな。そもそも調理実習の時に手伝わずにつまみ食いをしていた天パを蹴り飛ばしたのはどこのどいつだったか……」
『さてね、誰だったかな』

○○はふふっと笑い、桂も目を閉じ静かに口元を歪めた。
脳裏に浮かぶは昔の記憶、懐かしさに頬を綻ばせた。

『寝るとき座敷使っていいよ、昼間布団干したからふかふかかもね』

雪も降りそうだから湯たんぽも出しておくね、と言うと桂はそれをやんわりと断った。
熱した油の中に衣をつけたさつま芋を入れると弾けるような音が部屋に響き渡る。
その音に紛れるように桂は呟いた。

「二人で眠れば温かろう」

しかし、しっかりと○○の耳にはその呟きが届いており、顔を赤くしながらそれがバレないように蕎麦を茹でた。
――桂小太郎は鈍感な男だった。
彼の中では○○は昔馴染みの一人に過ぎず、その他の感情を彼女に抱くまではまだ至っていなかった。昔から自分に向けられている視線を気付いてはいなかった。

「どうした不満か? なに心配ない。俺は女を買うのは好きじゃない。他意はないぞ」
『……ですよねー』

桂に聞こえるように大きく溜息を吐き、紅潮する自身に心中で叱咤する。

「ん? ○○、さっきから様子が変だぞ大丈夫か」

ほら、揚がったぞ。と油切り皿に載せた天ぷらを調理台の上に置き、桂はエプロンを脱いだ。
○○はちょうど茹で上がった蕎麦を器によそい、揚げたての天ぷらをその上に載せる。

「俺がそんなに見境もなく女に手を出すとでも思ったのか? 今、お前は萩ではなく○○であろう」
『私が萩だと名乗ったら抱くの?』
「おなごがあまりそういうことを軽々しく口にするんじゃない」
『私の商売真っ向から否定しやがったな……』

それとも……、と言いかけた桂の言葉を遮るように○○は食卓に蕎麦をよそった器を置いた。
障子を少し開けると闇夜の空から真っ白い六花が降り始めており、すでにうっすらと地面を白く覆っていた。

『ヅラはホント、昔から変わらないね』
「ヅラじゃない桂だ。今も昔もお前は○○だ、萩という名など知らん」

桂はズズっと蕎麦を啜り咀嚼する。

「よしんばお前が俺を求めてきても、俺はお前を○○として応えよう」
『…………ばーか。求めないから安心しな』


 



***
桂は夢主を昔馴染みの一人としか今は思ってないけど、自身の中で他の昔馴染み(女子)や神楽ちゃんたちに対する気持ちとは違う感情が密かに芽生えつつあることに彼は気付いていない。
それでも夢主宅に来るときは毎回エリザベスを置いて、一人で来る。
それがどうしてなのか、彼はまだ分からない。

頑張れ、夢主。

2014/03/02

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