小説 | ナノ


  05:決意


 家に帰ってからすぐに入ったお風呂から上がると居間には誰もいなかった。
 しかしどこからか声はしていて、辿ってみるとお父さんの居室からだった。中からはお父さんと、どこかで聞いたことがある男の人の声が聞こえる。きっとお母さんもそこに同席しているのだろうと思った。
 お父さん、帰ってきたんだ。私はなぜか安心した。
 私は何をするわけでもなく、かと言って何もやる気が起きず、部屋のベッドに倒れ込んだ。多少回復したとはいえチャクラが足りない。体は重くベッドに沈み込んでいるのに、不思議と眠気は無い。
 むしろ眠ることを拒むように意識だけははっきりしていた。
 あの惨状が何度も何度もフラッシュバックして、微睡むことができない。悪夢だ。否、悪夢だったらどれほど良かっただろう。しかし、あの凄惨な光景と私が人を殺めたという事実は紛れもない現実で、洗い落としたはずの血の臭いがまだ微かに残っているような気がする。

――コンコン、とドアが鳴ったので私はゆっくり体を起こした。
 ドアを開けて入ってきたのはお父さんで、「今、ヤクミが帰った」と言った。お父さんと話していた人の正体はヤクミ兄さんだったようだ。
 兄さんには悪いことをしてしまった。ヤクミ兄さんは私を家まで送ってくれると言っていたのに、それを私が断ったのだ。

『お父さん、ヤクミ兄さんは悪くないの。私が一人で帰れるって言ったの。だから兄さんを叱らないで』
「……別に叱りつけるためにヤクミを呼んだわけではない。アイツは気に病んでいたが……オレがアイツを呼んだのは……」

 お父さんはそこまで言うと、開いたままのドアを閉めた。

「イタチの記憶を視させるためだ。イタチやお前は目撃者だからな」
『記憶を、視させた……?』
「ああ、ヤクミの写輪眼瞳術は他者の視覚記憶を視ることができる。だから呼んだのだ」
『……ヤクミ兄さんは、その、全部を視られたの?』
「オレが『○○のも視るか』と聞いたが、必要ないと言っていた。イタチのだけで充分だと」

 あの光景をヤクミ兄さんは視たのか。彼の瞳術とやらで視たのはイタチが見た記憶、つまりイタチの記憶。あの惨劇を目の当たりにしてイタチはどう思ったのだろう、どんなに怖かっただろう、なんだかとても申し訳ない気持ちになった。こんなことならイタチをすぐに遠くへ逃げさせるべきだった。
 後悔することはまだある。

『今思うと他に方法があったんじゃないかって思うんだ……あの二人を殺してしまったけど、別に殺さなくたってよかったんじゃないかって……殺さない方法だってあったんじゃないかって』
「自責しているのか、そんなものは早々にやめろ」
『なんで!? 人を、人を殺しているのに! 命を奪っているのに! 敵なら殺しても良いっていうの!?』

 また涙でじわりと視界が滲んだ。自分でも自分の感情についていけない。錯乱しているのだと一呼吸置いた後に気付き愕然とした。
 後悔と罪悪感と憤りが一緒になってやってきて代わる代わる私を支配している。情緒が不安定だ。
 なので、つい反論してしまった。しかし私はお父さんに「お前の力不足だ、もっとやり方はあったはずだ」と言って欲しかったわけではなかった。きっと何を言われても反論したのだと思う。
 慰めてくれたお父さんに声を荒げてしまったことを反省した。お父さんはこの間、まるで憐れむようにずっと私を見ていた。居た堪れなくなって目を伏せて口を噤んだ。私は思っている以上に疲弊しているらしい、言葉を選ぶことすら忘れるほど。

「殺さない方法――と言ったがそれは結果論でしかない、あの状況ではお前の行動が正しかった。それに下忍でもないお前が他里に送り込まれるほどの実力者である忍に対して<殺さないように手加減をする>ことなど到底不可能だ。お前がアカデミー生だからというわけではない、上忍のオレにだって忍の生け捕りは難しい」
 それに――、とお父さんは続ける。

「たとえお前が奴ら二人を殺さないでおくことができたとして、奴らが黙って自国に帰ると思うか? お前とイタチの後を追いかけて背後から襲ってくるかもしれないだろう、他の非戦闘員に標的を変えてまた襲撃する可能性もある」
『それは……』

 確かにお父さんの言う通りだった。私は何も言い返せなくて下唇を噛んだ。
 するとお父さんは、これはまだ里の皆には知らされていないんだが……と、前置きして
「今日昼頃、里内に四人の岩隠れの忍が侵入した。厳重警備は土遁の術で突破された。奴らは草隠れでの均衡を崩そうと木ノ葉を内側から襲撃し、その混乱に乗じて一気に畳み掛ける作戦だった――と聞いている」
と、腕を組んでドアに凭れ掛かり連絡事項を報告するように淡々と言った。

『四人? じゃあ、あの二人以外にも岩忍がいたの?』
「ああ、そうだ。奴らの奇襲作戦は失敗に終わったが、侵入者の内二人は……〈何者か〉により抹殺された。残る二人は里内で避難中の非戦闘員数人を惨殺した後、騒ぎを聞き駆けつけた忍によって拘束された。一人はその場で自害、残った一人には今も尋問部が口を割らせている」
『非戦闘員を惨殺って……ひどい……』
「ひどい、か……。そうだな、奴らのやったことは到底許されるものではない。許されるものではないが……岩隠れにとってはこれが作戦だ」
『相手が非戦闘員なのに!?』
「戦争中だからな、関係ない。非戦闘員といってもあくまで木ノ葉内部での区別にすぎん」
『そんな……』

 私はその時どうしようもない焦りや恐怖感に苛まれた。危険がすぐ隣りにあるということを痛感したからだ。
 私は勘違いをしていた。私たちのような戦力や武力を持たない非戦闘員ならば敵と直接戦ったりはしないので、命を脅かされたりすることはないのだと、勝手に思いこんでいたのだ。
 しかしそれは違った。あの血腥い光景が脳裏を過る。あそこで倒れていたのはもしかしたら私とイタチだったかもしれなかった。あの忍は間違いなくイタチを――私たちを殺そうとしていた。

「敵なら殺していいのか、とお前は言ったが……忍として生きるなら敵に対して慈悲をかけるべきではない。今回の件、お前は敵からイタチと自分の身を守ったとだけ考えろ。お前にとっては初めてのことかもしれんが、命の奪取は忍の世界では珍しいことではない、当たり前のことだ。今後お前も幾度となく経験することになるだろう」
『人を殺すのが当たり前になるの』
「……オレたち忍は武力であり軍事力であり、戦力だ。綺麗事ばかり言ってられん。しかし勘違いはするな、開き直れと言っているわけではない。お前が奴らを殺したのはあくまでもイタチを守るという目的があったからだ」
『じゃああれは、イタチを守るための……手段、だったってこと?』
「そうだ。目的を遂行させるための手段だ。だからこそ手段の段階で立ち止まるな、目的を見失うな。奴らを殺してでも守らなければならないものを○○、お前は守った。そうだろう。違うか?」

 私は「違わない」とはっきり答えた。お父さんのこの順を追うような説明はひどく説得力がある。
 そう、私はイタチを守った。それゆえに岩忍は死んだ、なぜなら彼らはイタチを殺そうとしたからだ。
 彼らを殺さなければ私たちが殺されていた。だから私はイタチを守り、二人で生き延びるために侵入者を殺した。
 一つひとつ丹念に自分に心の中で言い聞かせた。胸のあたりにモヤモヤと居座るつかえを無理矢理下げ落として、自分を納得させた。そう思いこめば少し気持ちが楽になった。

「○○」

 改まったように名前を呼ばれて、私は背筋を伸ばした。
 はい、と返事をすると数拍置いてお父さんが、
「……良くやった、さすがオレの子だ」
と言った。
 それはお父さんなりの最大級の褒め言葉だった。
 しかしなぜかそれは、テストで満点を取った時のような言い方とは少し違っていて、どこか迷いがあるような、言葉を選んだ末に発せられたもののような印象を受けた。きっと何か他の言葉を言おうとしていたのだろうな、とは思ったがそれが何なのかは分からなかった。

『はい、これからも精進します』

 いつもの決まり文句を言うと、お父さんは小さく「うむ」と言って部屋から出ていった。



 緑色の葉が段々と赤や黄色に変わり始めた頃、戦争は終わった。
 戦況としては火の国の方が優勢だったらしいが、土の国と停戦条約を結んだのだそうだ。つまり、引き分け。

『じゃあ、行ってくるね』

 私は黒い喪服を着て、黄色い菊の花束を抱えたイタチを連れて家の引き戸を開けた。お母さんは姉弟二人だけで外出することを最後まで渋っていたが、「戦争は終わったから大丈夫」と押し切った。どうしても行きたい場所があったのだ。そこで確かめなければならないことがあった。

 里の演習場。私たちアカデミー生はまだ使ったことはないが卒業するとアカデミーの校庭が使えなくなるので、里内にいくつかあるこういった演習場で修行をするらしい。
 だからと言って、修行をしに来たわけではない。
 演習場の片隅には多くの慰霊碑が建てられている。任務で亡くなった忍のためのもので、今回の戦争の被害者が刻名された慰霊碑が毎日続々と建てられているらしい。

 ――戦争が終結してからはじめてのアカデミーで、先生は出席簿と席順をじっくりと見比べながら点呼を取った。しかし一人足りなかった。何かあったんだろうか、と空いたままの隣の席に目を向けると、先生が声を震わせながら
「カエデは亡くなった」
と、言った。
 耳を疑った。聞き間違いではないかと思った。
 教室のどこかからざわめきが生まれると、先生はもう一度同じことを言った。
 ――カエデは亡くなった、殺されてしまった。
 目尻が熱くなって鼻の奥が痛くなった。そして、次の瞬間には泣いていた。
 先生は悔しそうに私たちにカエデちゃんが亡くなった経緯を話しだした。

 いつも私の隣に座っていたカエデちゃんは<あの日>侵入した岩忍によって弟と共に殺害された。お母さんと弟と避難所に向かう途中だった。いち早く岩忍に気付いたカエデちゃんが大きな声で周りに知らせたから、敵忍を拘束することができた。しかし、カエデちゃんはそのせいで死んでしまった。
 あの時お父さんが言っていた「避難中の非戦闘員数人を惨殺した」岩忍の被害者が、私の親友だった。
 カエデちゃんとカエデちゃんの弟はあの日、私たちと同じような状況になっていたのだ。
 だからこそ、カエデちゃんの死を信じられなかったし信じたくもなかった――。


 あまりにも多い慰霊碑の数に圧倒された。
 私たちはその中からカエデちゃんの名前が刻まれているという慰霊碑の前に行き、持って来た花束を手向けた。慰霊碑にびっしりと刻まれた名前の中に彼女の名前を見つけると、そこで私はやっとカエデちゃんがこの戦争によって命を奪われてしまった被害者の一人であることを実感して涙が溢れてきた。彼女の死を受け入れざるを得なくなった。
「私もね、岩忍に立ち向かったの」と、心の中で呟いた。
 同じような状況に置かれた私たちは、カエデちゃんは死に、一方で私は生きた。守りたいものを守ろうとして、私は奇跡的にそれができて、彼女はできなかった。それは決して私の方が武術が得意だったからとかそういうのではなくて、この慰霊碑に刻まれた夥しい数の名前を見ると、ただ運が良かっただけなのだと思った。
 そして同時に、どうしてこんなにも多くの人が死んでしまったのだろうと不思議に思った。慰霊碑に名前が刻まれている忍たちはきっとそれなりの実力者だっただろう。忍術も上手く、敵と戦える力があるから戦地へ派遣されたに違いない。しかし彼らは死んだ。
 強さがあっても忍術が上手くても、それだけでは生還できなかった。それなら、彼らが生き延びるためにはどうしたらよかったのか――?

 数個隣りの慰霊碑に私たちのように花を手向けようと人がやって来た。その男の人は首から三角巾が下げて右腕を吊っていて、右腕だけではなく頭や顔、足に至るまで包帯をたくさん巻いていた。ミイラ男のようなこの人は怪我だらけだが生き延びたのだ。
 そうだ、包帯――。
 カエデちゃんが攻撃を受けた時、その場に治療することができる人がいたらもしかしたら死なずに済んだのではないか? この慰霊碑に名前が刻まれている人の内、もっと多くの忍が生還できたのではないか? 
 だとしたら、武術ができるだけではだめだ。
 包帯を巻けるようにならなくては。応急処置でもいい、攻撃以外の力をつけなくては。

 そんなことを考えながら、カエデちゃんの名前を指でなぞる。その隣りに彫られているのは弟君の名前だろうか。たしかイタチと同い年くらいだったはずだ。
 二人ともあまりにも早すぎる死だと思った。 

 慰霊碑の前で手を合わせている弟を見る。
 私は弟を守った。そしてこれからも守らなきゃいけない。イタチもこれから生まれてくる赤ん坊も、お父さんやお母さんも、友達も、命をかけて守る。守れるぐらい強くなる。私から大事な人が奪われないように、力をつける。
 こんな悲しくて辛い思いはもう二度としたくない。


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再執筆:2015/09/01
2015/09/04、2019/12/4



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