小説 | ナノ


  02:泣き虫


 誰かに私の肩を揺らされる。心地よい夢の世界から引き戻され、重い瞼をゆっくりと開くと、障子の隙間から太陽の光が差し込む。
 眩しい。
 その光から逃げようと掛け布団に潜ろうとすると、

「ねぇさん! 朝だよ! 学校おくれちゃうよ」

という弟の声とともに布団を取り上げられた。小さな体で布団を抱きしめているイタチが目に入り、私はのっそりと体を起こす。

「ねぇさん、おきた?」
『起きた起きた。おはようイタチ』

 四歳になるイタチに手を引かれ、私は一階の居間へと向かう。台所から味噌汁のいい匂いが漂っていて、座卓の定位置にお父さんがどかっと座っていた。挨拶を交わして私はイタチに自分の場所に着くように促す。

「○○、ご飯をよそってちょうだい」

 お母さんはそう言って私に濡らしたしゃもじを差し出す。まずはお父さんの分、大盛。次にお母さんの分、お父さんより少なめ。

『イタチはどれくらい食べる?』
「たくさん!」

 プラスチック製のイタチ用のお茶碗に炊きたての白米をよそって手渡す。最後に自分の分。お母さんの座る位置の机の上に四つの味噌汁の入ったお椀が置かれる。イタチがお母さんの向かいに着席する私のためにお椀を取ってくれようと手を伸ばすが、「危ないからよせ」とお父さんに警められ、おずおずと引き下がる。
 
「熱いからな」

と言って、お父さんは私とイタチの前にお椀を置く。

『ありがとう、お父さん。イタチもありがとうね』

 イタチは、はにかむ。
 お母さんも着席して、家族揃って手を合わせる。今日の朝食はご飯とほうれん草のお味噌汁、焼き鮭とお新香。お母さんがイタチの分の鮭をほぐす。それを待つ間、イタチはバリバリ、と良い音を立てながら沢庵を咀嚼していた。
 朝食を食べ終わると顔を洗い、歯を磨き、服を着替えてアカデミーへ行く準備を始めた。

「はい、お弁当!」
「おお。……今日は○○、午前中授業なのか?」

 お母さんから手渡されたお弁当を受け取ったお父さんが言う。いつもはお母さんは私とお父さんの分のお弁当を作ってくれるからだ。今日はお父さんの分しか無い。

『うん、しばらくは午前中授業なんだって。じゃあ、いってきます』
「いってらっしゃい、ねぇさん! かえってきたらあそぼうね」
『うん! 約束ね!』

 バイバイ、と手を振るとイタチも振り返してくれる。先に玄関の外に出たお父さんに続いて私も外に出る。

「随分、イタチも静かになったもんだな」

 引き戸を閉めたお父さんが言った。
 今でこそイタチは潔く私を見送ってくれるが、私がアカデミーに入学したばかりの頃は泣きながら私の足に抱きついて離してくれなかったものだ。お母さんが買い物に行こうがお父さんが仕事に行こうが泣かずに静かだったため、手が掛からなくていい、と言われていたイタチだったが、私が学校に行こうとする朝だけは駄々をこねて泣き叫ぶので、毎朝お母さんがイタチを抱き上げ宥めていたのをよく覚えている。

「……じゃあ、気をつけろよ」
『うん、行ってきます』

 お父さんと別れて私はアカデミーへと向かう。途中で入学式の日から仲良くなったカエデちゃんと開店前の本屋の前でばったり出くわし、一緒に登校する。
 カエデちゃんにもイタチと同い年の弟がいる。彼女のお父さんは現在行われている戦争に行っていて、今はお母さんと弟の三人で暮らしている。

『今日ってテストだよね、勉強した?』
「うー、したけど自信ない……」
『私もー。上月佐助についてなら詳しいんだけどね』

 ○○ちゃん、よくイタチ君に読み聞かせてるんだもんね、とカエデちゃんが言う。
学校についてすぐに教科書を開いた。テスト前だから私も彼女も喋らない。しばらくして予鈴が鳴り、担任の先生が紙束を持って教室に入って来た。

「先生が合図をしたら始めるように。制限時間は十五分。止めの合図をしたらすみやかにペンを置くこと。いいな」

 本鈴が鳴り、欠席もなく私たちは席につく。
 先生は前からテストの紙束を渡し、「まだ裏面のままだぞ」と言う。前の人から紙束が回され一枚取って後ろに回す。
 小テストだが張り詰めた緊張感を肌でひしひしと感じる。その静寂が先生の声によって破られた。
 紙を裏返し、印刷された文字を読む。
 問一、人間の急所を記載されている図に丸で囲みなさい。
 問二、上記で丸で囲んだ部分について、そこがどうして急所なのか理由を書け。

(昨日の授業でやったところだ!)

 私は教科書と書き写したノートの内容、記憶した授業内容を思い出しペンを走らせる。よかった、そこまで難しい問題ではなかった。
 しばらくして先生の「やめ」の合図が出される。今度は後ろからテスト用紙が回されて来、自分のものを上に乗せて前に送る。

「よし、全員出したな。……では早速だが、答え合わせだ」

 先生はそう言って黒板を使いながら今のテストの解説をする。私はテストが終わってほっと息をつきながらその解説を聞く。

「いいか、みんなも知っているとは思うが……今は戦争中だ。しかも長引く戦争のせいで多くの忍たちが息つく間もなく駆りだされている。お前たちアカデミー生が戦闘に加わるなんてことはないが、激化している戦争では何があるか分からん。敵の忍が里に侵入して来るかもしれない」

 先生が神妙な面持ちで言う。
 今私たちの国は他の小国の小競り合いから発展した戦争に加わっている。

「もし、敵の忍と出くわしたらどうする?」

 先生はそう言って、前方の席に座っている男子に問いかけた。彼は「戦う」と言った。

「その勇気は讃えたいがそうではない。答えは〈逃げる〉だ。いくら忍術を勉強しているとはいえお前たちはアカデミー生。敵国に送り込まれるような忍と対等に戦えるはずがない。いいか、逃げるんだ。そして周りの大人に言う、報せる、先生に言う。まずは身の安全を確保するんだ」

 クラスメイトの中にはカエデちゃんのように親が長期間戦地に赴いている子も少なくない。皆、戦争をどこか身近で感じているようで、先生の話を食い入るように聞いていた。勿論、私もきちんと聞いてはいるが、戦争が起きているという実感がなかなか無い。戦争というものがどういうものなのか、私には分からない。

「お前たちは敵忍と対峙してしまったらすぐに逃げることが一番だが、最悪な事態も考えておかなくてはならない。逃げられない、もしくは拘束されて逃げられない状態に陥った場合だ。その際は一度、敵忍の不意をつきその後脱兎のごとく逃げるんだ。……よって、今から校庭で今日出したテストの内容、つまり人間の急所を狙う練習を行う」

 私たちは校庭に出る。立てられた巻藁にクナイや手裏剣を打った。その後は実践練習で武器は一切使用しないで組手。
先生は、「さすが、うちは一族だな。戦闘センスあるよ」と褒めてくれた。私は嬉しくなった。

 終業の鈴が鳴る。

「明日も午前授業だっけ?」
『うん、確かしばらくは……やっぱり戦争中だからかな?』
「たぶんね。やだね、ちょっと前に一度帰ってきたお父ちゃんに聞いたけど戦争ってすごいたくさん人が死ぬんだって……早く終わればいいのにね……じゃあ、また明日」

 下校中、分かれ道でカエデちゃんと別れる。静かな町を歩く。戦争に里の忍たちが駆り出されているのだとしたら本来はもう少し活気があるのかもしれない、なんて考えながら一人で帰路につく。
 引き戸を開けると、菜箸を持ったお母さんが居間からひょっこり顔を覗かせた。

「あら、おかえり○○。もう少ししたらお昼ご飯になるからね」
『うん。お母さん、ただいま』

 サンダルを脱ぎ、洗面所へ向かって手を洗い嗽をすませる。荷物を置くために自分の部屋に行き、ついでにイタチの部屋へ向かうと、イタチは窓の方を向いて自分の膝を抱えながら眠っていた。

(涙の痕がある……また泣いたのかな……)

『イタチ、イタチ』

 黒く柔らかい髪を撫でると、彼は小さな手で自身の目を擦り何度か瞬きをした。

『ただいま、イタチ』

 するとイタチは起き上がり、私に抱きついた。背中を撫でる。

「おかえりねぇさん!!」
『うん、ただいま』

 間もなくしてお母さんが私たちを呼んだ。居間に降りると、作りたての野菜炒めからほかほかと湯気が立っていた。私は朝の残りの白米をよそい、イタチは箸を配る。

「○○、母さんの分はよそわなくていいからね」
『え? う、うん……』
「かーさん、ごはんたべないの?」
「母さん、もうちょっとしたら病院に行くからご飯は控えようかなって、ね」
「びょーき?」
 
 イタチがそう言うと、お母さんは「違うよ」と言って私たちの昼食を促した。
 病気ではないけど病院に行く、というのがよく分からなかったが私はイタチとの留守番を頼まれた。
 お家にいるなら鍵を掛けて。誰かが来ても開けなくていいからね。外に出てもいいけどいつもの散歩コースより先は行っては駄目、そのときはちゃんと家の鍵を閉めること、とお母さんは私とイタチに言った。


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再執筆:2015/08/30

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