小説 | ナノ


  22:反抗


 珍しく雪が降る夜だった。
 冷え切った床板に腰を下ろしてから、もっと厚着をしてくればよかったと後悔しても遅く、まるで氷室のような地下会合場では体をなるべく小さくして体温が下がるのを防ぐしかなかった。
 
「これより定例の会合を始める」
 恒例のヤシロさんの号令がかかり顔を上げると、前に座る出席者の隙間から最上座にたたずむ弟が見えた。真新しい中忍ベストを着込んだイタチの横にはどことなく誇らしげなお父さんが立っていて、今日の会合は彼の中忍昇格を報告する場であると悟った。
 

「イタチほどの才能のある忍が警務部隊に入ってくれれば、里でのうちはの立場も改善するやもしれませんな」
 イナビさんが愉快そうに言う。
 すると、お父さんは腕を組みながら「イタチは警務部隊には入れないつもりだ」と言い放った。

 意外だったな――そう呑気に思っていたのは私だけだったようで、会場は揺れんばかりにどよめいている。


「オレは息子を暗部に入れたいと思っている」
「……また暗部ですか? 我ら警務部隊と暗部は木ノ葉の治安を巡って幾度となく衝突している間柄ですぞ!」
「そんなことはオレが一番よく知っている」
「だったら……なぜ、よりによって暗部なんかに……」

 苦々しく声を震わせたヤシロさんを筆頭に、続々と異論と批判が声高に主張され、あちらこちらで白い熱気が上がっている。

 ――――里内における治安維持という役割を共に担う警務部隊と暗部が、九尾の一件により明暗を分けたと一族内でも囁かれて久しい。
 今や里の人々の暗部に対する信頼は警務部隊のそれを大きく上回り、暗殺戦術特殊部隊という正式名称に縛られず、暗殺、隠密、警備、治安維持など活躍の場を広げている。
 かつては「エリートと言えばうちは一族だった」と一族の大人たちから耳にタコができるほど言われて来たが、今やそれも「暗部」に成り代わっている。立つ瀬がない警務部隊は残された僅かな矜持で自分たちの存在を脅かす暗部を毛嫌いしていた――なんとしてでも警務部隊とうちは一族の名誉を回復させなければならないのだ。


「息子には里と一族のパイプ役になってもらうつもりだ」

 しばらく静観していたお父さんはようやく口を開くと、殺気立つ皆を宥めるように、しかし力強くそう言った。

「我らの集落を暗部の根の者が密かに見張っていることは皆も知っての通りだ。ならばこちらも里に監視の眼を持つべきだとオレは考えている……」
「里への監視……それがイタチだと?」
「あぁ、そうだ。うちは一族の者が暗部にいることは奴らへの抑止力にもなる。それに暗部は上層部の意思で動いている――ゆえに暗部の動向を掴んでおくことは上層部の奴らの思惑を知る上で重要だと思わないか」
「隊長! お言葉ですが、我々は和睦や現状維持を望んでいるのではありません。よもや牽制のためだけにイタチを暗部に入れるなんてことは……」

 無論だ、とお父さんはぴしゃりと言い放った。


 ――暗部による、うちは一族居住区画への監視疑惑。
 私たちがそれを感知したのは、約二年前の襲撃事件がきっかけだった。
 私が被害を受けたあの事件の犯人は、警務部隊が動き出す前に暗部によって逮捕されたのだが、それが問題だった。あの時、私は里に被害届を出していなかったのだ。警務部隊も初動捜査を開始する前だったので、暗部に捜査協力の要請をしていなかった。

 それにもかかわらず犯人は暗部によって一人も残らず逮捕された――。

 なぜ暗部は私が襲撃されたことを知っていたのか。
 現行犯でない限り急襲の犯人特定は難しいはずなのに、被害届もない、目撃者もいない、捜査協力も依頼していない中でなぜ暗部は事件の翌日に襲撃犯五人全員を逮捕することができたのか。
 犯人の誰かが自首したことも考えられたが、逮捕されてからしばらく全員が黙秘していたと言うのだから恐らくその線は薄い。
 もし仮に暗部が<たまたま事件の瞬間を目撃していた>としても、逆に犯人逮捕が犯行直後ではなく翌日だったことに疑問が残る。

 この不可解な逮捕劇を皮切りに、うちは一族の集落は暗部によって監視されている――と、推測するに至った。
 それは、うちは一族が里の上層部から危険視され、要警戒対象だと睨まれているからに他ならなかった。
 一族の名誉が傷つけられただとか警務部隊の信用が失墜したとか、そういうことよりも、一族が里からこんなにも敵視され疎外されている現実がどうしようもなく悲しくて、やりきれなくて仕方ないのだ。私も、大人たちも。




「大丈夫か」

 ふいに横から聞こえて来た声に我に返った。随分長い間、回想に耽っていたような気がする。

「どうした、まだ痛むのか」

 そう言ったシスイの視線は私の腹部に向けられていた。その声に促されるように目を落とすと、私の手はかつての傷口を抑えていた。無意識だった。もちろん痛みなど無く、傷跡すらとうに完治しているというのに。
 ――もしあの時の私がこの傷を隠し通すことができていたなら、今のこの状況が少しは変わっていただろうか。そう傷跡が語りかけてくるようだった。

『ううん、ちょっと思い出しただけ』

 私はそう言ってすぐさま手を離したが、この手を今までどこに置いていたかをすっかり忘れてしまっていた。苦し紛れで口元に持っていき息を吐いて指先を温める。
 ――暗部の監視に気が付かないまま生活していくことの方が良かったのだと、果たして本当に言えるのか?
 指の隙間から白い息が漏れた。


「――なあ、○○は襲撃事件がきっかけで偶然集落の監視が発覚したと思うか?」
『え、何、藪から棒に……』
「いや、襲撃自体が仕組まれていたんじゃないかって思ってな……」
『仕組まれていた? なんで、待って、どういうこと? 誰が、何のために?』

 思いのほか声が大きくなってしまった私にシスイは慌てて人差し指を立てた。幸いにも大人たちは意見を飛ばし合っており、最下座の私たちの声は聞こえていなさそうだ。


「それはもちろん、オレたちが監視下であると気付かせるためだろう」
 声を潜めてシスイは言った。

「あくまで今の段階のオレの推測だ――襲撃自体が暗部による自作自演なのかどうかは分からない。だが、事件と犯人の早急逮捕はオレたちに何らかの違和感を与え、『監視されている』と自覚させるのが目的だったと考えるのが妥当だろう」
『……でもさ、監視って気付かないうちにされるから意味があるんじゃない。見られているっていう抑止にはなるかもしれないけど……わざわざ気付かせるっていうのは……』
「そうだな。一族の反感を煽るためかもしれないし、お前が言うように変な動きをしないように自制させるのが目的かもしれない」

 これは予想以上に難儀だぞ、とシスイは表情を引き締めながら言った。

「お前を襲撃した奴らはたった一年で釈放されたんだ」
『そうだけど……』
「暗部がこの集落を監視している最中に起きた襲撃事件で、犯人たちはたった一年で釈放された。たまたま起きた事件だったとしても犯人たちの刑期が短すぎると思わないか」

 襲撃犯たちが釈放されるという情報を教えてくれた時もシスイはこの事実を訝しがっていた。当時からこれは単なる襲撃事件ではないと疑ってくれていたのだろう。

「断言は避ける――だが、オレは里側にあの襲撃事件の黒幕がいると考えている。そしてそいつはオレたち<うちは一族>の、里に対する不満と反感を募らせようとしている」

 シスイの口から紡がれる考察に促されるように、断片的だった物事が関係を持ち、形作られていく。
 うちは一族への襲撃事件、暗部による集落の監視の実態、一族が募らす里への憎悪、黒幕の存在――パズルのピースが次々に嵌っていった。


「隊長、もしイタチが我々一族に芳しくない情報を察知したときにはどうするのですか?」
「何らかの方法で報復することもやぶさかではないのでは?」
 
 思考の海から引き戻されると至極冷静を装った口調のイナビさんに続いて、畳み掛けるようにテッカさんが訊いていた。誘導尋問のようだと思った。

「やむを得まい」
 お父さんは一呼吸置くと、そう答えた。

「ご英断です!」
 即座に誰かが呼応すると空気がどよめき歓声が上がった。
 呆然とした。
 今この瞬間に、暗部と里の上層部に報復することも視野に入れて、イタチをスパイとして暗部に入隊させることに話がまとまったのだ。

 その瞬間、背中に鋭い刃が突きつけられたような戦慄が走った。
 ――上層部は、黒幕は、一体どこまでを想定している?  彼らの真の目的はなんだ。
 もしシスイが言っていたことが事実だとしたら、彼の言う黒幕はこうなることすら見通していたのではないか。
 ドクドクと心臓の音が大きくなる。凄まじい勢いで体中の血管が脈打つ。
 全て黒幕の手のひらで躍らされているのではないかと疑ってしまう。分かっている、これは忍として一番陥ってはいけない心理状態だ。こうなると人は自壊する。

 ――暗部に入隊したイタチが、もし上層部の不審な動きを感知したら。一族は本当に報復するのだろうか。<報復>をしたら一体どうなるのだろう。里は、私たちは――――。
 我ながら恥ずかしいまでに疑心に取り憑かれている。
 自壊してしまう、分かってはいる、分かってはいるのだ。落ち着け、私。
 呼吸の仕方さえ忘れてしまい、空気がうまく吸えない。真冬のはずなのに冷や汗が止まらない。手先が冷たくなってくる。喉が渇いて仕方がない。

「落ち着け、呼吸が荒いぞ。瞳孔も開いている」

 なんて情けない。誰かに縋りたいほど恐怖を感じているなんて……否、恐怖なのか焦りかすら自分でもよく分からない。
 ただ大人たちはまんまと黒幕が思い描くシナリオ通りに導かれ、疑いもせずそれに向かって盲進しているように思えた。その先に微かに見える暗闇が手招いているのが見えていないらしい。

「忍としてこれになったら一番まずいぞ」
『分かってる、分かってるよ。でも……シスイ、どうしたらいい?』

 一族は報復なんて言うけれど、これは立派な反逆罪だ。そうなれば私たち一族は本当に犯罪者集団になってしまう。
 それを望んでいる黒幕がいる――!
 八方塞がりになって私は泣きたくなった。絶望がすぐ目の前にあるような気がしたのだ。息が苦しい。

 大人たちは私たちを道連れに盲進して、辿り着く先は――――。

 酸欠気味な脳に、ある情景が思い浮かんだ。とても鮮明に覚えている光景だ。
 凄惨な戦場、閉じた瞼越しにも感じるまばゆい閃光、そして長く美しい黒髪の青年が苦痛に歪んだ男の生首を引っ下げて舞い降りた、あの瞬間を――。


『私たち、犯罪者になって死ぬのかな……』
 得体のしれない恐怖に私は参ってしまっていたようで、口から零れ出た言葉はほぼ無意識だった。自分でも驚くくらい弱々しい声だった。

「最悪な想定をするのも時には必要だ。だが、それに囚われてしまうのは良くない。……まずは深呼吸をするんだ」

 息を吸って吐く、吸って、吐く――シスイの声に合わせて呼吸をする。肺に冷たい空気が入ってくると、頭の中に膿のように溜まっていた熱気が少しずつ排出されているようで幾分楽になった。

『……じゃあ、どうすればいいの?』
「最悪なシナリオを回避する。そのためにオレたちは動かなきゃいけない。今の段階では、なんとしてでも避けなければならない状況が見えているだけでも十分だ」

 まだ時間はある――と、少しだけ余裕ができたことでようやく正気を取り戻した。
 憑き物が落ちたような解放感と疲労感。
 背中を上下に擦られている感覚がし、子どもをあやすようでもあったが不思議と心地よかった。「脅かすつもりは無かったんだ」彼はバツが悪そうに言った。

『私が勝手に取り乱しただけだから』

 幾分落ち着いてきた自分の声は聞き慣れたいつものそれだった。


 気が付くと辺りは静寂だった。さっきまでの雑然とした空間が水を打ったようにしんとしている。

「同じ里の仲間なのに……」

 前方から聞こえてきた声に咄嗟に顔を上げた。
 ぽつりと零れ出たその声はすぐに昇華してしまいそうなほど、あまりにも寂しく悲痛なものだった。


「いま、なんと言った?」
 拍子抜けしたような声が問う。
 弟は軽く息を吐くと、
「うちは一族も千手一族も木ノ葉の人々も、里の同胞であることには変わりない。妙な隔たりを作って、相剋を煽るような行動はやめたほうがいい」
と、無表情のまま視線のみを質問者に向けて淡々と反論した。

 すると白髪の男――ヤシロさんが立ち上がりイタチに詰め寄って、「現にお前の言う同胞とやらがやっている行為は、我らを犯罪者予備軍と言っているのと同義なんだぞ!」と顔を真っ赤にして怒鳴った。

「あちらがこうしたから、こちらもこうする。相手が殺したから、復讐する。そうして争いは生まれる」
「――だからと言ってこんな悪行を見過ごせるわけがないだろう! まさかお前は、木ノ葉の肩を持つのか?」
「どちらの味方かという次元で物事を捉えるから、大局が見えなくなる」

「貴様!」

 ヤシロさんは爆発したような怒声を上げるとイタチの胸倉に手を伸ばした。
 しかしその手はイタチに届く寸前で阻止され、わなわなと震えている。その腕を掴んでいるのはお父さんだった。
 
「落ち着けヤシロ」
「しかし!」と噛みつかんばかりのヤシロさんは不服そうにしていたが、暫くして腕の力を抜くとここまで聞こえるほどの溜息を吐いて、その場に腰を下ろした。
 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。

 ――――「謝れイタチ」。
 聞き慣れた声はそう言った。耳を疑った。

「お前の言いたいことも解る。が、理想と現実は違う。お前が言うのはあくまで理想だ。たしかに争いや戦争は憎しみが連鎖して起こる。しかし、虐げられた者の真の苦境というものを幼いお前は知らん。里創設以来うちは一族がどれだけ苦しい立場に追い込まれてきたのかを思えば、そんな軽はずみな言葉は吐けぬはずだ」
「オレもうちは一族の人間です。一族の苦境は解っているつもりだ」
「だったら謝れ!」
 親子のやりとりを遮ってヤシロさんは床を思いきり叩いた。
 
 ――謝れ、ってなんだ。
 凍てつくような冷気が頭から貫いた。父に、大人たちに、失望したのだ。
 次の瞬間には沸騰した血が体を這い上がり巡ってくる。気を抜くと写輪眼を発動してしまいそうになるほど、目の奥が熱くてたまらない。

「……イタチ、さっきのはうちは一族としてあるまじき発言だぞ。気を付けろ」
 ヤシロとは対称的に諭すような声でイナビは言った。

 イタチは<一族としてあるまじき発言をした>から謝罪させられようとしているのか――?
 我々うちは一族は、里から理不尽な差別を受け、無実の罪を着せられ、嘆いても嘆ききれないほどの不遇から脱したい気持ちも勿論分かる。大人たちは私たちより長く生きている分、より切実なのも理解できる。
 しかしだからと言って里に反逆して良いわけがない! ましてや武力をもって返報することが一族のあるべき姿だなんて思えない。例え、うちは一族の権力回復を知らしめたところで、所詮は里に楯突く反乱組織という認識は覆らないのに! なぜ大人たちはそれが分からない!
 ――残念ながらうちは一族は、今の木ノ葉隠れの里にとっては不要なものでしかないのだ。この里の創立に関わった二つの一族の片割れとしての歴史ある勢力は、実権を握った勢力にとっての脅威でしかない! ならば彼らは徹底的に私たちを排除するのだろう。だからこそ、こんなにもうちは一族は冷遇されるのだ。
 今の里の上層部には、うちは一族を徹底的に排除しようとしている者がいて、そいつの策略によってうちはの冷遇処置が取られている。おそらくそいつがあの事件の黒幕だろう。それが誰なのかはまだ分からない、もしかしたら三代目様かもしれない。いずれにせよ、うちは一族を快く思っておらず、存在自体も蔑ろにしたいと考えている者がいることだけは確かだ。
 そして、そいつはうちは一族が自ら犯罪を犯すのを待っている――そうするように仕向けている。
 
 大人たちの言う<うちは一族としてあるべき>行動は、一族の破滅がまた一歩近付く自殺行為なのだということに――――なぜ気付かない!!


「おい、イタチ!!」

 凄むような大声が煩く響く。心底耳障りなヤシロのものだ。
 その声に同調するように大人たちはイタチに殺気を向けている。
 
――――「すみませんでした」。
 しばらく沈黙した後、イタチは深い溜息をするように言った。

 勝ち誇ったように鼻を鳴らしたヤシロに心底呆れた。
 こんな人たちに私やイタチやシスイの人生を左右されてたまるかと強く思った。


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執筆:2020/4/20
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