小説 | ナノ


  21:春眠のネムイ


「今日は家族全員で応援に行くからね」

 お母さんがおにぎりを拵えながら言った。
 今日からイタチが出場する冬季中忍試験の本選が行われる。イタチは少し照れくさそうに「あ、ありがとう……」と言って、朝ご飯を頬張った。
 一方で、イタチとお母さんの間が定位置のサスケは朝食時だというのに全く落ち着きが無い。

「兄さんだけズルいよ、オレも中忍試験出たい!」

 サスケは昨日の晩からその一点張りだ、もう何度聞いたか覚えていない。

『サスケ、お行儀悪いよ。座って食べなさい』

 台所を向いてイタチのお弁当を作っているお母さんに代わり、私が注意する。お父さんは焼き上がった塩鮭の身をほぐし、小骨を取り除くのに奮闘していた。サスケのための魚の骨取り作業はいつもお母さんがするので、お父さんは慣れない作業でサスケにまで意識が回っていないようだった。
 
「だって姉さんも出たんでしょー。ズルいよ……オレも出たい!」

 右頬にミニトマトを含ませ、まるでリスのように頬を膨らませたサスケは渋々腰を下ろしながら、もごもごと言った。どうやらサスケは中忍試験を大きなお祭りか運動会の類だと思っているらしく、昨日の晩からズルいだの、オレも出たいだの駄々をこねている。

「お前はまた今度だ、サスケ」
 
 そんなサスケを宥めるようにイタチが言った。
 眉根を寄せたサスケは全身から溢れる不機嫌オーラを隠しもしないで、大きな溜息を吐く。

『サスケが中忍試験を受ける時は今日みたいに家族全員で応援に行くからね。今日はそのための様子見だよ。サスケは中忍試験ってどういうのか、知らないでしょう』

 私がそう言うと、サスケは控えめに頷いた。

『じゃあ今日は兄さんの応援しながら、中忍試験ってどういうものなのか見に行こうね』
「……うん、分かった」
 
 サスケはしばらく口をへの字にした後、眉尻を落としながら言った。

「○○は九歳、イタチは十歳。サスケは何歳で中忍試験に出られるかしらね、楽しみね! お父さん」

 お母さんはイタチに持たせるお弁当の準備が終わったらしく、やっと腰を下ろして言った。そうだな、とお父さんはサスケの前に取り分けた鮭を乗せた小皿を置く。

「オレ、絶対兄さんや姉さんより早く中忍試験受ける!」

と、意気込んでサスケは小さな幼児用の箸を持った。不機嫌そうにしていた彼はもういなかった。 


 今にも雪が降ってきそうな寒さを物ともせずに外に飛び出していきそうなサスケを玄関で呼び止めて、コートとマフラーを着せ、防寒対策をする。早く早く、と急かす弟を宥めながら、試合前の最終調整のために一足先に家を出たイタチに遅れること一時間、まるで遠足のように家族四人でぞろぞろと試合会場へと向かった。


『サスケ、迷子にならないように姉さんと手を繋ごう』
「うん!」

 闘技場の円盤を覗き込むように設けられた観戦席。まだ開幕には時間があるので人もまばらだった。「前の席がいい!」と、手を引いたサスケに言われるまま付いていき、私たちは観戦席の中でも試合が行われる闘技場に近い前列席に場所を取った。
 競争率の高い前列席は時間が立つにつれてどんどん埋まっていく。前の席から順に詰めていく決まりでもあるのかと思えるほど、前方の席から埋まっていく様子は面白かった。

「兄さんの相手って誰?」

 サスケにそう言われて、私は会場入口で配られた今日の対戦トーナメント表を広げた。

『うちはイタチ、うちはイタチ……っと……あ、あったあった。あら?』

 イタチの隣に書かれていた名前、つまりイタチが一回戦目に当たる相手の名前の上には二本の打ち消し線が引かれ、すぐ横には「棄権」の二文字が書かれていた。

「これ、なんて読むの?」

 と、サスケが私の手元を覗き込んだ。墨字の二文字を指差して「それが兄さんの相手の名前?」と訊いてきたので、棄権の意味を教えてあげることにした。

『イタチはね、一回戦目は戦わなくても良くなったんだよ。もう勝っちゃったの』
「なんで?」
『この試合は戦いません、イタチさんの勝ちでいいです――って相手の人が言ったから……かな……』
「ふーん、兄さん強いから怖くなっちゃったのかな……」

 サスケは感情が顔に出やすい。今はそう、「なんだぁ、つまんないの」といったところか。そうかもしれないね、と私は言って再びトーナメント表に視線を落とした。

 
 しばらくすると、開幕間近を報せるアナウンスが場内に響き渡った。お手洗いは早めに済ませておくように、非常出口は計四つ、ゴミは持ち帰りを徹底、闘技場内にゴミや忍具など投げ入れるのは絶対禁止、戦闘を妨げるような行為は禁止――。

「あら、すごい人。早めに席を取っておいて良かったわね」

 と、お母さんが鞄を弄りながら言った。「はい、○○。お茶よ」と渡された湯気の立つお茶を受け取り、冷えた体を温めながら辺りを見渡す。まばらだった観戦席はいつの間にか満席になっており、立見席が出ているほどだった。

 私の左隣に座るサスケは開幕を今か今かと心待ちにしていて、やっと闘技場内に試験官や審判、出場者たちが入場し参列し始めると、彼は今まで以上に食い入るようにその様子を目と脳に焼き付けるように見つめていた。
 ほんの数年前は私もあの列の中にいたんだよな、とどこか懐かしく感じる。たしか三年くらい前だったか。意外と経っていることに少し驚いた。
 今年の中忍試験本選は、私たちの頃のようなコンテスト形式ではなく、例年通りの勝ち上がりのトーナメント形式に戻った。何より冬季試験初開催のときに新階級として定められた〈暫定中忍〉という階級が廃止されたのでこの試験で中忍に昇格できるようなったと聞いている。やはり、下忍と暫定中忍では実力の差があり過ぎて不公平だと非難されたのか知らないが、あまりにも短い適用期間にある種稀少性や上層部の迷走を感じざるを得ない。いや、本来は他国と共同の中忍試験を年に二回も行えなかったために考案された新階級〈暫定中忍〉を廃止できるほど、経済が発展し、国力も安定してきたのだと考えるべきなのかもしれない。


 突如、大きな破裂音が耳を劈いた。菊の花のような昼花火が晴天の空へと打ち上げられ、観戦席は歓声と拍手で溢れかえる。
 中忍試験第三の試験――本選がついに始まった。
 三代目様が場内を静めるために二三手を叩くと、水を打ったように静かになった。蝉の声が聞こえない真冬は三代目様の声がよく通る。三代目様が開会の挨拶を早々に終えると、次に今日の試合の審判を務める担当試験官が名前だけの自己紹介をした。



 二回戦、第三試合目――。

「両者、前へ!」

 審判がそう言うと、相対する二人が一歩前に出た。
 待ちに待ったイタチの試合がやっと始まる。今回の中忍試験にたった一人で参加することが許され、周りがスリーマンセルで挑んでいる中たった一人でここまで勝ち上がってきた異例の下忍として、里での注目が家族贔屓でなくても高いイタチの試合がやっと始まるとあってか、周りの観客たちも表情を固くして場内の二人を見ていた。
 そんな様子に私の頃とは大違いだと、ふと思ってしまう。私の本選の試合の時は、それこそ観客たちからの罵倒と罵言が絶え間なく飛び交っていた状況だったので、私は今この状況との違いを否が応でも感じてしまうのだ。イタチに対する里からの期待がそれほどまでに高いのか、それとも里の人々のうちは一族に対する考え方が好転したのかは分からないが、羨ましいなと思った。
 そんな時だった。

「兄さん、頑張れ」

 不意に横から聞こえてきた、祈るような小さな声。
 そうだ、今はイタチの試合なのだ。我ながらくだらないことを考えていたものだ、とマフラーの下で自嘲して真剣に兄の姿を見つめるサスケに倣って、私も闘技場に立つ弟へと視線を移した。

「木ノ葉隠れ下忍うちはイタチ対、雲隠れ下忍ネムイ。始め!」

 試合開始の合図と同時に、イタチの対戦相手であるネムイという下忍が大きな欠伸をした。張り詰めた会場の空気が一気に間延びしたものへと変わる。観客席からも「おいおい、肝座ってるな……」なんていう静かな笑い声が上がる。
 ネムイは大きな欠伸の後、小さくフラフラと揺れ始め遂には立ったまま眠るように動かなくなった。やがて地面に倒れこんでいく。地面にぶつかるという恐怖は無いのか、ネムイは一切慌てる様子を見せず、重力に身を任せているようだった。
 突如、闘技場の中心でイタチが前宙をする。次の瞬間にはそれまでイタチが立っていた場所に雷のような白い電撃が横に走り、大きな雷鳴を轟かせながらネムイの腕が宙を貫いていた。どうやら地面に激突する直前に攻撃を仕掛けたようだ。
 再びネムイの動きが止まる。先程と同じように地面に直立して微動だにしない。前のめりに地面に倒れて行き、あと少しで地面にぶつかるというところでネムイは消えた。彼はイタチの背後を取って攻撃を仕掛ける。離れた場所から見ても、体重移動の動作を勘付かせない体使いには感心してしまった。
 イタチが地面を蹴って高く飛び上がる。すると雷を帯びたネムイの腕が再びイタチ目掛けて突き出された。まるでカカシ先輩が使う〈雷切〉のようなものだと思った。カカシ先輩は対象目掛けて一直線に駆けていくが、このネムイの使用する技はどこから彼が攻撃を仕掛けてくるか分からず予測しづらい術だ。攻撃威力は雷切の方があるだろうが、ネムイの術も当たれば無事では済まされないだろう。
 今度はネムイだけではなく、イタチも立ったまま動かなくなった。闘技場では対峙する二人が一歩も動かず地面に立っているだけ、という奇妙な光景が広がる。
 ネムイの体が右、左、と小さく揺れ始めた。左に揺れる。次は右かと思っているとその場からネムイは消えていて、白光と共にイタチに雷撃を仕掛けていた。イタチもわずかな空気の揺れとチャクラの微動を感じ取って、突き出された腕を紙一重で躱す。

「写輪眼で幻術かければいいのに……」

 横でサスケが焦れるように呟いた。

『写輪眼はね、相手と目を合わせないといけないんだよ、サスケ。今、イタチの相手はずっとお目々閉じているよね? ということは……?』
「……写輪眼が使えないの?」
『そう……本来ならね』

 再びネムイの攻撃をイタチが避けるという単調な戦闘が続く。しかし、段々とネムイの攻撃が鈍くなってきているようにも思えた。
 攻撃しているのはずっとネムイの方なので、チャクラの消費も体力の消耗も彼のほうが多いのは分かるが、バテてくると言うよりは、やけくそになって体を無理やり動かしているというような印象だ。その上、彼は攻撃を仕掛ける前に自分の体を確かめるようにまじまじと見るような仕草をするようになった。

「……○○、分かったか?」

 私から一番離れた席に座るお父さんが言った。
 何を、と問い返すのは愚問だった。一体イタチがネムイに何をしたのか、どうしてネムイがこんなにも消耗しているのか気付いたか、と聞いてきたのだ。
 イタチはネムイに対して直接的な攻撃は仕掛けていない。それにもかかわらずネムイがまるで足掻くように躍起になってイタチを攻撃するのは、イタチが体術や目に見えて分かる忍術といった直接的な攻撃以外の方法で何かを仕掛けたからに違いない。
 ネムイは眠ったまま攻撃をする。本当に眠っているのか、それとも目を閉じているだけなのかはここからは見当が付けづらいが、攻撃後に必ず目を開くことからすると、攻撃が相手に当たっているのかを確認するためなのではないかと想像がつく。仮に目を閉じたままの攻撃をしているだけだとしたら、外れたことや躱されたことは分かっているはずである。目を閉じたまま攻撃できるのであれば、わざわざ目を開けて確認する必要がない。しかし、ネムイは毎回必ず目を開けて周りを確認することからすると、実際に目を開けて見てみなければ、攻撃が当たっているのか外れているのか分からない状況だからではないか、と推測できる。
 いずれにせよ、サスケに言った通り目を閉じたままの相手に写輪眼は通用しない。ただ、一瞬だけ、そんな相手にも瞳術を仕掛けるタイミングはある。
 攻撃を仕掛けた次の、ネムイが目を開けて状況を確認するその瞬間――おそらくイタチはその一瞬を見逃さなかったのだろう。

『イタチは写輪眼を仕掛けたみたい』

 私がそう返すと、お父さんは上出来だと言わんばかりに口角を上げて、そのまま何も言わずに視線を闘技場へと戻した。
 術を掛けられながらもネムイが攻撃するのをやめないのは、イタチが早々に戦意を喪失させるような強い術をかけていないからだろう。ネムイの攻撃を躱し、状況確認のために目を開いた瞬間のネムイに術を掛ける。それを僅かなチャクラを何度も何度も繰り返し写輪眼を通じて送り込んでいるのではないだろうか。

「でも姉さん……あの人はずっと目を閉じてるよ。写輪眼は使えないんじゃないの?」

 サスケが不満そうに言った。

『そうだね、サスケ。でも、目を閉じている間は使えないけど、相手の人が少しの間だけ目を開けている時があるの。次は注意して見てごらん、攻撃をしてイタチが躱した後、ネムイっていう人は様子を確認するために目を開く時があるはずだよ』

 私がそう言うとサスケはなんとも言えないような表情をして、闘技場の方を向いた。その時が来たら今だよって教えてあげようか、と言うと、「いいよ!」とサスケは意地を張ったように言ったので、頑張れ頑張れと宥めながらサスケの頭を撫でた。

 やがて、なかなか進まない試合展開にも新たな動きが出始めた。ネムイが過呼吸のように呼吸を乱し、顔を青白くし始めたのだ。遠目でも分かるほど体は震え、イタチが一歩踏み出せば後退りをする始末だった。
 勝負あったな、と私はイタチの勝利を確信した。
 数分も経たないうちにネムイは地面に膝を付け、大声で泣き崩れた。

「もう……もう死にたくないっ。頼む、助けてくれ……お願いだ」

 もう死にたくない、と、ネムイはまるで命乞いをするように言った。ということは、イタチは写輪眼で見せる幻術世界の中でネムイを複数回に渡って殺したのだろう。
 審判がイタチの勝利を宣言しても、観客たちは何が起こったのか理解できていないようで拍手や歓声を上げるどころか、呆然として静寂を保ったままだった。どうしてかネムイが一方的に弱り、敗北を認め、命乞いをし始めた――きっと彼らの目にはそう映っているに違いない。
 ネムイは狂ったように「死にたくない」と繰り返し泣き叫びながら試験官たちに抱えられ退場していく。その様子はイタチが使った術を推測できている私でさえ不気味さを感じるほどだった。


「兄さんすごいね! 体術とか使ってないのに勝っちゃった!」

 サスケはまだイタチが生み出した場内に淀む死の空気を感じていないのか、兄が勝ったということをただ純粋に喜んでいるようだ。ネムイのあの様子を見てもそう思えるのだから大したものだと思う。

「ねえ、姉さんも中忍試験受けたんでしょ? 姉さんはどんな戦い方したの? やっぱり兄さんみたいに幻術を使ったの?」

 先程の意地っ張りはどこへ行ったのか、目を輝かせてサスケが訊いてくるので、私は「サスケも応援に来てくれたんだけどね、まだ小さかったから覚えてないか……残念だなあ」なんて肩を落とす演技をした。サスケは「そんな前のこと覚えてるわけないじゃん!」と頬を膨らませる。そんな様子がおかしくて、ついサスケの膨らんだ頬に人差し指を埋め意地悪をしてしまう。残念だと言っておきながら、私はサスケが覚えていない方が好都合だった。

「姉さんはね、試合開始早々に相手のお腹をパンチして吹き飛ばしたのよ」

 サスケの左隣に座るお母さんがまるで耳打ちでもするように言った。サスケが「ええっ!」と声を上げて、信じられないと言うように目を大きくして私を見てきた。

「その後は火遁の術を使って勝ったのよ。あっという間だったわ」

 兄さんの試合よりは分かりやすい試合だったわね、とお母さんは続けた。


「うちは○○、悪いな。ちょっと来てくれないか」

 第四試合が始まって間もない頃、背後からそんな声がして振り返ると白衣に大きな赤十字という目を引くデザインの制服を着込んだ医療班員の人が立っていた。私の医療忍術の修行に協力してくれた人の一人だ。
 私は二つ返事をして、おそらく邪魔になるだろう首に巻いていたマフラーをサスケに預け、観戦席を後にした。

 連れてこられた先は、会場内に設置された臨時治療室。大の大人が二人がかりで、イタチの対戦相手だった雲隠れのネムイをベッドに押さえ込んでいた。そんな異様な光景に私は一瞬、入室するのを躊躇ってしまった。

「幻術を掛けられたようなんだが、幻術返しを行っても一向に治まらないんだ」
『……分かりました、診てみます』

 イタチが掛けたのは十中八九、写輪眼による瞳術の幻術技だろう。普通の幻術とは違い、解除が難しく医療班の人たちが音を上げるのは無理もなかった。この術を解除するには術者と同じく写輪眼を持つ者か、よほど幻術に長けた忍でなければ苦労するだろう。
 ベッドに抑えられているネムイに近付くと、彼は目をこれでもかと大きく見開き、抑えつけられている手足を振りほどかんばかりに暴れだした。あと一歩でも近づけば彼がショック死してしまうのではないかと思えたほどだ。

「やめてくれ! もう、殺さないで……来ないでくれ、頼む、頼むから……もう忍を目指すのはやめる、だから殺さないで! もう死にたくないんだ!」

 私を通してイタチを見ているのか、それとも私をイタチだと見間違えているのか、ネムイは全身全霊で私を拒絶した。生きていてこんなにも人から拒絶され、恐れられることなんてあるのかと、悲しみに似たどうしようもない切なさが胸を締め付ける。同時にそんな常軌を逸した行動を取ってしまうネムイがひどく憐れに思えた。

『私はあなたの対戦相手ではありません。今、幻術を解きますから落ち着いてください』

 ネムイは聞く耳を持たず、手足を精一杯バタつかせ抵抗をやめない。
 このままでは埒が明かないと思い、写輪眼を発動させて暴れるネムイを安静にさせるための催眠術を掛けると、彼は糸が切れたようにベッドに沈み込んだ。
 それから私はネムイに掛けられている幻術を読み込んでいく。幾重にも掛けられた幻術自体はそれほど強力なものでも複雑なものでもなかったが、いかんせん数が多かった。それにしてもイタチがネムイに掛けたこれだけの幻術が全て、ネムイに自身の死を思い込ませるものだったとしたら、ネムイがこれほどまでにイタチに怯え、半狂乱になるのも頷けた。

「なにもここまでやらなくてもいいのにな……」

 静かになった治療室で医療班の人がぽつりと言った。「ちょっとやりすぎだよな」と誰かが呼応するように言う。
 どこからか聞こえてきたそんな言葉は私の胸をちくりと刺し、居た堪れない気持ちにさせた。すかさず「実の姉の前だぞ、控えろ」という二人を窘める小さな声が聞こえたが、そんなものは何の意味も持たない。私には聞こえないように小声でやりとりをしていたつもりだったようだけれど、情報伝達に矢羽音を使用することもある私にとって、言葉を発するときに生み出される僅かな空気の揺れから該当する言葉を推察するのなんて簡単にできる。それに小声であっても声音が足されているのなら、よりその難易度は低くなる。ただ、今はその力が辛かった。だから私は幻術解除に集中していたあまり、彼らの話など何も聞こえていなかった風を装った。
 これだからうちは一族は――とでも言われるかと思うと、私は怖くてたまらなくなる。幸い、彼らはそれ以上何も言わなかったが、内心ではどう思っているかなんて分からない。私は早くこの場から立ち去りたくなった。

『幻術は全て解除しました。今は催眠術で眠っているだけなので、直に目を覚ますかと思います……が、彼は幻術で精神的ショックを受けているようなので、それがトラウマとなっているかもしれません。私は彼のトラウマまでは治療できないので……』
「いや、助かったよ。ありがとう。オレたちだけじゃどうすることもできなかったんだ」

 役目を終えた私は闘技場内の裏通路を通り、足早に観戦席へと向かう。写輪眼発動によるチャクラの大量消費により、眠たいようなぼんやりとしてきた意識の中で、怯えたネムイの顔と震えた泣き叫び哀願する声が残響した。やめてくれ、来ないでくれ、もう殺さないで――と、涙と鼻水で顔をグシャグシャにした〈イタチの被害者〉の姿が脳裏を離れない。

「どうしたの、浮かない顔して……まさか相手の子……」

 観戦席に戻るとお母さんが心配そうに言った。そんなに暗い顔をしていたのか、と自分でも驚いた。
 私はすぐに、

『ううん、問題ないよ。傷一つ無かったし……』

 体には……、と言いかけたけどやめた。お母さんが「それなら良かったわ」と言って安堵していたので、これ以上この話題を続ける必要は無いと思った。


 ネムイとの試合以降、イタチが再度闘技場に立つことはなかった。上層部が第三回戦には参加しなくても良いという判断をしたのだ。トーナメント戦だというのに対戦する当の本人たちを差し置いて、上層部が勝手に試合の有無を決めて良いものなのかと思ったが、うちはイタチの第三試合不参加の放送を聞いて肩を落とした他の観客たち同様、私たちも受け入れる他なかった。きっとイタチに訊いたところで、「戦う必要が無くなったのだから別にいい」と言うに違いない。
 そんなこともあって、「つまらない」を連発するサスケを連れてお母さんは一足先に家に帰った。もう見所がないと判断した観客たちも早々に席を立ち、立ち見席まで出ていた観客席は気付けば空席が目立つようになっていた。
 私はとりあえず全ての試合を観戦し、閉会式まで見届けた後にお父さんと帰宅した。



 イタチが家に帰ってきたのはそれから一時間ほど後。
 引き戸の開く音を聞きつけて一目散に兄を出迎えに行ったサスケの「兄さん、おかえり!」という声が家中に響く。

「兄さんってば一回しか戦わないんだもん。つまんなかったよー」
「ははは、そうか。それはすまなかったなあ」

 二人の声が廊下を通り、近付いてくる。
 お母さんはイタチの祝勝会のために私とお父さんが帰宅した時から忙しそうにご飯の支度をしていて、食卓には大皿料理が次々に並べられていく。
 フライドポテトに手羽元のマーマレード煮、キャベツやら人参やら野菜がたっぷり入ったコンソメスープ、カボチャのグラタン……と、今日はごちそうだ。

「○○、フランスパンを切って貰えるかしら」
『うん、いいよ』

 まだ辛うじてある調理台の空きスペースにまな板を置いて、お母さんとサスケが帰りに買ってきたらしいフランスパンを切り分ける。

「あら、これ何?」

 お母さんが台所の隅に置いてあった竹皮の包みを見て言った。
 それはさっき、家に帰ってきて早々、「いかん、忘れていた」と言い残して再び家を飛び出て行ったお父さんが、イタチが帰ってくる少し前に大事そうに抱えて持って帰ってきたものだ。

『さっきお父さんが買ってきたやつ。たぶん、中身はお団子だと思う。食後に出してくれって言ってたよ』

 私がそう言うとお母さんはすべてを察したように、「そうね、後でいただきましょう」と、包みを邪魔にならない場所に置き直した。

「今日のイタチの試合すごかったわね」

 お母さんは鍋をかき混ぜながら嬉しそうに言った。
 感情が顔に出やすいサスケはきっとお母さんに似たんだな、とお母さんを見ていると思う。イタチが勝った、その事実は私たち家族にとっては無条件に嬉しいことなのだ。
 だからこそ、私が治療室で見たネムイのあの絶望した目も、口の端に吹き出たあぶくも、悲痛な声も全て皆は知らなくていい。チクリと胸を刺すような痛みも知る必要はない。私が我慢すれば良いだけなんだから。




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執筆:2016/10/10

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