小説 | ナノ


  夢主編(後)


あれから十年の月日が経った。
私は十五になり、当時一緒に遊んでいた子どもたちも今や大人たちと共に働いている。
しかし、当時私が子守りをしていた一歳の男児は彼が五歳のときに亡くなった。
神様の元へ帰って行ったのだ。


私はその日、畑を見ながら秋に収穫した藁を使って草鞋を編んでいた。
この村では家事や畑作、草鞋編みや縄編みを嫁に出す前に女児に教え込む。

「○○、じじ様がお呼びだ」

この時、やけに神妙な顔をしていた父の顔をよく覚えている。
乙名のじじ様の家へ向かう道中、母は、ずっと私の肩を強く抱きながら歩いていた。
この時から明らかに普段とは違う雰囲気を薄々感じていた。

敷地内に足を踏み入れ、手前にある馬小屋を横目で見ながら家屋の中へと進んでいった。
昔はよく遊びに来ていた懐かしい場所なのに、この時ばかりは本能でここへ来ることを拒んだ。嫌な予感がしていたのだ。
進みたくないと動きを止める足に構わず、私は母に押されながら部屋へ通される。

「――来たか」

この家の中で一番庭の景色がよく見える部屋だ。
しかし今は、まるで外界を遮断するかのように障子が閉められていた。

両親の間に腰を下ろし部屋の中を見渡す。
寄合の最中だったのか村中の家長の顔が揃っていた。
張り詰められた空気に息苦しささえ感じる。

『じじ様、お呼びですか』

いつもは冗談ばかり言う隣のおじさんも今ばかりは見たこともないぐらいな真剣な顔をしていた。
しばらくの沈黙の後、じじ様はゆっくりと口を開き言葉を紡ぐ。

「実はな、寄合で決まったことをお前に話さなきゃならんのだ」

心拍数が上がり、鼓動が速くなる。
手に汗握り、恐る恐る続く言葉を待った。


「……今晩、お前を人身御供として神に捧げる」

しんと静まり返った室内にじじ様の少し掠れた声が発せられた。
そしてしばらく沈黙が続く。
畳が擦れる音、庭の木に鳥が停まったのか葉が身を震わせた音、急激に速度を速める私の心臓の鼓動音――静かな室内ではよく聞こえた。

『ど、どういうことですか……。人身御供って、その……』
「残念だがお前が想像しているものだ」
『巫女とかじゃなくて……?』

「お前には、今夜死んでもらう」

鈍器で殴られたように頭の中が真っ白になった。
張り裂けそうな胸の痛みとみるみる冷たくなる手足。
悪夢を見ているようで茫然としていた。
夢なら覚めてほしい、ただそればかりを朦朧とする意識の中で願っていた。


泣き崩れる母の声で我に返る。
どこからともなく鼻をすする音もする。


「村のためなんじゃ、許せ」

生きることを諦めろ。
そんな冷たい言葉が胸に刺さり、涙が頬を伝うのを感じた。
何に対して泣いているのか分からなかったが、次から次へと涙が溢れ着物に染みを作っていく。
生きたい、生きていたい、死にたくない、まだ死にたくない。
まるで悲痛の叫びのように言葉のない本能は涙となって私に主張した。


「○○、すまない……本当にすまない……」


父は自身の手を開き、私に白い紙を見せた。
絶望を告げる白い紙――彼はそれを引き当てたのだ。
それを見た途端、より一層目頭が熱くなった。
止まることを知らない涙は嗚咽と敵わない抗拒を孕んで、私の頬を濡らした。

どうしてそれを引いたの? どうして私なの? どうしてほかの子じゃだめなの? どうして私が死ななければならないの?

父を責め立てる言葉がいくつも浮かんだ。
しかしそれが喉の外へ発せられることはなかった――否、できなかった。
くしゃくしゃになった白い紙と両脇から聞こえてくる啼泣に、私はこれ以上父を責めることなどできなかった。


「――分かってくれるな?」

しわがれた声が私を地獄へと突き落とす。
大好きだったじじ様が今はひどく恨めしく、憎らしく思えた。
顔見知りの家長たちは私に同情の眼差しを向けながらも、彼らからは仄かに滲み出る「うちの子じゃなくてよかった」という安堵感が伺い知れた。
怒りと悔しさと悲しさが重く圧し掛かり私を押し潰す。
苦しくて苦しくて眩暈がした。


私、今晩死ぬんだ。
私、もう生きられないんだ。


『…………はい』

死にたくないと思ったのに私は返事をしてしまった。
否、せざるを得なかった。
首を横に振ることは、ここに連れて来られた時から許されていなかったのだ。
彼らは元より私の意見など聞く気は無く、じじ様が最初に私に言った通り、寄合で決まったことを私に報告したに過ぎなかった。


私の死は決められていたことだった。

私の体内を侵していく絶望感と同時に私の頭は冷静さを取り戻していた。
そして私の脳は過去の記憶とこの絶望的な現実を結びつけ、ある仮説を導き出した。

松兄が忘れられた理由と、この村に妖怪が出る理由だ――。

『あの、一つだけお聞かせください』
「……なんじゃ」

『松兄……松助も私と同じだったのですか』
「――ああ、そうだ。もう十年も前になるか」
『そうですか……』


『じゃあ、私も妖怪になるんですね』

再び室内は静寂に包まれた。



日没までの数刻、私は暇が与えられた。
生まれ育った家に戻った私は、編み途中だった草鞋を完成させた。
今すぐこの草鞋を履いて村から逃げ出すこともできた。
しかし四方を山で囲まれたこの村から逃げたとしても、一度も村から出たことが無い私は山で迷って餓死する最期が目に見えている。

生きることを諦めた瞬間、身体が軽くなった気がした。
死に対する恐怖心も薄れていった。
ただ、この家で見る夕日や鳥の鳴き声、走り回る村の子どもたちの声がもう最後だと思うと名残惜しさを感じた。



じじ様の家で白装束に着替えた私は、じじ様と両親に見守られる中、じじ様の敷地内にある木戸をくぐった。

もう戻れない。

風が吹く度、木々の葉が暗闇へ誘うように音を立てる。
見納めにと私は両親の顔をじっと見た。
神聖な場を前に父も母ももう泣いてはいなかった。

『ねえ、とと様、かか様、お願いがあるんです』

『どうか――』



――私を忘れないで。


木戸はゆっくりと閉められ、重い錠が掛けられた音がした。


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