小説 | ナノ


  19


学園に着いたのは夕暮れ時だった。
坂道を滑り降りたり、落とし穴に落ちたりした僕は他の二人に比べて泥だらけだったため、夕食の前に湯浴みをした。

風呂場へ行く途中、○○と生物委員が狼と戯れているのが見えた。
狼はまるで犬のように尾を振り、喜んでいた。


「伊作、いつ○○に伝えるんだ」
「……今晩、かな」
「そりゃぁ、随分急だな」

僕の決意が揺るがないうちに、と思った。
仙蔵と留三郎には六年生を連れて、学園長先生の庵で先生方に説明してもらうつもりだ。
○○のことを説明して、その後の対応を仰ぐ。

じゃぁよろしくね、と濡れた髪を拭きつつ僕は医務室の前で留三郎と別れた。
医務室の中に○○はいなかった。
おそらくくのたまたちと風呂にくのたま長屋の風呂場に行っているのだろう。

僕は棚から日記帳を取り出して、今日得た情報を書き込んだ。
墨が乾くのを待ってから日記を見返すと、○○について書いてある考察が日に日に真実に近づいていくのがなんだかとても面白かった。
あの頃の僕は何の情報もないまま、思いつく限りの可能性を想定して書き記した。
勿論、桁外れなことも書いてある。
――やっと、ここまで来た。

○○に真実を伝えるのは、とても酷だ。
彼女にとって、とても辛いことになるだろう。しかし、これが記憶を思い出すきっかけになるかもしれないと思うと彼女に言わなければならないと思った。
それに、もしも言ったところで何も起こらなかったとしても、翌朝になれば記憶は白紙に戻るのならば○○は傷つかなくて済む。



「おかえり、○○。あのね、毎晩、君がその日体験したことを聞いているんだけど、今日も教えてくれるかな」
『体験したこと……』
「うん、今日の出来事みたいなかんじで。例えば狼を触ったとか……あっただろう」

うん、あった! 、と○○は今日の出来事を話してくれた。
朝食は乱太郎たちと食べたとか、徹夜で予算会議のための書類を作成している会計委員会に朝食を持って行ったとか、生物委員と狼の散歩に行ったとか、偶々忍術学園に来ていた利吉さんと話したとか。

『伊作君は、今日どこかへ行っていたの?』
「……あぁ。君のこと、調べてきたよ」
『私のこと……』

話すなら今しかないと思った。

「――今から話すことは、僕らが調べた君に関することだ。ただ、これは君にとっては辛いものになるかもしれない」

それでも聞いて欲しい。

『……教えて伊作君。知りたいの、自分のこと……』

○○は僕の目をじっと見つめた。
彼女は必死なんだ、自分のことを知るために。

覚悟を決めた。
僕は強く握りしめた手をゆっくりと開く。


「今日、○○が元いた村に行って来たんだ――」


僕は僕らが考察した内容とそれを裏付ける翁の発言を統合し、彼女に伝えた。
秘密裏に人身御供が行われていたこと、それに選ばれたのが○○だったこと、村にはもう帰ることができないこと、僕が知っていることは全て話した。


終始○○は落ち着いているようだった。
まるで自分ではない他の人の話を聞いているかのように、静かに聞いていた。
ただ、僕が話し終わるのと同時かそれより少し前に彼女の目から涙が溢れた。
嗚咽も聞こえた。


「辛かったね、ごめんね……でも、伝えておきたくて」
『ううん、いいの…、ありがとう』

ありがとう、そう言った彼女の目からは今も涙が流れている。
箪笥から清潔な手拭いを取り出して○○に渡した。

慰めることなどできなかった。

何て言って慰めればいいのか分からなかった。
「君の村の人々はなんて酷いんだろうね」なんて誰が言えるだろうか。
僕はただ黙ったまま○○が泣き止むのを待つことしかできなかった。

その後、○○が一人になりたいと言ったので僕は医務室を出た。
僕はあんな彼女の姿を前にして、自分がしたことを後悔した。
言わなければよかった。




◇◇◇



あれから僕は自責の念に駆られながら部屋へ戻り、早々と眠りに就いた。
留三郎は何も言わなかった。僕に何も聞かなかった。
きっと僕の様子から感じ取ってくれたんだと思う。

「伊作、行ってこい」

「――あぁ」

朝、制服に着替えた僕は留三郎に半ば追い出されるように部屋を出た。
僕の足取りはそこはかとなく重かった。

医務室の鍵を開ける。中に入り、奥へ進む。○○がいる部屋の前で止まる。

「起きたかい」

衣擦れの音がした。
部屋の中からは生身の人の気配、どうやら起きているようだ。

僕は断って中に入る。

「おはよう、○○」
『……!?待って、ここどこ。貴方どなた。なんで私生きているんですか』
「落ち着いて、僕は善法寺伊作。そして君は保護されたんだ、とある学園に。……覚えているかい」

また白紙からの始まりかと思いきやそうでもなかった。
彼女は掛ふとんを握りしめて僕を警戒している。無理もなかった。
そして今の自分の状況を必死に理解している様が手に取るように分かった。

『私、山賊に襲われて…崖に…』

「丁度僕たちが居合わせたんだ。だから保護させてもらったんだよ。君の事情はよく分からなかったし」
『……それは、どうも、ありがとうございます。でも、あの、お願いがあるんです……』

○○は僕の顔をじっと見た。
これまでに見たことがないくらい強い光がそこにはあるようだった。
引き込まれそうだった。
そしてその目には、かつてないほどの悲しみが篭っているようにも見えた。

『私をあの山に、私を保護したと言った山に、……連れて行って下さい』

「山に行ってどうするんだい、君の家になら送ってあげるよ」



『――死ぬの』



私、死ななきゃいけないから。
彼女はそう小さく呟いた。まるで自分に言い聞かせているようだった。


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