小説 | ナノ


  08


事務室に向かう途中、落とし穴に落ちた。
これも慣れたものだ。今日のは意外と深い。そして掘った犯人も予想がつく。

「だーいせいこう」
「綾部喜八郎……」

丸く切り取られたように空がよく見える。
ひょっこりと覗き込んだのはこの穴――蛸壺――を掘った張本人、四年い組の綾部喜八郎だ。
穴掘りが趣味で学園中に落とし穴を掘りまくる傍迷惑な奴だ。しかしその腕前はプロ忍顔負けである。
専らその穴に落ちるのは僕を始めとする不運委員、否、保健委員だが。

「今、梯子下ろしますねー」
「うん、頼むよ」
「あ、そうだ」

喜八郎は梯子を手に持ったままその場にしゃがみ、彼の猫のような目が僕を捉えた。

「そういえば、滝から聞きましたー」
「滝夜叉丸から?」
「えぇ。面白い拾いものしたんですねー」
「拾いものって……」

喜八郎が蛸壺の中に縄梯子を下ろす。
やっと地上に戻ってきた僕の視界は開けていた。
ふと足元を見ると罠が仕掛けてあることを告げる小枝が3本置いてあった。
どうして気づかなかったんだ、僕!

「毎日記憶を失くすってどんな感じなんでしょーね」

虚空を見上げて喜八郎はぽつりと呟く。
そんな彼に「どうなんだろうねぇ」と返したが彼は僕の言葉を聞き流すのだろう。
遠くの生物委員の飼育小屋の方から○○の声が聞こえた気がした。
喜八郎にも聞こえたようで彼もそちらに首を傾ける。

「かわいそーですよね、その人」
「喜八郎が他人に興味を持つなんて珍しいね」
「そーですかー?」

四年生は全体的に個性が強い。ほとんどが自意識過剰でよく言えば自信に満ち溢れていて自分の表現方法を熟知している学年だと言ってもいい。
しかしその中で異彩を放つのが、今目の前にいる綾部喜八郎だ。
他人に興味を示すことが無く、飄々と自我を貫く唯一不動の存在なのである。

「だーって、明日になれば今日のことを忘れちゃうんでしょう?それって、今日を生きていたって言えるんでしょうかねぇ」
「え?」
「じゃぁ、失礼します」
「え、ちょっと…」

喜八郎は言い終わると満足したのか愛用の踏鋤(喜八郎は『踏子ちゃん』と呼んでいる)を担ぎ、また新たに蛸壺を掘り始めた。
読めない奴だ。何を考えているのか分からない。
否、何も考えていないのかもしれない。
僕は服についた土を払い、今度は足元に注意しながら事務室に足を進めた。


喜八郎が言ったことが脳内でぐるぐると回る。
確かに彼の言う通りだった。
○○は眠るとその日の記憶を失くす。また、眠っている状態も不思議で寝息も聞こえない。
あまり見たことは無いが、ある晩ふと見た彼女の寝顔は血が通っていないように白かった。まるで死人のようだった。
生気の無さに肝を冷やし、彼女を一度起こそうとしたが彼女は決して起きることはなかった。
僕は怖くなった。朝になればきっと起きてくるだろうと自分に言い聞かせてその日は眠った。
翌朝、医務室に行けば顔色も健康そのもの、呼吸もしっかりとしている○○がいた。
安心した。そして彼女は何事もなかったかのようにいつもの言葉を繰り返すのだ、毎日。


事務室に行く理由は筆記帳を一冊貰うためだ。
先程、庄左エ門が学級日誌を持っていたから思いついた。そして喜八郎の言葉でそれを実行しようと決めた。
彼女について分かること、また彼女がその日経験したことをこれに書き込む。
そうすれば○○が思い出せなくても彼女が経験したこと、生きていたことを示すことができるだろう。


「雷蔵先輩もうちょっと丁寧に摘んでくださいよ!」
「うへぁ、あぁ、ごめんごめん」
「雷蔵先輩って変なところで大雑把ですよねー」
「そうかなぁ」

珍しいな。図書委員が主な活動場所である図書室を離れて何か作業をしている。
一人ずつ笊を持っていて草花が摘まれていた。
花なんて摘んでどうするんだろう……。

「やぁ、何してるんだい?」
「あ、伊作先輩こんにちはー」
「栞作りの準備ですよ」
「栞作り?」
「図書室の受付の机の上に置いてるんですよ、忍たまたちは自由に持って行っていいんです」

そんなものあったっけ、と記憶を遡る。
そういえば机の片隅にあったような気もしなくはない。

「無料で配布してるやつなのできり丸は嫌がるんですけどね」
「ほんとッスよ!町に行けば売れるんスよ!?」
「中在家先輩が多めにできたらきり丸に譲渡するって仰っていたじゃないか」
「え、ほんとっスか!?」

…栞か。
日記を書くなら一つほしいな。
長次に言えば個別に作ってくれるかな、ちょっと話をしてこようか。
押し花にしてほしい花があるからそれで作ってくれないかなあ。

雷蔵たちに別れを告げ、ついでに長次の居場所も聞いた。
彼は薬草園の裏にいるらしい。丁度いい、今日はまだ薬草たちに水を遣っていなかった。
筆記帳を懐に入れて薬草園に急ぐ。
片隅で小さく主張するあの花も満開になってきた。

「長次!」

静かに振り返った無愛想な長次の笊には薄桃色の昼顔や形の良い何かの花の花びらが入れられていた。
彼も他の委員と同様、栞の材料を探していたみたいだ。

「お願いがあるんだ。あの花で栞を作ってほしい」
「……」

僕と長次の視線の先には薬草園に咲いたあの花―勿忘草―。
長次は渋っていた。分かっているよ、やっと咲いた花なんだからまだ摘みたくないんだろう。
我が儘だが僕はあの花がほしい。あの花を側に置いておきたかった。

「僕、○○の日記をつけようと思うんだ」
「日記…?」
「うん、記憶の代わりになるかなって思って」

長次はいつものようにぼそぼそと静かに空気を震わせた。
数歩歩いて小さな花をぷつりと手折り、笊の中に入れる。
笊の上の他の花に比べたら、それはあまりに小ぶりで影に隠れてしまうだろう。
しかし僕とおそらく長次の目にはその花が最も映えているように見えた。

ありがとう、完成待ってるね。

彼は何も言わずただ首を縦に振った。


//

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -