まだ何も分からない僕と君が歩む道の色 | ナノ
 

ヒロトは上等な天体望遠鏡を持っていて、時折それを自室から引っ張り出しては、庭でにこにこと夜空を仰いでいた。大人っぽくて落ち着いていて、悪く言えば冷めているような人なのに、白黒のボールを蹴っているときと星を眺めているときだけは年相当どころか幼い子供のような笑みを見せる。私はヒロトのそういう笑顔がけっこう好きだった。同い年なのに彼だけいつも先の先を行っているような気がしていたから、まだヒロトも子供なんだな、って、そう思えたのが嬉しかったのだろう。しかしやはりヒロトはヒロトで博学なのには変わりなく、赤い髪を夜風に揺らしていたところに二杯の麦茶を持って行くと、足し算を習ったばかりの小学生が嬉しそうにそれを披露するかのごとく、何やら難しい話を始めた。

「天体物理学って、聞いたことあるかな」
「…はい?」
「天体物理学。天体の物理的性質とか天体間の相互作用とかが研究対象でね」

て、てんたいぶつりがく。名前からしてもう頭が痛い。物理的性質?相互作用?ますます痛くなってきた。こめかみの奥が重い。いつものことだが、ヒロトの小難しい話は最初も最後も途中もまったく理解できない。星に纏わる話みたいだけど、脳が追いつくのはそこまでだ。私も夜空を見上げるのは人並み以上くらいには好きだ。けれどよく分からない話を持って来られても、ハテナマークがぽんぽん飛ぶばかりでついて行けない。しかしヒロトは理解力がある。だからきっと、そういうのを調べて脳の肥やしにするのが好きなのだろう。誰でも出入りしていいと言われているのに大抵の子は興味を持たない書庫だって、へたすれば凍地兄妹以上に足を運んでいるかもしれない。私も片手で足りる程度なら行ったことがあるが、見たこともない漢字らしき文字がおどろおどろしい書体で七つ並んだ背表紙を見たっきり変に恐くなって、あれ以来近付いていない。

「でも16世紀になってからニコラウス・コペルニクスが…って、あれ、聞いてない」
「あ、いや…ごめん。ちんぷんかんぷんで」

そう言うとヒロトは曲げた人差し指を口元に添えてくすくす笑い、

「そっか。俺こそごめんね、ちょっと難し過ぎたかな。じゃあ神話の話をしようか」

神話。それは興味がある。七夕の織姫と彦星の話みたいな、そういうのなら大歓迎だ。そんな私のわくわくを知ってか知らずか、ヒロトは細めた目で夜空を眺めながら喉につっかかるような笑い声を漏らす。

「オリオン座は知ってるよね。あの砂時計みたいな星座」
「砂時計…あ、知ってる」

自分でも驚くくらいに明るい声色だ。ヒロトはまた上品に笑い、

「海の王ポセイドンの子だった巨人オリオンはとっても乱暴なやつで周りを困らせていてね、大地母神ガイアが蠍を使って毒針で刺し殺したんだ」
「えっ…案外グロいね」
「そういうものだよ?神話って。だからほら、オリオン座って、冬場は空の高いところで、まるで威張ってるみたいだろ?でもさそり座が東の空から上ってくると、西の空に沈んで逃げちゃうんだ」

大地母神ガイア、のところでほんの一瞬だけ目を伏せたたけれど(そりゃ何の変化も無かったら驚きだよ)、それでも語り部ヒロトは中々に楽しそうだ。聞いている私ももちろん楽しい。

「だけど蠍も蠍で力があったからさそり座も監視つきでね、暴れだしたら隣りの…あ」

流れ星、とヒロトが呟くが早いか、咄嗟に夜空に視線の先を移した。しかしほんの一瞬それらしきものが瞬くのが見えただけで、もう何も動いていない。

「その顔は見れなかったみたいだね」
「うーん…でも特に願うこと無いし、また今度でいいかな」
「へえ。俺はあるけどなぁ」

意味深に笑うヒロトは、先述したものとは別の意味で子供っぽい笑顔。イタズラグッズを手にさてどこに仕掛けようかとあちこちをうろうろする悪ガキのようだ。

「聞いてほしいの?」
「さあね」
「じゃあ聞かない」

肩を竦めつつもさして気にするような様子は無く、どうにも癪に障る。余裕綽々ってか。きっと私の言動なんて日頃から見抜いているに違いない。へたすると読心術だってマスターしている可能性が考えられる。

「さ、冷えるからもう戻ろうか」
「寒くない」
「駄目」

立ち上がりながら私のつむじの右あたりを中指で小突くヒロトの手の甲を抓ると、やっぱりねと頬にオレンジのマーカーペンで小さく書かれているような曖昧な笑みを向けられて、この人には一生勝てないんだろうなぁ、と悔しながら思ってしまった。


まだ何も分からない僕と君が歩む道の色


thanks:Wikipedia

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