パラレル







かりかりと心地いい音がする。
開いていた小説の活字から音の方へと視線を動かすと、きれいなワンピースを着た女の子がしゃがみこんでいた。

「きれいねえ、あなた。そういう色すごく好きよ。」

ぶつぶつ独り言を漏らしながら、ひたすら手を動かす女の子。どうやら絵を描いているようだ。彼女の足下には、小さな花が数輪咲いている。

「このあいだここを通ったときは、まだなあんにもなかったのに。きみの生命力には脱帽するわ。」

どうやら独り言ではなく、花に話しかけているようだ。どちらにしろ似たようなものという気もするが、気にしないでおこう。花に優しい声をかけると美しく咲く、なんて話はよくあるが、彼女の場合少しちがうみたいだ。

「難しいわね、あなたの色はなかなか表現できないみたい。でも、そんなところもすてきだと思うわ、わたし。」

着物も多く見受けられる中ひとり目立つはいからなワンピース。しかし足下は下駄のまま。ワンピースに下駄というのがふつうなのかそうでないのかはよく知らないが。何だか不思議な子だなあと思っていると、彼女は色えんぴつを置いた。

「下から見てもきれいかもしれないわね。ちょーっと失礼するわ。」

まさかと思ったが、女の子は本当に地面に寝転ぼうとした。そのきれいな服を汚したら家のひとに怒られるんじゃなかろうかと思ったおれは見ていられなくなり、小説をかばんに突っ込んで女の子に声をかける。

「それ、汚しちゃって大丈夫なんですか?」

ぎりぎりのところで起きあがった女の子が振り返った。ずいぶんと整った顔立ちだ。幼さを残しながらも女性としての魅力もあり、非常に魅力的な容姿である。

「…そういえば、大丈夫じゃないわね。でもわたし、このお花、下からも見てみたいの。」
「じゃあ、おれの上着でもお貸ししますよ。こんなのでよかったら、ですが。」
「まあ!だめよそんなの、申し訳ないわ!」
「いえいえ、あなたさえよければ使ってください。ね?」
「…そう、かしら。なら、おことばに甘えて。」

かばんに入れていた上着を渡すと、彼女は感謝の意を軽く表し、視線を花へともどした。上着の上に寝転び、仰向けの状態で鉛筆を滑らせる。

「うん、やっぱりきれい。」

きらきらした目で呟き、また絵を描いてゆく彼女を眺める。すごい体勢なのに随分さらさらと描いていくな、なんてぼんやりと思っているあいだに描きおわったらしく、起きあがった女の子は上着をひろいあげて軽くはたいた。

「ありがとう、洗って返すわ。」
「いえ、そのままでいいですよ。あしたも使うつもりなので、むしろ今返してもらったほうがありがたいです。」
「…あなたがそう言うなら、今返すわね。本当にありがとう。」

そう言った彼女は、かわいらしい顔を更にかわいらしく緩めた。ぐい、と肺の奥がつかまれるような感覚。

「そういえば、なんでこんな服を持っていたの?とても学生服の上からはおるものには見えないけれど。」
「ああ、ちょっとした玉遊びをしていまして。今日は八丁目の呉服屋の息子と、あと四丁目の質屋の双子も来てましたね。」
「ああ、空介君に士郎君、敦也君でしょう?」
「そう、そいつらです。とくに敦也はやんちゃな野郎で、一緒にいるだけでけがと汚れが絶えませんよ。」
「たしかに。お店の手伝いもろくにやっていないんでしょう?あの子」
「随分詳しいんですね。」
「質屋はあまり行かないけれど、あの双子は有名だからよく知っているのよ。」
「へえ、そうなんですか。教えたらきっと面白がりますよ、あいつら。」
「あんな愉快な子たちにかこまれて大変ね。でもとっても楽しそう!わたしなんか親が過保護なもんで、満足にともだちも作れやしないのよ。羨ましいわ。」

身なりや話の内容からして、どうやらなかなかのお嬢様なようだ。しかし何処かあいらしく憎めないような身近さを感じ、自然に話すことができる。親の商売上本に囲まれて育ち、語彙が豊富なのも理由のひとつだろうか。

「おれでよければ、あなたのともだちになりますよ。話し相手くらいにはなれますから。」
「あら、ともだちになるというのにあなただなんて他人行儀ね。なまえと呼んで。」
「…それ、名字ではなさそうですね。いきなり名前呼び、ですか。」
「いいじゃない、わたしのはじめてのともだちなんだから、許してちょうだい。」
「…仕方ないですね。おれは風丸一郎太といいます。」
「風丸!わたし、あなたのお店でよく本を買うのよ!」
「ありがとうございます。…あなた、は駄目なんじゃなかったんですか?」
「まあ、失礼。」

口元を隠し上品に笑うなまえさんはどこまでも美しく、どこまでもあいらしかった。


 * * *


そんなことがあった日の翌日から昨日まで、なまえさんは毎日おれの店(と言っても経営は両親だが)に来てくれていた。数分顔出しに来るだけの日もあれば、本を買って行く日もある。今日はいつ来るのだろうか。朝方か、昼過ぎか。きっと今おれはどこか期待しているような面持ちだろう。
しかしなかなか来ない。なのに、もうそろそろ閉店時間だ。そわそわしながら何度も同じたなを拭いていると、ふいに後ろから声をかけられる。

「こんばんは。」

どきり。ぎりぎりだったが、今日もなまえさんは来てくれた。今まででいちばん遅い時間に来たため、ずっとこんにちはだったあいさつが今日ばかりは違う。

「このあいだ、一丁目で会ったときに話してくれた本はあるかしら?」
「ああ、ありますよ。持ってきましょうか。」
「お願い。」

なぜ今日だけ遅くなったのかふしぎに思ったが、単に忙しかっただけだろうとかんたんに片付けた。忙しくても来てくれたというのは、申し訳なくもあるがうれしくもある。

「はい、どうぞ。」

差し出されたなまえさんの手に本を乗せる。彼女は小さく笑い、本を左手に持つとおれの手をあまった右手でにぎった。

「ありがとう、一郎太くん。」

あたたかい体温が右頬にひろがり、ああ口付けられたんだなあと気付いたのは、なまえさんが笑顔で去って行ってから十分後のこと。いつの間にか握っていた本の代金は、すっかりしわくちゃになっていた。


 * * *


期待してもいいのだろうかと思い、おれは次来たとき思い切って聞いてみることにした。しかし、かれこれ三日ほどなまえさんは姿を見せない。何かあったのだろうか、と本気で心配になったところで気付いた。おれは彼女の家の場所すら知らないじゃないか。お見舞いどころか様子見までもできやしない。

「こーら一郎太、ぼさっとしてないで働け。あんたも嫁に行かせるわよ。」
「何だよ嫁って、おれは男だろ。そもそも、あんたもってどういうことなんだ?」
「あら、あんた聞いてないの?あのみょうじ家のお嬢様が遠くに嫁いだんだよ。あんたと同い年よ、同い年。」
「ふうん。」

別に14で嫁いだって特別さわぐほどじゃあないだろう。そう思いながら坦々と重たい本を抱え、次々とたなに入れていく。そういえば、おれ、彼女の年齢すら聞いていなかった。多分そう違いはしないだろうけれど。

「たしかなまえとかいう名前だったわね。詳しくは知らないけど、かなりの美人さんだったらしいわよ。一郎太も顔立ちはいいんだから、女装でもすれば何か面白いことができるんじゃないの?」

ばさり。腕の中に積み重なっていた本が爪先へ向かって落下した。

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